大連から旅順へと小旅行。
↓この日の朝食は、黒い色の蒸しパンが珍しい
↓南京はとっても甘い、子どもは肉ばかり食べる
↓朝からはちょっと厳しい、ナスと肉の揚げ料理
大連には電車で行けないので、ホテルで聞いてみたりしてたら、出会った大連リピーターの高齢者男性たちが、丁寧に調べてくれて、行き方を教えてくれた。が、現地人対象のツアーだったので、203高地とか行かない・・・・とわかり、自力でバスで行くことに。
↓とりあえず止まってたバスに乗り込む、鈍行で2時間以上かかって到着
道中、日本語ができる若者たちと一緒になり、現地事情を教えてもらう。
大学院生の男性は、お母さんにべたべた甘えてて、一人っ子政策の悪影響を感じるのである・・・・ ITCを大学院で学んでるというので「どんな携帯使ってるの?」というと、「今はアップルですけど、ぼく、携帯は、たくさん持ってますから・・・・・全部お母さんに買ってもらいました」とのこと。
↓旅順についてまずしたことは、ランチ
↓食欲旺盛の子ども、がぶがぶ食べる
↓肉麺を頼んだら、大量に出てきた
バス停とか駅の近くには、たいていおいしいお店があって、冷えたビールがあるのが嬉しい。
↓卵、炒飯と書いてみたら、これがでてきた
「炒飯のモトをつかって自分で作った炒飯みたい」という父親のコメント。
↓水餃子、とってもおいしいけれど、ボリュームありすぎ
バスを降りた時からつきまとっててくれた女性タクシーの人と交渉して、350元で観光につれてってもらう。2時間ちょっとで、ちょっと高い!って交渉したのだけれど、とても優しい女性だった。交渉では、言葉の壁もあって、2時間ちょっとの観光っていうことが通じなかったのと、行かないって言ったところまで連れまわされて、先方も予定がはずれてしまったかんじ。
↓203高地、山をてくてく歩いていく
↓記念碑らしきものもある
↓残念ながら天候不良で港はあまり見えない
次に目指したのは、旅順女子高等学校。大連では、戦前の女学校はほとんど建物が残ってないのだけれど、旅順ではまだ残ってるというのを発見したのだ。
↓旧大和ホテル、愛新覚羅溥儀も住んだ建物
↓旅順女学校の塀、内部はなにもない
わたしの祖母は、10人兄弟姉妹の一番上。奉公に出されていた先で可愛がってもらって、「おじさん」に大陸に連れて行ってもらって学校に通わせてもらえたそう。ただ、残念ながら、卒業はしていないらしい。連れて行ってくれたおじさんが誰なのかも不明。
↓どうやら体育館か講堂
↓ぼろぼろになってるけれど、どうやら教室後
↓こちらは、日露戦争の講話条約が締結された場所
残念ながら、文革で破壊されて、今ある建物は再現だそう。「日露の戦争のせいで、旅順に住んでいた中国人は苦しめられた」という英語表記が。この建物には日本語での解説はない。
↓日本とロシアが監獄として使った場所が観光地となってる
安重根が投獄された部屋とか、首吊りが行われた部屋などなど、生々しい。上の子は、とても興味深そうに見てた。「ポリスはどこにいるの?」と何度も聞いてて、悪いことをしたら、ポリスがくるっていう発想と、刑務所が繋がらない様子。
↓旅順駅、今は使われていない。とてもとても小さい駅舎
ばたばたと観光を終えて、バスで一路大連へ。
↓直通バスのチケットをゲットできて、のんびりと席を確保して移動
中国人って、子どもに対してはとっても寛容で、優しいというのを改めて感じた旅順旅行。他人の子も自分の子のようにかわいがってる。一人っ子政策の影響だろうなあ。