玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

4,500号

2006年07月15日 | 日記
 一年間かけてやっと五十号かそこいら出せるのみ。気がついたら今週号は明治四十四年五月創刊以来、四千五百号目にあたる。先人たちの積み重ねによるものだ。前主幹・吉田昭一さんからタイムスを正式に引き継いだのは、平成十三年十月五日号だった。
 その時の号数は四千二百七十三号だから、まだ二百二十七号を重ねたにすぎない。吉田昭一さんは昭和三十年、二〇〇一号からタイムスの編集を引き継いでいるので、なんと二千二百七十三号分を担ったことになる。ちょうどひとケタ違っている。
 四十五年かけて、二千二百七十三号などというのはほとんど信じられない数字で、前人未到という他はない。もう年齢からしても、そんなことは不可能。何とか吉田さんの十分の一まで漕ぎつけたことを、多少うれしく思うばかりだ。
 吉田さんは四千号の「テールランプ」で、引き継ぎ当時「無形の重圧からくるノイローゼ」に悩まされたことを告白している。弱冠二十五歳の青年にとって、タイムスの伝統は重かったことだろう。現編集発行人は、五十歳になっての転身であったから、ノイローゼになることはなかったが、それでも重い。吉田さんも四千号に「でも、いまだ、なお重い」と書いている。実感だ。
 この九十五年の間、タイムスは中村彝の個展をはじめとする美術展の数々、また文芸講演会などの主催事業や出版活動を行ってきた。柏崎の文化の中核を担ってきたのだ。こちらは、毎週の号を発行するのに手一杯で、ろくな事業をやっていない。恥じ入るばかり。
 吉田さんはまた、「平成柏崎文化は機械文明を除くと、大正、昭和初期文化を超えることができないでいるのではないか」とも書いている。それは柏崎に限ったことではなく、そのまま事実で、我々今に生きる者の劣等意識が消えることはない。

越後タイムス7月14日「週末点描」より)