玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

かぼちゃの双子

2007年06月18日 | 日記
 柏崎・夢の森公園がめでたく今月二日に開園を迎えたが、その一週間前に家人を案内して園内を廻った。何回もここを訪れているので案内役がつとまるのである。里山公園なのだから、夢の森大池周辺だけでなく、山の方も歩いてみなければ意味がない。
 山にはまだワラビが芽を出していたし、初夏を迎えてヤマボウシやエゴノキなど、さまざまな白い花が咲いていた。「あの花は何」「この花は何」という家人の質問に、たいがい答えることができた。随分いろいろな植物の名前を覚えた。本紙に「ボタニカルエッセイ」を寄稿してくださる田辺喜彬先生のお陰である。
 中学生の時、科学部生物班の班長をつとめていて、佐藤池(今はもう池はない)の植生について調査したことがあり、たいがいの雑草の名前は覚えたが、花木に関してはまるで無知だったのを、蒙昧から救ってくれたのは、旧川西町の亡くなった友人と田辺先生である。一緒に山歩きをすることで、多くのことを学んだ。
 山に行って植物の名前を知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。田辺先生は、落葉した樹木でも、その木肌を見ただけで「これは何の木」と分かるほどの達人であり、こちらは足元にも及ばないが、雑草や樹木の名前を覚えているだけで、山歩きをすることが楽しくなることは請け合いだ。是非勉強して公園を歩いてほしい。
 ところで家では植木鉢で“おもちゃかぼちゃ”を育てている。あの奇態な形と色が好きだからだ。毎日のように雌花が咲くが、いっこうに雄花がタイミングよく咲いてくれない。雄花が咲かないことには受粉ができないからかぼちゃができない。
 ということで、無理矢理、咲きかけの雄花のオシベを、雌花のメシベにこすりつけてみるのだが、オシベが未熟なせいか、受精に至らない。雄花がはなばなしく咲いている時には、意地悪く雌花が咲いていないということで、三週間を経てもカボチャの実が育たなかった。
 でもやはり、時期というものがあるのだろう。同時に咲いたタイミングを見計らって、人工授粉に成功。なんとか二個の雌花が妊娠した。少子高齢化の時代に双子とは赤飯ものである。もっといっぱい妊娠させて、あのおかしな形のかぼちゃをたくさん収穫したいものだ。

越後タイムス6月15日「週末点描」より)



日中国交回復35周年記念二人展

2007年06月18日 | 日記
 週末、東京で美術月刊誌「ギャラリー」を発行するギャラリーステーションの本多隆彦社長とご一緒した。本多社長は、柏崎出身の画家・水野竜生氏の作品を高く評価し、水野氏の中国での展開や、国内での展開を精力的に支援している人だ。
 本多社長と旬の地の鯛の刺身をつまみながら、酒を酌み交わした。なんでも本音で語り、美術の世界の改革を本気で考えている人だ。水野氏を売り出すことで、旧態依然とした日本の美術会に風穴をあけたい気持ちをもっている。
 本多社長は、日本の美術界がダメなのは、政治家と結びついた画家が、画家としての研鑽を忘れ、政治力で美術界を牛耳っているからだという。本当に才能のある作家が芽を出すことのできない仕組みが出来上がっているのだ。同感である。
 画家が変わるのがいいのか、変わらない方がいいのかということについても議論した。本多社長は「画家は変わっていかないと、その作品が職人芸の世界になっていく。絶対変わらなければいけない」という。美術史に大きな名を残すような画家のほとんどは、その作風をどんどん変えている。壁にぶち当たってはそれを乗りこえ、ということを繰り返していくことで、画家は成長していくのだ。
 ところで、水野氏と北京精華大学美術部副部長の画家・陳輝(チェン・フイ)氏との二人展の日程が決まった。まず長岡の県立近代美術館で今年十二月一日から六日まで、来年はオリンピックを直前にひかえた六月、北京中国美術館で二人展は開かれる。題して「日中国交回復三十五周年記念二人展」。実行委員会もできた。本多社長の行動力に負けないように、協力していこうと思っている。

越後タイムス6月8日「週末点描」より)