玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

セサル・アイラ『文学会議』(1)

2017年09月21日 | ラテン・アメリカ文学

 福岡市の出版社「書肆侃侃房」(〝しょしかんかんぼう〟と読む)が出している「文学ムック たべるのがおそい」という雑誌がある。作家の西崎憲が編集長をつとめる幾分同人誌風の文学雑誌であるが、小川洋子や最果タヒ、星野智幸など有名な作家も書いているので、同人誌ではない。
 この雑誌のことを私が知ったのは、山尾悠子の新作がどこかに載っていないかと思って、その手のサイトを調べていたときだった。山尾の作品が今年4月刊の第3号に掲載されていることを知り、早速「たべるのがおそい」を取り寄せることにしたのだった。
 山尾悠子の作品についてはまた別に書くつもりだが、タイトルは「親水性について」、相変わらず硬質な文体で、高踏的な幻想の世界を繰り広げる質の高い作品である。山尾の文章は若い作家を中心としたこの雑誌の掲載作品の中で、群を抜いて際立っている。
 今回はしかし、「たべるのがおそい」第3号に載っているアルゼンチンの作家、セサル・アイラの作品のことを書かなければならない。「ピカソ」という短い作品は幾ばくかの奇想と言葉遊び、ピカソの架空の作品に対する批評と少しばかりの内省とに彩られた不思議な魅力をもった作品で、訳者である柳原教敦による注解と相俟ってこの作家に対する興味を掻き立てられるに十分なものがあった。
 柳原によれば、これまでに邦訳されているのは「悪魔の日記」という短編と中編『わたしの物語』、そして「文学会議」と「試練」という二編を収めた『文学会議』のみということで、アルゼンチンでは毎年10月になるとノーベル賞受賞をめぐって騒ぎになるというわりには、日本への紹介は始まったばかりなのである。
 アルゼンチンの作家といえば誰しもホルヘ・ルイス・ボルヘスを思い出すだろうが、ボルヘスの盟友アドルフォ・ビオイ=カサーレスも、短編の名手フリオ・コルターサルも含めて、極めて知的に洗練された作家が多い。
 ボルヘスを嫌いだったエルネスト・サバトなどは、作家であると同時に理論物理学者でもあり、ボルヘスとはまったく違った意味ではあれ、知的な作家であることに違いはない。
 セサル・アイラも「ピカソ」を読む限りでは、知的に洗練された作家という印象を受ける。とにかくアルゼンチンの作家の作品はボルヘスに代表されるように、他のラテン・アメリカ地域の作家に比べて、先住民の文化や精神性からは何らの影響も受けず、ひたすらヨーロッパと地続きの世界をもっているのである。
 ところでセサル・アイラについては「文学会議」という作品が、彼の奇想を全開にした作品であるらしいので、さっそく「文学会議」と「試練」の二編を収めた『文学会議』を読んでみることにした。
 冒頭、ベネズエラにあるという〈マクートの糸〉の謎を解いて、その先に隠された海賊の財宝を手に入れ、大金持ちになるというエピソードから始まる。しかもそれはマッド・サイエンティストたる〈私〉こと、セサル・アイラ自身の話なのだ。
 ここまで読んで私の第一印象は間違っていたかも知れないと思った。アイラは知的に洗練されたスマートな作家などではない、ほとんどホラ作家ではないかという思いに変わった。主人公であるセサル・アイラは大金を持って、ベネズエラの美都メリダへ飛行機で向かうのであるが、そこではメキシコの作家カルロス・フエンテスも参加するという〈文学会議〉が開かれようとしているのだった。
 ここから先はホラ作品どころか大ボラ作品となっていくのである。アイラの奇想はほとんど常軌を逸している。マッド・サイエンティストたるアイラは、クローン技術を使って世界征服を目論むのだが、まずは一人の天才のクローンを作って、そのクローンに世界征服の仕事を委ねようというのだ。なぜならアイラ自身はどうやったら世界征服ができるのか分からないからなのである。
 そしてその一人の天才としてアイラが選択したのが「議論の余地のない、望みうる限り完全無欠の天才」としてのカルロス・フエンテスというわけだ。
 こんなことを書かれたフエンテスが〝天才〟とおだてられてうれしく思ったなどということはあり得ない。アイラに揶揄されたと感じたフエンテスは「ひとつからかってやれ」というつもりで、「アイラがアルゼンチン最初のノーベル賞受賞作家になることを私は夢想する」と書いたのに違いない(ということはあの大ボルヘスもノーベル文学賞は取っていなかったのだ!)。
 なぜしかし、アイラは他の作家でなく、カルロス・フエンテスを選択したのか? なぜガブリエル・ガルシア=マルケスやマリオ・バルガス=リョサではなかったのか? 「文学会議」が書かれた1997年にはノーベル賞作家、マルケスはまだ健在であったし、リョサもその後ノーベル賞を受賞しているではないか。一方、フエンテスはノーベル賞を取っていない。
 それは多分柳原が解説で言っているように、フエンテスが作家としての活動以上に、ラテン・アメリカの作家たちを糾合して彼等の作品を世界中に知らしめ、ラテン・アメリカ文学のブームに火をつけた張本人だったからなのだろう。
 柳原は「フエンテスは一時期、ラテンアメリカ作家たちという軍団を率いて文学の世界を征服した最大の功労者の一人だったのだ」と書いている。

「たべるのがおそい」第3号(2017、書肆侃侃房)
『文学会議』(2015、新潮クレスト・ブックス)柳原教敦訳

 


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