玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

フアン・ルルフォ『燃える平原』(1)

2016年04月26日 | ラテン・アメリカ文学

 メキシコのシウダー・フアレスというまちは、最近まで戦争地帯を除くと世界中で最も治安の悪い都市とされていた(近年ホンジュラスのサンペドロスーラに抜かれて2位となり、2014年には9位となっている)。ネットでフアレスを調べてみると、麻薬組織の抗争で惨殺された男達の死体の写真がたくさん載っている。吐き気がするので、臆病な人は見ない方がいい。
 ボラーニョの項で私は、メキシコ中部のテミスコ市で麻薬犯罪撲滅や誘拐事件一掃を訴えて当選した、若い女性市長が就任の翌日に武装集団に襲われて銃殺されたというニュースを紹介した。アカプルコも治安の悪い都市の上位にランクされているし、首都のメキシコシティも治安の悪さが知られている。
 メキシコという国は間違いなく世界中で最も治安の悪い国なのである。ロベルト・ボラーニョはその『2666』で、フアレスをモデルにした都市サンタテレサで起きた、150件以上もの連続強姦殺人事件をレポートしていた。
 カルロス・フエンテスもまたフアレスを舞台とした短編小説を『ガラスの国境』で書き、アメリカ資本がいかにメキシコを救いのない国にしたかということを描いて見せた。
 アメリカの共和党大統領候補ドナルド・トランプ氏はメキシコ人がアメリカ人の労働力を奪っていることなどを理由に、「アメリカとの国境に壁を築かせる」などと言っているが、馬鹿なことを言うのは死んでからにした方がいい。メキシコにマキラドーラという工場地帯をつくって利潤を得ていたのは、アメリカに他ならないのだし、麻薬の取引にしてもアメリカのマフィアの資金源になっているのは明らかであるからだ。
 メキシコを現在のような悲惨な国にしたのはアメリカなのであって、メキシコがアメリカ人の就労機会を奪っているなどという議論は本末転倒なのである。メキシコのためにもトランプ氏を大統領にすることだけは阻止してほしいと、アメリカ国民に対して願うばかりである。
 ところで、メキシコの作家フアン・ルルフォの最高傑作はもちろん『ペドロ・パラモ』であり、この作品がラテン・アメリカ文学の至高点にあるという論者もいる。確かにそうかもしれない。
 でもガルシア=マルケスの『百年の孤独』に拮抗しうるかと言えば、そのボリュームと密度において下位にあると言わざるを得ないし、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』に拮抗しうるかと言えば、その途方もない異常性において劣っているとみなさざるを得ない。
 しかし、『ペドロ・パラモ』はまごうかたなき大傑作であって、その短さの故にほぼ完璧な小説であるという印象を与える。中編小説としてここまで完成された作品をラテン・アメリカ文学の中に見つけることはむずかしいだろう。
 フアン・ルルフォの最初の作品『燃える平原』は14の作品を集めた短編集である。やはりこの人は長い作品を書けなかった人だと思う。とにかくルルフォは生涯に、この『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』の二作しか残していないので、この作家のことを語るのはむずかしい。
 ついこの間も『ペドロ・パラモ』を再読したのだが、なぜかいつも酔眼で読んでいて、一回目は何が書いてあるのかよく分からなかった。二回目に読んだ時は、あまりの完成度に言葉を失ってしまい、何も言うことが出来なくなってしまった。
 でも『燃える平原』についてなら、何か言うことが出来そうな気もする。『ペドロ・パラモ』は至高の高みにあるが、『燃える平原』は必ずしもそうではないという意味において……。

 フアン・ルルフォ『燃える平原』(1990、水声社「叢書アンデスの風」)杉山晃訳

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