玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

整理されてしまうー

2010年04月08日 | 日記
 “計画的廃業”のために、この一カ月ほど、さまざまな整理を進めてきた。“物”の整理は簡単だが、電話回線のこととか、カードのことなどは複雑でさっぱり分からない。毎週新聞を発行しながら、特に三月は市議会があるので忙しくて、とても頭が廻らない。
 かなり重要な部分を家人がやってくれたので負担が軽くなり感謝している。“物”の整理についても家人は大得意で、あちこちから必要のないものを引っぱり出してきては捨てていった。“物”を整理して、何がどこにあるのかを明確にするには、捨てるのが一番だという。
 しかし私は、あまり捨てることが好きな方ではない。コレクションの趣味はないし、昔のものを懐かしがる気持ちもあまりないが、“いつか何かの役に立つのでは”という思いがあり、この十年間ほとんど物を捨ててこなかった。
 だから、いろんなものが出てくる。十年前に借りた友人の本も出てきたし、この二十年間くらいにたまったファイルも出てきた。しまったまま忘れていた絵も出てきたし、目を通す余裕もなく、ほったらかしておいた保険関係の重要書類も出てきた。
 まだ整理しきれない部分もあるが、お陰で三月三十一日をもって、かなり身辺の整理をすることができ、身軽になった。新年度からはこの「越後タイムス」に専念することができそうだ。
 ところで、家人の整理に対する執念を見ていて、いささか怖くなった。いつか自分が整理され、捨てられることになるのではないかという恐怖を感じたのである。

越後タイムス4月2日「週末点描」より)

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仏罰が下った

2010年04月08日 | 日記
 新潟市美術館で予定されていた「奈良の古寺と仏像展」をめぐるドタバタ劇のニュースに注目している。新潟市の篠田市長の対応を見ていて、あまりにも“ドロ縄”的ではないのかと大きな疑問を感じている。
 篠田市長が任命した北川フラム館長が「土と水の芸術祭」の土の作品を美術館に持ち込んだのが第一の間違い。カビが出た。次に「新潟への旅」展で、屋外作品の電動カートを持ち込んだのが第二の間違い。今度はクモや虫が出た。篠田市長と北川館長は“開かれた美術館”を目指したのだが、カビやクモにまで開かれてしまった。そんなところに国宝の仏像を展示できるわけがない。
 篠田市長は、文化庁が「貸し出しすることができない」と言ってきたのに対して、慌てて北川館長を三月末付で更迭することにした。しかし議会の突き上げで、十二日付で解任せざるを得なくなった。
 それだけではなく、当初「常勤の館長を置いて管理体制を万全にする」と言っていたのに、「自分が館長を兼任する」と方向転換した。市長職をなおざりにして、新潟市美術館の館長に常勤で勤めるつもりだったのだろうか。
 文化庁がそんなことで納得するはずもなく、結局長岡市の県立美術館で開催することに決まった。しかし、黙っていないのは古町商店街の人達である。この仏像展は、全国で三百万人を動員した、あの「阿修羅展」の二番煎じを狙って、商店街の活性化に結び付けようという篠田市長の発案だったからである。
 篠田市長は会期中、新潟から長岡まで無料バスを走らせると言っている。今回の責任をとって、給与三〇%カット一カ月という処分を自らに課したが、無料バスの経費も自分で持つべきだろう。
 そもそも、国宝の仏様をつかってまちおこしを図ろうなどという発想自体が間違っているのではないか。新潟市のある友人は「仏罰がくだったのだ」と言っている。

越後タイムス3月26日「週末点描」より)

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