玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ベス・ハート、ライブ(4)

2018年12月18日 | 日記

 8時が近づいてきたので、もうそろそろ会場も開いたのではないかと思い偵察に行ってもらうと、すでに開いていて観客も入り始めたとのことで、わたしたちも腰を上げる。いよいよである。会場に入るとホールの扉も開いていて、観客が席に着き始めている。まだ40分もあるが早いに越したことはない。私は9月12日から宝物のように大切にしてきた、スマホ上のチケットを係員に見せて席に着いた。
 やはり小さなホールでステージも小さい。巨大なホールだと後ろの席では、アーチストが豆粒くらいにしか見えないから、思わず「しめた!」と思った。これならベス・ハートの顔だって見えるだろう。ライブは臨場感が命なので狭いに越したことはない。
 時間があるので周りの観客の人たちを見回す。思った通り中高齢層がほとんどである。ベス・ハートの曲はブルースが基調であり、ヴィジュアルな派手さはないから若者向けというわけにはいかない。だから若年層はほとんどいない。彼女は1972年1月24日生まれだから、現在47歳。私自身もそうだがどう見ても彼女より年上の観客が多い。それは彼女の曲が〝大人の音楽〟であって、それが年上のファンを掴んで放さないからである。
 しかしあの伝説のライブ、2005年のLive at Paradisoでは、ずいぶん若い観客もいたではないか。当時彼女は30歳そこそこで、凶暴なエネルギーを発散していたから、彼女より年下のファンも多くいたのだろう。あれから15年経って、彼女も変わった。よれよれのジーパンを穿いて、寝っ転がって歌ったり、たばこを吸いながらステージ上をうろついたり、片足を台の上に上げ股を開いてキーボードを演奏するような、行儀の悪さは影を潜め、今ではドレスにハイヒール姿である。

Live at Paradiso


彼女が大人しくなって保守化していると批判する人もいるが、私は必ずしもそうとは思わない。第一に彼女が作る曲は当時より現在の方がブルージーな深みと重さがあるし、歌い方も直線的なパワーから、より複雑な情感を表現できるようになってきていると思う。〝円熟の境地〟とは言わないが15年の間に彼女は確実に進化していると思うからである。
 8時45分になって出てきたのはベス・ハートと彼女のバンドではなくて、男性3人組のバンドであった。「前座だ」と思い、2~3曲で終わるだろうと思ったが、いつまでも終わらない。結局30分以上の演奏で、待たせること! ちなみにこのバンドは、ドラムにKris Batring Bandと書いてあったのでそれだと思うが、ネットで調べても分からない。近視で見間違いかな。
 本命が登場したのは9時30分であり、私どもがサン=ジェルマン=アン=レーに着いてからすでに6時間30分も経っていた。やはり約一年間待ち続けてきたライブを見るというのは格別の思いがあり、緊張しないわけにはいかなかった。しかし、一曲一曲はあっという間に終わり、何も噛みしめることができないまま時間は過ぎていく。以下はその時考えたことではない。ライブの間私はほとんど何も考えることができなかった。
 ただ、私には一つ期待していることがあった。最近の彼女は髪をアップにして、後ろで束ねていることが多い。事実今年初めの頃のライブ、Front and Centerのステージではポニーテールでドレスにハイヒールというスタイルを見せているが、そうではなく私は髪を下ろした彼女の姿が見たいのだ。

Front and center

 Paradisoでのライブを見るまでもなく、彼女に最も似合っているのは、長い髪を振り乱して熱唱する姿であって、涼しげに歌う姿ではない。Paradisoの時のようにワイルドでなくてもいいから、鬱陶しいだろうが髪の毛だけは下ろしてステージに立ってほしいと思うのだ。幸いこの日のライブでは、ベス・ハートらしく長い髪を下ろしたまま登場してくれた。しかもドレス姿ではなくパンツにジャケットという露出の少ない姿だった。

 ところで会場を見渡すまでもなく、観客はほとんど白人で、フランス人が大方だったのだろう。向こうはこんなところにアジア系の人がいると思って奇異な目で見ていたのだろうが、日本人はおろかどこにでもいた中国人も見当たらなかった。極東の小国から来たのは私らしかいなかったのは確かだ。とにかくベス・ハートは日本ではまったく知られていないし、CDも国内版が出ていないから、すべて輸入盤に頼っているのである。このブログをきっかけに日本で少しでもファンが生まれてくれればいいと思っている。
 

 


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