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「北方文学」87号紹介

2023年07月17日 | 北方文学

「北方文学」第87号を発行しましたので、紹介させていただきます。今号より地方小出版流通センター扱いとなり、大手取次を通して全国の主要書店に少部数ではありますが配本されています。同時に紀伊國屋ブックウエブや楽天ブックスなどのネット書店でも検索して購入できるようになりました。どれほど売れるかは分かりませんが、最近発行のたびに「図書新聞」などで紹介され、「季刊文科」でも大きく取り上げられるようになってきましたので、少しでも全国の読者に届くことを願っています。

 巻頭は鈴木良一の〝これでも詩〟という「断片的なものの詩学」です。「新潟県戦後50年詩史」を10年にわたって書き継いできた鈴木が、虚脱状態を乗り越えて新たな境地を見せています。「1987年からの私の私的な行動を跡付けるチラシ=チラ詩」ということで、エッセイのようでもあり、戦後詩史の補填でもあり、また新たな自身の詩作への挑戦でもありといった、破天荒な形式と内容の作品となっています。
 二人目は館路子の「カンブリア紀の残滓に契合する、今」。いつもの長詩ですが、今回は死に瀕した妹さんへの思いを綴った内容で、いつもより現実との通路がはっきりした作品です。胎児期に肺の中に生成する器官があり、それは七歳までに消えるはずなのに、千人に一人の割合で残留して、体に悪影響を与えるのだそうです。カンブリア紀の動物に由来するものだそうで、それ故に「カンブリア紀の残滓」というタイトルになっています。
 続いて大橋土百の俳句「風のなか」。いつものように一年間の思索ノートからの俳句選です。作風は様々ですが、諧謔に満ちた句もあり、シリアスな句、時代と切り結ぶ句もあって、読みごたえがあります。

 批評はまず、霜田文子の「「きみ(du)」という天使――多和田葉子『パウル・ツェランと中国の天使』を読む――」です。多和田葉子がドイツ語で書いた小説を、ツェラン研究の関口裕昭が翻訳したもので、霜田は多和田の作品をカフカやベンヤミンに引き寄せて読んでいきます。〝天使〟とはツェランが詩で書いた「歪められた天使」であり、ベンヤミンが買い求めたクレーの「新しい天使」であり、「歴史の概念について」で語っている「歴史の天使」でもあるという。霜田の批評は、多和田の小説についての論であると同時に、ツェラン論であり、ベンヤミン論であり、カフカ論でもあります。
 次は柴野毅実の「『テラ・ノストラ』のゴシック的解読――カルロス・フエンテスの大長編を読む(中)――」です。今号で終わる予定だったのですが、諸般の事情で終結は次号に持ち越しとなりました。今号のテーマは『テラ・ノストラ』における「間テクスト性とテクストの快楽」であり、マチューリンの創造したメルモス像の系譜に関わる文学史的探究でもあります。メルモス像の系譜についてはあまり書かれていないと思われますので、重要な探究になっていると思います。特にボードレールの『悪の華』に関わる部分に注目。

「萃点に向かって――GEZAN with Million Wish Collective『あのち』――」は、このところサブカルチャーを論じることの多い鎌田陵人によるもの。日本のロックバンド(あるいはパンクロックバンド)GEZANの新譜「あのち」についての批評です。ロックについての批評を書けるのは鎌田の特徴で、今回の論はGEZANだけでなく、コロナ後のロックシーンについての広範な議論を含んでいます。ロックの頂点はもちろん1960~1970年代で、1990年代にオルタナティブロックでもう一つの頂点を迎え、コロナ後の現在新たな頂点を迎えつつあるというのが鎌田の議論であります。検証してみる価値があります。
 榎本宗俊の「良寛の療養」が続きます。我々の迷妄はあれこれと「思慮」することに原因があり、「思慮」することをやめて「あるがまま」に生きることが重要、という議論に尽きています。

 研究では、坂巻裕三の永井荷風研究「麻布市兵衛丁「偏奇館」界隈、空間と時間(Ⅱ)
――『断腸亭日乗』東京大空襲の記述が完成するまで――」が力作です。『断腸亭日乗』の白眉ともいうべき、昭和20年3月10日の項、つまりは東京大空襲の部分が、いかにして成立したかを、荷風が毎日持ち歩いていた手帖の手書き草稿と、それを浄書した『罹災日録』、そして『断腸亭日乗』の記述とを比較する中で、明らかにしています。また、坂巻の発見による、当時二十歳そこそこで皇居で女官をしていた田中良久子の日記にある東京大空襲の記録と、荷風の『断腸亭日乗』の記述との比較が目玉になっています。
 続く福原国郎の「苦学」は、苦学のように地味な学校史に関わる研究余禄といったところ。大正期旧制小千谷中学に入学した岩夫少年の、自炊しながらの下宿生活、修学旅行時のお金の苦労などが紹介されている。現在とは比較にならない苦労が当時の中学生にはあったことが窺われる。

 小説は2本。まず柳沢さうびの「夜のつづき」。この作品は先号の「瑠璃と琥珀」(「季刊文科」の同人雑誌評で大きく取り上げられました)、先々号の「えいえんのひる」との連作になっていて、完結編です。登場人物の枠組みはそのままに、今回は北欧女性と日本人画家とのハーフの女性の視点で書かれています。謎はある程度解明されていくのですが、最後に「死ぬまでの秘密」として残される肖像画に託された秘密が、大きな余韻を残します。それにしても文章が完璧です。
 最後は魚家明子の「雨とドア」、60頁の大作です。対人関係に違和感を持つ少女の成長過程を描いているという意味では、魚家なりのビルドゥングス・ロマンと言えるでしょう。タイトルの〝雨〟も〝ドア〟も引きこもりをイメージさせます。雨の日は家に籠るのだし、ドアは家の内部空間を開くというよりは、閉じ込める機能を持っています。少女の閉鎖的な感性を魚家は瑞々しい筆致で描いています。

以下目次を掲げます。
鈴木良一*断片的なものの詩学
館路子*カンブリア紀の残滓に契合する、今
大橋土百*風のなか
霜田文子*「きみ(du)」という天使――多和田葉子『パウル・ツェランと中国の天使』を読む――
柴野毅実*『テラ・ノストラ』のゴシック的解読――カルロス・フエンテスの大長編を読む(中)――
鎌田陵人*萃点に向かって――GEZAN with Million Wish Collective『あのち』
榎本宗俊*良寛の療養
福原国郎*苦学
坂巻裕三*麻布市兵衛丁「偏奇館」界隈、空間と時間(Ⅱ)――『断腸亭日乗』東京大空襲の記述が完成するまで――
柳沢さうび*夜のつづき
魚家明子*雨とドア


お買い求めは「北方文学87号」で検索し、ネット書店などでお願いします。

 



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