今年のお盆に開催された「絵あんどん展」で、多くの作品の中で、佐藤伸夫さんの作品を見て「これだ!」と思い、初めて入札をした。今まで入札をしたこともなく、眺めていただけだったが、佐藤さんの作品は“ひとに取られたくない”という気持ちを起こさせた唯一の作品だった。
会場で「三千円でも五千円でも大丈夫、落ちますよ」と聞いていた。しかし、そんな金額では佐藤さんの作品に対して“失礼”だという気持ちがあり、四ケタの金額で入札した。作品は私の手に落ちた。
佐藤伸夫さんは筋ジストロフィーを患い、車椅子生活を続けながら絵を描いてきた人である。でも、佐藤さんの絵を障害者の作品として特別視する気持ちは全くない。健常者の作品と同等のものとして見ているし、そのことによって評価の基準を変えるようなことはない。
「游文舎」企画委員として十八日~二十六日まで、佐藤さんの「佐藤伸夫の日常」を開催できたことをうれしく思っている。昨年十一月の「ゆさぶられた砂」展に続くものであったが、佐藤さんの絵は年々新しい境地を切り開いていくので、主催者としても楽しみは大きい。
「佐藤伸夫の日常」というタイトルは、佐藤さん自身がつけたもので、そこには複雑な意味が込められている。佐藤さんは自分の“日常”を見せたいのではない。本当は絵を描くという“非日常”を見てもらいたいのだ。しかし、中越沖地震で自宅が大規模半壊となり、一年間仮住まいを強いられた中で描かれた作品は、“非日常”であると同時に、佐藤さんの“日常”でもあったのだ。
落札した作品のタイトルは「夏の手」という。佐藤さんはこれを、夏の暑さを振り払うようにして一気に描いたという。力強い作品である。個展の最終日に「来年もやりましょう」と佐藤さんと握手を交わした。しかし、その手に健常者の力はなかった。一瞬“びくっ”としてしまった。
会場で「三千円でも五千円でも大丈夫、落ちますよ」と聞いていた。しかし、そんな金額では佐藤さんの作品に対して“失礼”だという気持ちがあり、四ケタの金額で入札した。作品は私の手に落ちた。
佐藤伸夫さんは筋ジストロフィーを患い、車椅子生活を続けながら絵を描いてきた人である。でも、佐藤さんの絵を障害者の作品として特別視する気持ちは全くない。健常者の作品と同等のものとして見ているし、そのことによって評価の基準を変えるようなことはない。
「游文舎」企画委員として十八日~二十六日まで、佐藤さんの「佐藤伸夫の日常」を開催できたことをうれしく思っている。昨年十一月の「ゆさぶられた砂」展に続くものであったが、佐藤さんの絵は年々新しい境地を切り開いていくので、主催者としても楽しみは大きい。
「佐藤伸夫の日常」というタイトルは、佐藤さん自身がつけたもので、そこには複雑な意味が込められている。佐藤さんは自分の“日常”を見せたいのではない。本当は絵を描くという“非日常”を見てもらいたいのだ。しかし、中越沖地震で自宅が大規模半壊となり、一年間仮住まいを強いられた中で描かれた作品は、“非日常”であると同時に、佐藤さんの“日常”でもあったのだ。
落札した作品のタイトルは「夏の手」という。佐藤さんはこれを、夏の暑さを振り払うようにして一気に描いたという。力強い作品である。個展の最終日に「来年もやりましょう」と佐藤さんと握手を交わした。しかし、その手に健常者の力はなかった。一瞬“びくっ”としてしまった。
(越後タイムス10月31日「週末点描」より)