玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』(2)

2018年05月24日 | ラテン・アメリカ文学

 ホセ・ドノソが7年以上をかけて完成させたこの傑作は、「最後のアスコイティア」「不完全な大天使」「誰のものでもない夢」というようなタイトルを想定していたという。最後に『夜のみだらな鳥』というタイトルに落ち着いたわけだが、それはドノソがこの小説のエピグラフに使っているヘンリー・ジェイムズの文章から採られた。

「分別のつく十代に達したものならば誰でも疑い始めるものだ。人生は道化芝居ではないし、お上品な喜劇でもない。それどころか人生は、それを生きる者が根を下ろしている本質的な空虚という、いと深い悲劇の地の底で花を開き、実を結ぶのではないかと。精神生活の可能なすべての人間が生まれながらに受け継いでいるのは、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ」

父ヘンリーと息子ヘンリー

 ヘンリー・ジェイムズはあのアメリカの大作家ヘンリー・ジェイムズの同名の父親であり、この文章は父ヘンリーが作家ヘンリー・ジェイムズとその兄で哲学者のウィリアム・ジェイムズに宛てた手紙の一部なのだ。
 ヘンリー・ジェイムズはホセ・ドノソがこの上なく愛した作家であり、ドノソはどこかでこの文章を発見しそこからタイトルを採ったのである。私は父ヘンリー・ジェイムズのこの文章を原語で読んでみたくて、ネット上を探索したことがあるが、どうしても見つけることができなかった。
 ヘンリー・ジェイムズ自身の膨大な書簡はネット上で読むことができるが、父親の書簡などは掲載されていない。この偉大な文章をドノソがどこで発見したのか知りたい。多分ヘンリー・ジェイムズの自伝の中に引用されているのではないかと思われるが、私はまだ読んでいない。もう一度ネット上の探索に挑戦して、発見できたら報告したい。
 ホセ・ドノソがこの文章を発見したときの喜びは大きなものであっただろう。」「夜のみだらな鳥」というタイトルは、ドノソのこの小説に最も相応しいものであり、今では他のタイトルなど想像することもできない。父ヘンリー・ジェイムズのこの文章は、ホセ・ドノソという作家の小説にタイトルを与えたことによって、人類の記憶に残るだろう。
 ここで「狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森」が、「精神生活」の比喩として使われていることに注意を向けなければならない。父ヘンリーは二人の子供たちに人生の苦労などを教え諭しているわけではない。そうではなく、人間の精神そのものの暗部について教えている。
 そして人間精神の暗部は「人生を生きる者が根を下ろしている本質的な空虚という、いと深い悲劇」がもたらすものなのである。父ヘンリーのこのような人生観は、息子ヘンリーに確実に受け継がれたものであり、ヘンリー・ジェイムズの小説を愛したホセ・ドノソもまた、このような人生観を受け継ぎ、『夜のみだらな鳥』という大傑作として開花させたのだと言える。
 父ヘンリーについては宗教哲学者であり、独特の教育観を持ち、二人の子供たちを何度も長期のヨーロッパ旅行に連れ出したことが知られている(子供は5人いたから二人だけを連れて行ったのではないかも知れないが)。スエーデンボルグやフーリエの思想に傾倒していて、二人の子供に対して大きな影響力を行使したらしい。詳しくはWikipediaにHenry James Sr.の項目で書かれているので、そちらを参照してほしい。
 ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』という小説は、文字通り「狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森」であり、しかもこの小説全編が作者の精神の暗部を隠喩として描き出したものに他ならない。
 他の作品を読んでもよく分かることだが、ドノソはラテンアメリカの作家の中では最も社会性を持たない作家であり、ある意味では最も〝文学的〟な作家であった。ガルシア=マルケスやマリオ・バルガス=リョサなど、政治的な発言を多く行う作家の多いラテンアメリカ圏で、ドノソは例外的な位置にいる。
 友人でもあったリョサなどはペルーの大統領選に出馬までしているが、ドノソにはそんなことは想像もできない行動であっただろう。

コメント (2)
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