玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

新潟の文学碑

2011年04月07日 | 日記
 先日新潟を訪れた時に、西大畑の「砂丘館」に寄り道した。旧日銀新潟支店長役宅で、現在は指定管理制度でNPOに管理運営を委託され、ギャラリー等として利用されている。この近辺には、会津八一記念館や坂口安吾を記念する「風の館」、安吾生誕碑など、文学に関係する施設等がたくさんあって、「文学まち歩き」コースとして、誘客を図っている。
 新潟市ゆかりの文学者は他にも丸谷才一や野坂昭如、市島三千雄などがいて、市内いたるところに文学碑が建てられている。柏崎の場合も句碑や歌碑などはたくさんあるが、もともと柏崎出身の文学者というのがほとんどいないために、人を呼べるものとしては、貞心尼の歌碑があるくらいのものだろう。
 柏崎ゆかりの歌人・吉野秀雄の歌碑もふるさと人物館脇にあるが、ほとんど忘れられようとしている。柏崎出身者としては、作家の江原小弥太、獄中歌人の島秋人、詩人の蓮池慎司などがいるが、いずれも碑は存在していない。
 ところで、文学碑というものを好きになることができない。碑を見ることがその作家の作品を読むことにつながればいいのだが、作品を読まないで済ますための方便となりかねないと思うからだ。作家の残したものは作品として結晶しているのであって、碑はその形骸にすぎない。
 龍安寺の石庭の石を「糞かきべら」とまで言い放った坂口安吾が、生誕碑や詩碑を建ててもらったことを、果たして喜んでいるのかどうか。後世の人が勝手に碑を建てる行為が、作家の意にかなうものかどうかということは、決して軽い問題ではない。

越後タイムス2月25日「週末点描」より)



鯛茶漬けは生がいい

2011年04月07日 | 日記
 十日の「ふるさと祭り東京2011、第二回全国ご当地どんぶり選手権『うまさぎっしり鯛茶漬け』第三位入賞報告会」(長い!)で初めて、鯛茶漬けを食べさせてもらった。自分で鯛の刺身をお茶漬けにして食べたことはあるが、柏崎地域観光復興推進協議会が力を入れている「鯛茶漬け」を食べるのは初めてだった。
 東京ドームで一万食売ったのは、他の鯛茶漬けとはかなり違っている。生の鯛を使っていないところが一番の違いで、鯛の素揚げと焼きほぐしがメインになっている。一日千食以上を売るわけだから、スピードが要求されるし、生の鯛にだし汁をはって、冷めてしまったら味が台無しになってしまう。
 しかも鯛の“なま殺し”みたいな味を嫌う人もいるだろうから、大量に売る場合にはこれで良しとしなければならないし、素揚げの香ばしさが人気だったというから、上位を狙うには正解だったように思う。モズクや三つ葉、アラレやワサビなど具だくさんにして、高級感を出したのも成功の一因だった。
 しかし、一位となった北海道の「うにめし丼」や二位の富山の「白エビかき揚丼」には、食材そのもので太刀打ちできなかった。鯛は近頃スーパーで安く売っているし、ウニや白エビに比べ、“高級食材”とは言い難いところがある。だから、三位で大健闘だったのだ。
 また、丼物というと、白い飯を具と一緒に腹一杯掻き込むというイメージがあり、鯛茶漬けのように、締めに一杯という“お上品”な感じとは違う。その点でも、うにめし丼や白エビかき揚げ丼に対して、かなりハンディがあったのではないか。
 とにかく、三位入賞のPR効果は大きく、出店依頼も相次いで対応できないくらいだという。柏崎に来てもらって食べてもらうことが一番なので、その時は新鮮な鯛の刺身をつかったお茶漬けにしてもらいたいと思う。心配なことがひとつ。笠島の漁師に跡継ぎがおらず、漁獲量の維持がむずかしいということである。

越後タイムス2月18日「週末点描」より)



現代詩特集に期待を

2011年04月07日 | 日記
 今年から教員の出番はなくなったが、昨年高校生や大学生による詩の朗読に感銘を受けたので、今年も新潟産業大学主催の詩の朗読会「ことばのひびき」を聴くために出かけた。ポピュラーソングの歌詞も多くあったが、やはり現代詩や自作の詩の方が聴衆に訴えるものが大きい。“詩の現在”を感じることができるからだ。それらが“今の言葉”や“今の思想”を語りかけてくるからだ。そういう意味で産大附属の生徒が選んだ、新川和江や谷川俊太郎の作品が光っていたし、産大生四人による自作詩の朗読が素晴らしかった。
 現代詩といえば、私どもがやっている文学同人誌「北方文学」では、次号六十五号で「現代詩特集」というものを企画している。現代日本を代表する詩人達に作品を寄せてもらおうと、三十六人の有名詩人に依頼状を出した。恐る恐るではあるが、だめでもともとと、超有名な詩人にも現代詩の第一線で活躍する詩人にもお願いした。
 三分の一くらいOKならよしとしなければと思っていたら、なんと二十三人が承諾のはがきを返してきたのだった。まさか受けてはくれないだろうと思っていた詩人からも承諾をもらった。締め切りまでに実際に何人の詩人が作品を寄せてくださるか分からないが、大いに期待できる。
 現代詩が読まれなくなって久しい。日本で詩を書いて生活できるのは谷川俊太郎ただ一人と言われているが、有名詩人でもそのほとんどが生活の糧を別に得た上で詩を書いているし、詩を発表する場も思潮社の「現代詩手帖」くらいしかなくなってしまった。
 全国に同人詩誌は無数にあるが、そこに詩を発表してもお金にはならない。「北方文学」も大した原稿料を払えるわけではない。それでも多くの詩人達が作品を寄せてくれそうだ。発刊は五月末。期待していただきたい。

越後タイムス2月11日「週末点描」より)