ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

旅順へと小旅行

2015年08月18日 | 大連旅行2015

 

大連から旅順へと小旅行。

↓この日の朝食は、黒い色の蒸しパンが珍しい

↓南京はとっても甘い、子どもは肉ばかり食べる

↓朝からはちょっと厳しい、ナスと肉の揚げ料理

大連には電車で行けないので、ホテルで聞いてみたりしてたら、出会った大連リピーターの高齢者男性たちが、丁寧に調べてくれて、行き方を教えてくれた。が、現地人対象のツアーだったので、203高地とか行かない・・・・とわかり、自力でバスで行くことに。

↓とりあえず止まってたバスに乗り込む、鈍行で2時間以上かかって到着

道中、日本語ができる若者たちと一緒になり、現地事情を教えてもらう。

大学院生の男性は、お母さんにべたべた甘えてて、一人っ子政策の悪影響を感じるのである・・・・ ITCを大学院で学んでるというので「どんな携帯使ってるの?」というと、「今はアップルですけど、ぼく、携帯は、たくさん持ってますから・・・・・全部お母さんに買ってもらいました」とのこと。

↓旅順についてまずしたことは、ランチ

↓食欲旺盛の子ども、がぶがぶ食べる

↓肉麺を頼んだら、大量に出てきた

バス停とか駅の近くには、たいていおいしいお店があって、冷えたビールがあるのが嬉しい。

↓卵、炒飯と書いてみたら、これがでてきた

「炒飯のモトをつかって自分で作った炒飯みたい」という父親のコメント。

↓水餃子、とってもおいしいけれど、ボリュームありすぎ

バスを降りた時からつきまとっててくれた女性タクシーの人と交渉して、350元で観光につれてってもらう。2時間ちょっとで、ちょっと高い!って交渉したのだけれど、とても優しい女性だった。交渉では、言葉の壁もあって、2時間ちょっとの観光っていうことが通じなかったのと、行かないって言ったところまで連れまわされて、先方も予定がはずれてしまったかんじ。

↓203高地、山をてくてく歩いていく

↓記念碑らしきものもある

↓残念ながら天候不良で港はあまり見えない

次に目指したのは、旅順女子高等学校。大連では、戦前の女学校はほとんど建物が残ってないのだけれど、旅順ではまだ残ってるというのを発見したのだ。

↓旧大和ホテル、愛新覚羅溥儀も住んだ建物

↓旅順女学校の塀、内部はなにもない

わたしの祖母は、10人兄弟姉妹の一番上。奉公に出されていた先で可愛がってもらって、「おじさん」に大陸に連れて行ってもらって学校に通わせてもらえたそう。ただ、残念ながら、卒業はしていないらしい。連れて行ってくれたおじさんが誰なのかも不明。

↓どうやら体育館か講堂

↓ぼろぼろになってるけれど、どうやら教室後

↓こちらは、日露戦争の講話条約が締結された場所

残念ながら、文革で破壊されて、今ある建物は再現だそう。「日露の戦争のせいで、旅順に住んでいた中国人は苦しめられた」という英語表記が。この建物には日本語での解説はない。

↓日本とロシアが監獄として使った場所が観光地となってる

安重根が投獄された部屋とか、首吊りが行われた部屋などなど、生々しい。上の子は、とても興味深そうに見てた。「ポリスはどこにいるの?」と何度も聞いてて、悪いことをしたら、ポリスがくるっていう発想と、刑務所が繋がらない様子。

↓旅順駅、今は使われていない。とてもとても小さい駅舎

ばたばたと観光を終えて、バスで一路大連へ。

↓直通バスのチケットをゲットできて、のんびりと席を確保して移動

中国人って、子どもに対してはとっても寛容で、優しいというのを改めて感じた旅順旅行。他人の子も自分の子のようにかわいがってる。一人っ子政策の影響だろうなあ。

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。