玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

諏訪哲史『偏愛蔵書室』(3)

2023年01月16日 | 読書ノート

 以上、諏訪哲史の小説における「物語」「批評」「詩」の要素についての議論を、批判的に検証してきたが、私は諏訪の考え方を完全否定しているわけではない。彼がレーモン・ルーセルの項で言っていることは、あくまでも正しいと私は思う。

「物語は普通、我々の物語元型への既知を巧みに利用し、それを模倣・再生する。つまるところ、すべての物語とは、既知の物語なのだ。」

 物語が既成の文学を補完するものでしかなく、制度としての文学を延命させるものでしかない、という考え方がここでは示されている。その意味で諏訪の言葉は正しい。しかし、〝未知の物語〟というものは存在し得ないのだろうか。想像力を全開にした驚異の物語は、未知の物語であり得るのであり、否定すべき物語の範疇を超え出ていくものとして評価できるのではないだろうか。それを物語と呼ばず、批評と呼ぶのだとすれば話は違ってくるが。ただ、既知の物語を超えていく営為がそのまま批評であると、私には言うことができない。
 諏訪哲史は芥川賞作家であり、小説家としてデビューした人だが、根っからの小説家は彼のようには考えない。虚構と物語はイコールではないかもしれないが、もっと虚構の可能性に賭けようとする姿勢を見せるのが普通の小説家である。ノーベル賞作家バルガス=リョサならば、小説における虚構というものを現実の世界に対する〝もう一つの現実〟として提起し、虚構が現実を乗り越えていく可能性に賭けるに違いない。
 そういう意味で諏訪の位置は、小説家よりも批評家に近いと言うことができる。ウラジーミル・ナボコフの項の冒頭にある次のような一節は、小説家の文章とはかなり異質なものがある。

「文学とは言語の病、倒錯である。優れた創作は優れた倒錯、優れた作者は優れた倒錯者、」芸術は闇に咲く、目映い倒錯の徒花である。」

 私はかつて、「批評と逡巡あるいは「批評」と「倒錯」」という文章を書いたことがあり、批評という行為を性的倒錯をも含んだ倒錯と同一視しようとしたことがある。というよりもむしろ、性的倒錯と表現論的倒錯とを意識的に同一化させて、批評という行為と対峙させたのであった。
 性的倒錯が人間の「内部」と呼ばれるものの空間的・時間的肥大とともに発生するのであるならば(このことについて詳述することはこの場ではできない。拙文を読んでいただくしかない)、表現論的倒錯と同じ発生源を持っていると思われたからである。私は別の「離反の融合」という文章で、次のように書いた。

「だから、「性的倒錯」なるものが独立に存在することはないし、「表現論的倒錯」なるものもまた、自律的に存在できるものではない。存在するのは、性的理解に限定されない、精神の運動としての「倒錯」そのものだけである。」

 私はその時、倒錯というものと批評というものを結び付けて考えたのだったが、諏訪はナボコフの項で、倒錯を文学一般あるいは小説そのものと結び付けて考えているのである。私にとっての批評は、倒錯の後ろめたさと強く結び付いたものであったし、諏訪にとってもそうであったであろうことは、「言葉の病」という後ろ向きの言葉や「倒錯の徒花」という否定的な言葉によって明らかである。
 しかし、そのような後ろめたさは克服されなければならない。諏訪の文章は倒錯を前向きに肯定する方向へと進んでいく。「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」の語源となった『ロリータ』を書いたナボコフは、「優れた倒錯者」であり、「優れた作者」でなければならないのである。ここにも性的倒錯と表現論的倒錯を、戦略的に同一化しようという姿勢が窺える。
 私もまた「倒錯とは倒錯からの快癒の運動である」というテーゼを立てて、開き直ることで後ろめたさを払拭することができたのだったし、諏訪もそうであったに違いない。
(つづく)

 


諏訪哲史『偏愛蔵書室』(2)

2023年01月15日 | 読書ノート

 ただし、こうした考え方は、物語や批評、詩がそれぞれ独立して存在しているか、あるいは存在できるという固定的な考え方に結び付く恐れがある。たとえば、批評には物語がないかといえば、そんなことはないのであって、ミシェル・フーコーが自著『性の歴史』について「それもまた虚構である」と言ったように、哲学的論考でさえ虚構の一種として捉えることができるのである。
 私はこれまで批評だけを書き継いできたが、それが虚構であることを意識しないで書いたことはない。私は論理の筋道を〝物語〟のように構成してきたし、おそらく批評でさえそのように書かれざるを得ないのである。それが〝俗情との結託〟に陥るかどうかはまた別の問題である。
 また、批評が詩を孕む一瞬ということもあり得る。批評の文章を書いていく過程で、ある一文が啓示のようにしてもたらされることがある。諏訪は林静一の項で「何度でも言うが、使途は情念である以上に技法(テクネー)であり、ゆえにそれだけが技術(アート)となる」と書いていて、詩の技術的側面を強調しようとするが、それだけでは測れない部分がある。批評から見てもそのことは言えるが、詩それ自体から見るとすれば、〝詩=技術〟という議論は十分なものとは言えない。
 諏訪は横光利一の項で次のように書いている。

「内容だけを右から左へ伝達するもの、それが物語。これに飽き足らず、物語に変形・加工を施そうとする不断の革命精神が批評。批評の要請に応じて言葉を歪曲し、伝達にあえて迂路(うろ)を創り出す技術が詩だ。」

 このようなことを言われたら、多くの作家は腹を立てるに違いない。物語が「内容だけを右から左へ伝達するもの」でしかないとするならば、人間の想像力・創造力が否定されてしまうことになるからだ。我々は多くの超自然的な物語を知っているが、それらが読者に与える驚異の感覚について、それを単に「内容だけを右から左へ伝達するもの」と呼ぶことができるだろうか。
 また多くの詩人も腹を立てるに違いない。詩が批評を孕んでいるということは、ボードレールの時代から言われてきたことであり、小説だけが批評を要請するのでもなければ、批評が詩を要請するのでもない。ボードレールの詩が、彼の批評的営為によって支えられていたように、現代の詩人もまた世界に対する不断の批評的営為によって、初めて詩人たり得るのであって、彼が批評によって呼び出され、技術的要請によって存在意義を与えられると考えることは間違っている。
 ということは、「詩」が独立して「技法」や「技術」に還元される行為なのではないということを意味している。諏訪は「物語」と「批評」と「詩」が分業体制を受け持っているかのような言い方をしているが、そうした考え方はおかしいのではないか。「詩」と言わず、「ポエジー」(詩性)と言わなければならない。ポエジーとはひとが世界に対峙する中で、ある一瞬啓示のようにもたらされるものであり、それを簡単に技術に還元してはいけない。
 私の議論が不可知論的で、神秘主義的だと言うならば、ヴァルター・ベンヤミンの「言語一般および人間の言語について」を読んでみるとよい。そこには言語の本質が見事に捉えられていて、啓示ということが言語の本質的な在り方そのものによってもたらされるものであることが、示されているはずだ。ポエジーの発生する地点は恐らくそこにしかない。
(つづく)
 

 


諏訪哲史『偏愛蔵書室』(1)

2023年01月14日 | 読書ノート

 三月までに諏訪哲史の『アサッテの人』を読むことになっていて、同じ著者による『偏愛蔵書室』という書評集を発見したので、さっそく読んでみることにした。古典的名作からマイナーな作品、初めて聞くような埋もれた作家の作品まで、百冊が取り上げられていて、私の読書傾向と近い部分もあり、面白そうだったので飛びついたのだった。
 マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の項は、次のように書き始められている。

「世界文学史上最高の小説である。誰がどんなに頭から湯気を出して反論しようが、この事実だけは動かし得ない。」

 いきなりこんな風に言われると、私のように大学でフランス文学を学びながら、この大長編を読んだことがないという破廉恥漢には、言うべきことがなくなってしまう。しかも諏訪はこの書評のたかだか本書で三頁の文章を書くために、『失われた時を求めて』を三度目に読み返したというのだから恐ろしい。偏執狂である。私も結構書評を書いたことがあるが、その都度必ず読み返すということはしない。記憶に頼って読み返さずに書くことの方が多いし、そうでなければあまりにも労力が大きすぎて、言ってみれば費用対効果に疑問が発生する。
 しかし、諏訪が次のように続ける時、何とか発言していく手掛かりは与えられる。

「本作には要約困難な膨大な「物語」があり、物語よりも多く「詩」が、詩よりも多く「批評」がある。僕の知る限り、三要素をこれほど完璧な黄金比で体現した小説は存在しない。」

 これが本書における諏訪の小説観として、真っすぐに貫かれている考え方である。ここで大切なのは、20世紀後半に澎湃として巻き起こった物語否定論がさりげなく批判されていることである。プルーストの小説に「批評」が「詩」よりも多く、「詩」が「物語」より多くあり、それが黄金比で体現されているというからには、「物語」の比重が少ないということであるし、「物語」を諏訪が最重要視してはいないことを示しているとしても、「物語」が否定されているわけではないからである。
 フランスのヌーボー・ロマンの作者たちのやったことは、物語を全否定し、物語を解体して墓場に葬り去ることであったが、彼らは結局小説そのものを埋葬してしまった感がある。そのことがヨーロッパの小説の衰退・没落をもたらしてしまったことは、反省するに足ることであっただろう。
 一方で、ラテンアメリカ文学の隆盛は、それが物語を否定することなく、小説の屋台骨として物語を維持することによってもたらされたようにも見える。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』をその代表とみなすことができるが、では〝物語の復権〟ということを主張すればそれでよいのかというと、そんなこともないのである。
 21世紀に生きる我々は、物語ということに対して微妙な位置にある。物語という枠組みが、娯楽を求める俗情へのおもねりであったり、あるいは制度としての文学への保守的な姿勢によって保持されているのであるならば、それは否定的にみられても当然であろう。しかし一方、ラテンアメリカ文学に見られるように、物語が小説世界を活性化させる力を持っているのであれば、物語は小説にとって欠くことのできない要件だということもできる。
 つまりは、諏訪哲史のような考え方、小説はもともと物語・批評・詩という三つの構成要素を持ち、そのバランスの上に成り立っているという考え方を持ってすれば、我々のジレンマは解消されることになる。

諏訪哲史『偏愛蔵書室』(2014、国書刊行会)

 


「北方文学」86号紹介

2023年01月04日 | 玄文社

「北方文学」86号紹介

 

「北方文学」第86号を発行しましたので、紹介させていただきます。先号発行の直後の7月7日に、古くからの同人米山敏保氏が胆嚢癌からの転移で亡くなりました。これで創刊61年を迎えた「北方文学」の第1次同人すべてが鬼籍に入ってしまいました。追悼特集を組むことにしました。米山氏がまだ20歳代だった頃の短歌作品と中期の小説作品を再録し、略年表を編集し、追悼文を数編載せてあります。老成した米山氏しか知らない我々にとって、若い時の短歌は目の覚めるような瑞々しさを持っています。また女性を描いて名人の域にあった米山氏の小説もお楽しみください。

 

巻頭は魚家明子の詩2篇、「骨」と「さびしい石」です。彼女の短い詩作品は緊張感に溢れていて、詩人としての生きにくさを「ひりひりと」感じさせるものがあります。どの1行も無駄がなくて、完成の域に達していると思います。

 二人目は館路子の「幽かな秋の時間の、狭間」。いつもの長詩で、魚家の作品とは対照的です。動物や植物が総出演でにぎやかですが、執筆者紹介に「庭の松に鳩、鵯、雀が来てそれへ語り掛けるように家猫が啼く。家に近い用水路には白鷺、アオサギを時々は見る。詩の素材はおのずと空から来て呉れる」とあるので背景が分かります。詩の言葉が動物の鳴き声のように空から降って来るのだとすれば、なんと幸福な。

 続いて大橋土百の俳句「海境のゆらぎ」。一年間の思索ノートからの俳句選であるため、作風は様々ですが、土百らしい諧謔に満ちた句もあり、シリアスな句、時代と切り結ぶ句もあって、いつものように楽しく読むことが出来ます。

 

 昨年6月11日に柏崎の游文舎で開かれた、高橋睦郎氏と田原氏の対談録を載せました(本文は6月22日となっていますが、間違いでした)。俳句と短歌との違いから始まって、世界における俳句の独自性、「和魂漢才洋識」という視点から見た日本近代文学のあり方、さらには高橋氏の世界の文豪たちに問うという姿勢など、充実した内容でスリリングな対談となっています。同人雑誌にこのような講演録を載せることが出来ることを、誇りに思ってもいいのではないでしょうか。

 

 批評はまず、昨年東京国立近代美術館で開催された、ゲルハルト・リヒター展の、霜田文子による展覧会評から始まります。題して「「描かれた《ビルケナウ》」の向こう——ゲルハルト・リヒター展を観て」。ナチスドイツのユダヤ人収容所ビルケナウで、ゾンダーコマンドが隠し撮った写真をもとにした、リヒターの《ビルケナウ》という連作についての分析が主体となっています。ベンヤミンの「絵画芸術あるいはツァイヒェンとマール」という論考を参照している部分で、〝媒質としての絵画〟に言及しているところがあり、ちょっとびっくりさせられるような視点で書かれています。リヒターの最高傑作とされる《ビルケナウ》への評価に、やや疑問を呈しているところも興味深いのではないでしょうか。霜田でなければ書けない一篇です。

 次は柴野毅実の「『テラ・ノストラ』のゴシック的解読――カルロス・フエンテスの大長編を読む――」です。このところ柴野が追求しているゴシック論の一端で、メキシコの作家フエンテスの最高の問題作とされる『テラ・ノストラ』を、ゴシック小説の視点から解読しようという試みです。完読されるのをフエンテスが嫌がったといういわくつきの作品ですが、ゴシック小説、特にチャールズ・ロバート・マチューリンの『放浪者メルモス』を参照することで、糸口をつかむことが出来ます。今回は前半まで、後半の展開が待たれます。

 岡嶋航の「backrooms――あるいは無限の空間について——」が続きます。ネット上に拡大再生産されるbackroomsという動画に最初に触れ、無限というもののもたらす不気味な恐怖について論じていきます。ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の映画「キューブ」や、マリオ・レブレーロの小説『場所』を参照することで、広場恐怖症と閉所恐怖症の並列性という結論が導き出されます。スリリングな論考です。

 漫画論「背中は見えない——藤本タツキ『ルックバック』」という漫画論は、このところサブカルチャーを論じることの多い鎌田陵人によるもの。前号で映画「悪魔のいけにえ」を論じた鎌田は、それに影響されて描かれた藤本の「チェンソーマン」から、「接続」と「切断」というテーマを剔出して、『ルックバック』についても論じていきます。

 榎本宗俊の「食養生」が続きます。かつての日本人の食に関わる短歌を紹介しながら、現在は失われた食に関わる豊かさや健康への志向について論じていきます。

 

 研究では、鈴木良一の「新潟県戦後五十年詩史――隣人としての詩人たち〈20〉」が完結を迎えました。資料集めの段階から数えれば20年がかりのこの労作は、ずっと注目を集めてきましたし、労多くして功の少ないこの種の研究の割には高い評価を得て来たと思います。日本広しといえども、どこの県にもこのような詩史は存在しません。新潟県だけに止まらず、中央の詩壇にかかわる部分もあり、この労作は全国の詩人にとって、今後スタンダードとして位置づけられるでしょう。扱ったのは1995年まで。今後誰かが2022年までを補塡することがあるとはとても思えません。

 坂巻裕三の永井荷風研究「麻布市兵衛丁「偏奇館」界隈、時間と空間」が続きます。荷風は大正9年、実家の「断腸亭」を売却して、麻布市兵衛丁に「偏奇館」を建てて移り住みますが、それまでの外国遊学、就職、帰国後の放蕩生活のすべてが親がかりだったことからの離脱を志したものと見ています。当時の重要な作品「花火」や「震災」『濹東綺譚』を取り上げながら、情け容赦もなく変わりゆく東京の都市風景への荷風の違和感について語っていきます。そこには坂巻自身の変貌を重ねていく同時代への違和感と共通するものがあるようです。

 

小説は2本あります。まず板坂剛の「イビサの女」。いつものように差し引きゼロに終わる虚構らしい虚構の世界です。短くて読みやすく、破綻がありません。読後たとえようもない人生に対する虚しさを感じないではいられません。

 柳沢さうびの「瑠璃と琥珀」は先号の「えいえんのひる」との連作になっています。登場人物の枠組みはそのままに、視点を変えて書かれています。当然、文体を変えていく必要がありますが、柳沢はその難題に見事に答えています。「えいえんのひる」で示された謎が解明されていきます。すでに名人の域に達した彼女の作品の評価が期待されます。

 

以下目次を掲げます。

 

館路子*幽かな秋の時間の、狭間/魚家明子*骨/魚家明子*さびしい石/大橋土百*海境のゆらぎ

【追悼・米山敏保】米山敏保*薄日射/米山敏保*池の記憶/米山敏保略年譜/追悼文・福原国郎*「何のことはない」/徳間佳信*古備前の徳利――米山さんの思い出に代えて――/柳沢さうび*「百済仏なんて博物館にしかない」

【高橋睦郎×田原 対談録】俳句と現代詩の世界

霜田文子*「描かれた《ビルケナウ》」の向こう――ゲルハルト・リヒター展を観て――/柴野毅実*『テラ・ノストラ』のゴシック的解読――カルロス・フエンテスの大長編を読む(上)――/岡嶋 航*backrooms――あるいは無限の空間について――/鎌田陵人*背中は見えない――藤本タツキ『ルックバック』――/榎本宗俊*食養生について/鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史――隣人としての詩人たち〈20〉/坂巻裕三*麻布市兵衛丁「偏奇館」界隈、時間と空間/板坂剛*イビサの女/柳沢さうび*瑠璃と琥珀

 

 

お問い合わせは玄文社、genbun@tulip.ocn.ne.jpまで。

 


石川眞理子『音探しの旅』を刊行しました

2023年01月01日 | 玄文社

みんなこの街のどこかに住み、働きながら

音探しの旅を重ねている

自分が自分で在り続けるために

(石川眞理子「音市場の朝に」より)

 

A5判194頁 定価(本体1,000円+税)

柏崎市内書店で販売中

 

2022年5月享年65歳で亡くなった石川眞理子の遺稿集。柏崎で「JAZZ LIVEを聴く会」を設立し、日本海太鼓のメンバーとして活動、2007年の新潟県中越沖地震直後には、「かしわざき音市場」を立ち上げ定着させるなど、地方における音楽プロモーターとして八面六臂の活躍をして駆け抜けた石川の軌跡をたどる。石川眞理子遺稿集編集委員会の編集による一冊。

 

昨年5月、石川眞理子さんの訃報に接したのは游文舎で「LPを楽しむ会」を開こうとしているときでした。「まさか」の思いで自宅に駆け付けた時、彼女は既に死に装束で布団に横たわっていました。乳癌で放射線治療を受けていたため、着けていたカツラが妙に若々しくて、生きているようにしか見えませんでした。

同級生の猪俣哲夫さんとエトセトラの阿部由美子さん、金泉寺の小林知明さんが「石川眞理子遺稿集編集委員会」として、石川さんが残した遺稿の数々をまとめ、一冊の本に編集してくれました。玄文社主人は原稿の校閲・校正と年譜作成のお手伝いをしています。思い入れのある一冊です。

 内容は「ジャズのこと」「太鼓・音楽のこと」「音市場のこと」「平和・原発のこと」「社会・友人・家族のこと」の5部に分かれていて、そんなにたくさんの文章があるわけではありませんが、彼女の多方面にわたる活躍を偲ばせます。そういえばいつでも忙しくしていた人でした。ひとの5倍くらい働いて、ひとの5倍くらいの成果を上げて、ひとの5倍くらい充実した人生を送って、消えていきました。

 ジャズ論はプロのレベルに達していると思います。技術論だけでなく、音楽の奥にある感性や精神性にも迫っています。音楽好きの人はあまり本を読んだり、美術鑑賞をしたりしない人が多いようですが、彼女は違っていました。玄文社刊行の霜田文子著『地図への旅』についての書評やケーテ・コルヴィッツ論は、彼女の論理的な読解力だけでなく、優れた芸術的感性を示した素晴らしい文章です。

「平和・原発のこと」では、彼女の社会的活動の一端を窺うことが出来ます。反原発の集会で司会をつとめていたのを思い出します。その時は徹夜で準備したと言っていましたから、そういうことはよくあったようです。反戦の演劇や原爆の悲惨を訴える映画上映会でも司会をしていた彼女の姿が目に浮かんできます。そんなときも本業の仕事が終わってから、徹夜して準備をしていたのでしょう。

「社会・友人・家族のこと」で、父親のことを語っている文章がありますが、こうして親を尊敬することのできた人を羨む気持ちが私にはあります。また柏崎の「えんま市」のことを回顧して書いた文章は、通称えんま通りに生まれ育った人でなければ書けないもので、懐旧の念を掻き立てる文章になっています。

 もっとたくさんの文章を書き残して欲しかったという思いがしてなりません。

 


批評と亡霊

2022年10月19日 | 玄文社

このほど玄文社主人の文章が、アジア文化社の総合文芸誌「文芸思潮」85号に掲載されたので、紹介します。

この号の目玉は「文芸評論の危機」と題した特集で、中でも井口時男氏を司会役とし、若手批評家4人が発言する座談会「文芸評論の現状ー危機と打開」が面白いと思います。

ちなみにこの雑誌はアマゾンから購入できます。

では長いですが、お読みください。

 

批評と亡霊

  小学生の時からよく本を読む少年だったが、本当に文学に目覚めたのは、中学生の時、母方の祖父の家にあった屋根裏部屋の本棚に、ドストエフスキーの『死の家の記録』を見付けて読み、さらに『罪と罰』を読んで大きな衝撃を覚えてからだった。それからは文学というものが自分の中で最も大きなテーマとなった。中学時代はものを書くということはなかったが、高校生になってからは友人と回覧雑誌を作ったりして、書くことを始めていた。高校時代には部員でもなかったのに、文芸部の雑誌に三年続けて批評文を寄稿した。気がついたら詩でもなく、小説でもなく、文芸批評のようなものを書くようになっていたわけで、それがどうしてだったのか自分でもはっきりとは分からない。

 しかし、それが当時一世を風靡していたジャン=ポール・サルトルの実存主義といわれるものの影響であったことは確かだ。当時日本でも実存主義が蔓延していて、ありとあらゆるものが実存主義と関連付けられていたが、今になって思えば実存主義を謳えばどんな本でも売れたのであって、おかげでサルトル周辺の本をよく読まされたのだった。高校生でサルトルが理解できたとは思えないが、その文学作品に対するアプローチの仕方に興味があった。『存在と無』は分からなくても、『シチュアシオン』の方はそうでもなかったのだ。

 小林秀雄に代表される日本の文芸批評もよく読んだ。小林秀雄だって高校生に分かるはずもないが、やはりその文学作品に対する接近の仕方が、私の体質によく合っていたのだと思う。中原中也のことを書く批評家としての大岡昇平などの著作に触れたのもこの頃のことである。しまいには、小説や詩作品そのものよりも、それを論じた批評作品の方を量的にも多く読むようになる、という転倒に陥ってしまうことにもなった。

 世の中には小説も書けば批評も書くという器用な人もいるが、私にはそんなことはできない。今までに詩を一篇だけ書いたことがあるが、それ以外は批評しか書いたことがない。文学のあらゆるジャンルの中で、最も読まれることの少ないであろう文芸批評というものを、ほんの一握りの読者に向けて、五十年以上書き続けてきたのだった。他に何も出来ないのだから、そのことを後悔したこともない。今日、文芸批評の終焉ということが言われようが言われまいが、私には関係のないことだと思っている。

 文芸批評については、他人の書くものをあげつらって気楽なものだと思われるかも知れないが、そんなことはまったくない。私は大学を卒業してから家業を継いで実業の世界に入ったが、批評の理念と実業の理念とが、自分の中でことごとく対立し合うという体験を日々強いられていた時期がある。文学書を読んで考えることと、実業の世界で考えなければならないこととが、いつでも背理の関係に置かれて、深刻な分裂に曝されることになるのだった。それは、批評が考えることが、直接人生に関わるものではないということに依っているのかも知れない。批評は他者の作品を通してしか人生に触れることができないのだから。

 社会人になってから「北方文学」という同人雑誌に参加して書くことを続けてきたが、批評ということに関わった友人たちが、二十代から三十代そこそこで次から次に死んでいくという苛酷な体験もあった。自殺もあれば、事故死も、癌死もあったが、彼らの批評行為はぎりぎり観念的なもので、生活の課題と思想的な課題との間で葛藤を続け、生き抜くことができずに次々と斃れていったというのが真実に近い。自分もまたそうした苦闘を抱えていたので、彼らの死は私に甚大な危機をもたらした。私は死んだ友人たちの霊に取り憑かれてしまったのである。

 そんな中、私はかろうじて生き延びたのだが、批評行為を続ける中で、彼らが抱えていた本質的な生きづらさに直面することを強いられた。批評というものは、「書くことは生きることだ」というような楽観主義とは無縁の表現行為である。表現行為が「作品」を通してしか文学について語り得ないということは、それが主観的であれ、客観的であれ、生きることの等価物ではあり得ないということを意味している。

 私はそんな苦渋に満ちた行為を「表現論的倒錯」と呼んだこともある。あるいはそれは「倒錯」そのものであったかも知れない。私は「倒錯」の反対概念としての「健常」が、社会的または歴史的な概念にすぎないことを逆手にとって、「倒錯とは倒錯からの快癒の運動である」というテーゼを立てて開き直り、そんな苦境を乗り越えようとしたのだった。

 批評は人に思想的なテーマや哲学的なテーマに向き合うことを必然化させるが、そんな中で批評主体はどんどん内省的になっていく。あらゆる表現行為の中で、批評ほど内省的、あるいは内向的な行為はないということも言える。批評は一人称でしか書かれ得ない唯一の表現行為である。客観的な論述のように見えても、その裏には「……と私は思う」とか「……と私は考える」という発言が隠されている。だから批評家が小説を書くと、どうしても私小説的な方向に傾きがちになる。〝私〟という意識が、世界で唯一無二のものであるというのが、批評の本質的な認識であるからだ。

 私は特別に批評理論を学んだこともないし、特定の思想に立脚した批評を行ってきたのでもない。またさまざまな文芸批評家と呼ばれる人々の本を読んできたにしても、特定の批評家に支配的な影響を受けたこともない。ただ作品を通して自分の考えていることを発言してきただけである。しかし、私には最初からテキストクリティックという習性が染みついていたように思う。

 私はロラン・バルトの『作者の死』を読んだこともないから、作品を作者の伝記的事実に還元してはいけない、というような理論を意識的に採用してきたわけでもない。ただ私には作者の残した伝記的な痕跡に興味が持てなかっただけのことだ。だから私にとっては、江藤淳のような批評家が最も苦手な存在であって、夏目漱石が嫂に懸想していたとか、肉体関係があったとかいう推測に、何の興味も湧かないし、そうした事柄が作品そのものに大きな影を落としているなどという主張に同意することがまったく出来ないのである。

 私にとっては、作品にテキストとして書かれていることがすべてであって、分析の対象はそこに収斂される。その時作者というものは私の視界から消え失せるのであり、消え失せることこそが作者というものの特権でさえあると私は思う。先日「北方文学」も共催者として名を連ねた、柏崎市の游文舎での講演会で、詩人の高橋睦郎氏は「僕は詩人というものは、本来、いろんなことに対して精神的に盲目でなければならない。実際に眼を開いてものを言うのは作品であって作者ではない」と語っていた。世界に対して開かれているのは作品であって、作者ではない。それは詩であろうが、小説であろうが同じことである。

 テキストはまた、過去や同時代のテキストと共鳴したり反発したりするが、そこにテキストとテキストの間の磁場が形成される。そうした磁場に分け入ることもまた批評の使命であるし、それもまた作者が要請するのではなく、作品が要請するのである。その要請に従うことは、テキストとテキストとの関係が繰り広げる、広大で豊饒な世界と向き合うことであり、それは作者の人間性などに対する探究よりも遙かに有意義なものだと私は確信している。

 私はこれまで、作家論的なものを書いたことがない。特定の好きな作家は何人かいるが、その作家の生涯を辿るとか、彼の実生活と作品との関係について追求したりするということに、興味が持てないからだ。だから私の書いてきたものはほとんど作品論に偏っているのである。私の中で作者というものは、批評を書き始めた時にはすでに死んでしまっていたのかも知れない。そしてテキストに対する強いこだわりは、言語そのものに対するこだわりにつながっていく。

 言語というものに直接こだわり始めたのは、ソシュールの言語学に触れてからだったと思うが、それはレヴィ=ストロースの『野生の思考』を読んだことがきっかけになっている。『野生の思考』にはソシュールの言語学が大きな影を落としているのである。物事を通事的にではなく共時的に捉えることは、ソシュールの考えに沿っていたし、それが未開民族への偏見の払拭を可能としたのである。それはまたマルクス主義的な進歩史観への根源的な批判でもあった。私はマルクス主義の影響を受けたことはないが、サルトルの実存主義はその裏に教条的なマルクス主義を隠し持っていた。レヴィ=ストロースの『野生の思考』巻末のサルトル批判は、高校生の時から囚われていたサルトルの思想から、私を決定的に解放してくれる議論であった。

社会人になってから『野生の思考』を読んだことは、私にとって最も大きな事件であった。サルトルの思想の呪縛から解放され、生活と文学の矛盾に囚われていた私は、この本によってはじめて精神的な解放感を味わうことになった。とたんに生きることがそれほど苦痛ではなくなったのも事実である。また書くことへの信頼を取り戻してくれたのも『野生の思考』だったのであり、この本によって私の周りに取り憑いていた死者たちの影も随分と薄らいできたのだった。

 こうしてレヴィ=ストロースの導きによってソシュールの言語学に触れることになるのだが、ソシュール自身は著作を残しておらず、ソシュール自身のテキストというものはほとんど存在しない。だから弟子たちの残した講義録や日本における祖述者たちの本によって、基本的なソシュール言語学の概略を理解していくしかなかったが、重要なところは理解できたように思う。その後私はヴァルター・ベンヤミンの「言語一般および人間の言語について」という論考に取り組むことになり、彼がソシュールとほぼ同時に言語の本質を捉えていたことを知った。そして、この短い論文こそが私の言語観を決定的なものにしたのだった。

「われわれはどのような対象にも言語のまったき不在を表象しえない」とか、「どの言語も自己自身を伝達する」といった一節は、論理の飛躍の中に言語に対する奥深い真理を孕んでいた。私は精神現象が物質的なものの解明によって説明されるとする、自然科学者たちの一元論的な議論に対して反論すべく、ベンヤミンの言語論を中心に据えて、『言語と境界』という理論的な本を五年前に書いた。これが私の最新の著書となっている。これからもベンヤミンを通して得た言語観が、私の批評の中核をなすことだろう。


「北方文学」第85号紹介

2022年07月08日 | 玄文社

「北方文学」第85号が発刊されましたので、紹介させていただきます。発行直前に同人の坪井裕俊氏が急逝大動脈瘤解離で急逝され、昨年10月に亡くなった同じく同人の長谷川潤治氏と合わせて、追悼特集を組むことになりました。二人とも団塊の世代で、この世代はどうも長生きはできないようです。二人がまだ若かった頃の作品を再録し、略年表を作成し、追悼文を数編ずつ載せてあります。読んで二人のことを偲んでいただければ幸いです。

 巻頭は詩集『魚卵』で知られる三井喬子さんの寄稿作品です。題して「海堀とはかいぼりのことである」。題名も不思議な感じですが、中身も不思議なイメージに満ちています。「うるさい!」と怒鳴る池の主たる龍の存在感が中心にあって、この龍が何を意味しているのか?、池の水を抜く「かいぼり」とは何の象徴なのか?、いろいろ考えさせる作品です。
 三井さんの作品に触発されたのか、同人三人の詩が揃いました。ずいぶん久しぶりのことです。館路子「夏の未明・宙の篝火」、鈴木良一「亡き人へのオマージュ――庭仕事の人」、魚家明子「労働」と続きます。

 批評の最初は霜田文子の「ポ・リン/ここにとどまれ ブルーノ・シュルツ ―揺らぐ国境の街で―」です。1892年に生まれ、1942年にナチスによって殺害されたポーランドのユダヤ人作家ブルーノ・シュルツについての論考です。ロシアによるウクライナ侵攻の暴力と、ナチス・ドイツの暴力が、時代認識として重なっています。ポーランドはウクライナとともに、ナチスとソ連によって最も歴史の悲惨を体験させられた国であり、迫害されたユダヤ人という点ではヴァルター・ベンヤミンともつながっています。マイナーな作家ですが、ちゃんと『ブルーノ・シュルツ全集』全二巻も日本で出ているのでした。

 海津澄子の「遠藤周作と私――読書体験と宗教論――」が続きます。遠藤周作によってカトリック信仰へと導かれ、全作品を読んでキリスト教への思索を深めていった海津さんの、読書と思索の記録であります。カトリックの教義に縛られることなく、自分の頭で考え、神について、人について思考を深めていく姿に共感したいと思います。「本は人に知識を与え、読むことは共感のカタルシスを得させる。そしてそれだけでなく、その人が思想することを助け、その人自身の内側を作りあげていく」。全くその通りです。

 榎本宗俊の「寂寥のさなかの美質」もまた宗教論です。越後堀之内生まれの歌人宮柊二を中心として、その〈生活道〉に即した歌の本質に触れています。

 批評は以上3本で、柴野毅実の紀行文「ユイスマンスとシャルトル大聖堂――続・建築としてのゴシック――」へと続きますが、これも紀行というよりも批評に近いものかもしれません。コロナのパンデミックが始まる前の2019年に、シャルトル大聖堂を訪れた時の感想を、J・K・ユイスマンスの『大伽藍』に沿って展開したものです。ゴシック大聖堂の持つ美学的な矛盾を指摘し、それに無自覚であったユイスマンスへの批判となっています。しかし、ゴシック建築の持つ矛盾が、我々の内部の矛盾を惹起することも確かで、それは危うい美学的体験を強いる建築なのであります。柴野が撮影した写真23葉を掲載。

 続く徳間佳信の「現代中国のアイデンティティを巡る二篇」は、現代中国の作家張梅の「?里的天空」と、李其綱の「浜北人」について論じたものです。「浜北人」については著者による翻訳も掲載されています(「?里的天空」はすでに「北方文学」80号に「この町の空」とのタイトルで紹介済みです)。二つの論文は、現代中国の変貌の中における作者の自己アイデンティティの問題を分析したものになっています。「?里的天空」においては農民工と呼ばれる層の、「浜北人」においては都市民の意識の変化が捉えられています。

 鈴木良一の「新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち」も19回目を数え、長期にわたる連載もあと1回ということになりました。鈴木のライフワークといえるこの労作もついに完結というわけです。扱う年代は1991年から1995年で、最初に「北方文学」40号から44号までの動向が紹介されています。創刊者吉岡又司の定年により編集発行人が、長谷川潤治に交替しています。同人の若返りも進み、初期同人から第2世代への交代期と位置づけることが出来るでしょう。他には「BLUE BEAT JAKET」、「桜花文芸」、「地平詩集」、「掌詩集」、「くちなし」、「新潟詩人会議」、「泉」などの詩誌の活動が紹介されています。

 福原国郎の「疑惑――戊辰戦争余波――」は、福原家に伝わる古文書などの一次資料を根拠にした、福原らしい歴史研究と言えます。戊辰戦争が彼の故郷真人村に何をもたらしたかが手に取るように分かります。軍隊の食糧の現地調達という悪癖が旧日本軍に始まったことでないことも、それによって田舎の小村がいかに多大な迷惑をこうむったかということも分かるのです。〝疑惑〟というのは、その頃地元の庄屋が帳面の不正を行っているようだから調べてくれとの訴えがあったにもかかわらず、うやむやのうちに終わっていることを指しています。

 坂巻裕三の永井荷風研究も長丁場になりそうです。今号は荷風の二番目の妻であった舞踊家藤蔭静枝のことを調べた「荷風夫人・藤蔭静枝のこと」です。静枝の本名は内田八重で、新潟市の芸妓の家に生まれた女性です。東京に出て新橋芸者として売り出していた頃、荷風と知り合っています。最初の妻と結婚する前から荷風と八重は関係があったようですし、父の死後すぐに最初の妻を離縁して八重を二番目の妻として迎えています。八重は女出入りの激しすぎる荷風を見限って家を出てしまいますが、離婚後も二人はときどき関係を持っていたようです。荷風という人はなんという人だったんでしょう。この論考の後半は、静枝の調査のために新潟市を訪れた坂巻の、紀行文のような感じになっています。

 小説が3本。最初は魚家明子の「電車の夜」。8頁の極めて短い作品で、雪のため立ち往生した電車の中で出会った高校生の、死への恐怖を描いた掌編小説といったところでしょうか。

 板坂剛の「アンダルシアの罠」は、彼としてはいつもより短い作品で、これくらいの方が焦点がはっきりしていいのではないかと思われます。酷暑のアンダルシアで気を失い、記憶をも失った男の謎。アンダルシアにいるとばかり思っていた男は再び気を失ったと思うと、なぜか六本木のギャラリーにいるという夢幻的な作品になっています。それをつなぐのは、フラメンコの男女のダンサーを描いた絵画という仕掛けです。

 最後の柳沢さうびの「えいえんのひる」を紹介する前に、彼女の前作「反転銀河に擬似星座」が、文芸誌「季刊文科」88号に転載になったことを報告しておきます。まだ同人になって5年にも満たないのに、最初の作品は「文芸思潮」に転載になりましたし、恐ろしい才能です。今号の作品はいつもと打って変わってファンタジー風の味わいの小説です。前作は異常に漢字が多かったのに、今作はひらがなが多くて、タイトルまでひらがなになっています。当然前作とは文体も全く違っていて、いくつもの文体を駆使できる能力を証明しています。最後の文章だけ読んでください。「いっせいにつぼみをつけたおほりのはすが、とがらせた唇からぷうっとあまく涼しい息をはいて、次々に開いていった。もうすぐ、夏になる。」 決まってますね。

目次

【追悼・長谷川潤治】長谷川潤治*闇草紙/長谷川潤治*少年詩人・井上円了――新資料・稿本『詩冊』を読む――/長谷川潤治略年譜/追悼文・鈴木良一*同時代人としての長谷川潤治/福原国郎*あとは朧/鎌田陵人*長谷川先生と論語/柴野毅実*酒は骨で飲む!
【追悼・坪井裕俊】坪井裕俊*《異域》の精神--『大川の水』論 芥川龍之介の世界Ⅰ--/坪井裕俊略年譜/鷲尾謙治*弔辞/米山敏保*坪井さんの思い出/坂巻裕三*会いたかった同人
三井喬子*海堀とはかいぼりのことである/鈴木良一*亡き人へのオマージュ――庭仕事の人/館路子*夏の未明・宙の篝火/魚家明子*労働/霜田文子*ポ・リン/ここにとどまれ ブルーノ・シュルツ ―揺らぐ国境の街で―/海津澄子*遠藤周作と私 ――読書体験と宗教論――/榎本宗俊*寂寥のさなかの美質/柴野毅実*ユイスマンスとシャルトル大聖堂――続・建築としてのゴシック――/徳間佳信*現代中国のアイデンティティを巡る二篇/鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち〈19〉/福原国郎*疑惑―戊辰戦争余波―/坂巻裕三*荷風夫人・藤蔭静枝のこと/鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち第十章―一九九一年から一九九五年まで(前半)/魚家明子*電車の夜/板坂 剛*アンダルシアの罠/柳沢さうび*えいえんのひる

 


アルフレート・クビーン『裏面』(14)

2022年04月01日 | 読書ノート

 寓意するものと寓意されるものとの対応関係が一義的なものであれば、寓意されるものは寓意するものをすぐにでも駆逐してしまうであろうから、そこに幻想が生まれてくることはない。トドロフは第一の意味がすぐに姿を消すような作品の価値を低く見ていて、あからさまに寓意を目的とするような作品は幻想文学ではあり得ないといっているのである。
 また意味の二重性が併存するような作品においてもまた、結局は幻想性が失われてしまうとトドロフは言う。二重の意味が併存するのは、寓意するものとされるものとの関係が多義的であるためであり、寓意されるものがすぐには寓意するものを駆逐できないからなのである。ここで私の議論はトドロフの議論に交差することができる。
 ならば幻想性を保持するためには、一義的であれ多義的であれ、寓意そのものを放棄するしかない。トドロフに倣って言えば、二重の意味を作品内において明示しないという方針が必要になってくるだろう。『裏面』がいかに寓意的な要素を持っているように見えても、クビーンは明白にそのような方針を貫いているし、そうである以上『裏面』を寓意小説と見なすことはできない。
 クビーンは第四章の最後で、「パテラという現象は解明されずに終った」と書いている。つまりクビーンは最初から「パテラという現象」を解明しようというような意図は持っていなかったのだ。パテラが意味するものが、単に寓意的なものではあり得ないものだからである。
 エピローグの最後の一節は、そういう意味で、寓意というものが到底到達できない深みに達している。前半を引用する。

「やがてふたたび生きてゆこうとするようになった時、私は自分の神が半分の支配権しか持っていないということを、発見した。大なり小なり、彼は生命をねらっている敵対者とすべてを分けあっていたのだ。突き離したり引きつけたりする力、それぞれの流れを持っている地球上の極、四季の移り変り、昼と夜、黒と白――それらはいずれも闘争なのだ。」

 この謎めいた文章は、色々な意味で示唆的である。「自分の神」とは直接的にはパテラのことを指しているが、それが「半分の支配権しか持って」おらず、敵対者と権力を分け合っていたのだということは、パテラもアメリカ人も「半分の支配権しか持って」いなかったことを意味しているし、そもそもこの二つの存在は互いに陰と陽として闘争を繰り返す、元々一体のものだと考えることができる。
 これがクビーンの世界観であり、これに続く以下の言葉は、それが同時に彼の人間観であり、神に対する認識でもあったことを示している。

「真実の地獄は、この矛盾した一人二役がわれわれの内心において継続されていくところにある。愛自体がその重心を「排泄孔と糞溜のあいだ」に持っているのだ。崇高な状況も、どうかすればおかしなものの、嘲笑の、皮肉の、手のなかに落ちこんでいきかねないのだ。

   造物主は半陰陽(Zwitter) なのである。」

 陰と陽との対立は「われわれの内心において継続されていく」のであり、それは「真実の地獄」を意味している。神にとってだけでなく我々自身の問題として。また陰と陽とが和合する「愛」の重心が「排泄孔と糞溜のあいだ」にあるのだとすれば、それは少しも崇高なものではあり得ない。陰と陽という東洋的な世界観は、ここで愛を司る器官への類推によって、半陰陽(ふたなり)としての神へと結論づけられる。
 すべては隠喩的であり、ここでのクビーンの言葉に寓意的な要素などまったくないのである。

(この項おわり)

 

 


アルフレート・クビーン『裏面』(13)

2022年03月31日 | 読書ノート

 以上のようにパテラは、神の似姿として造形されているが、それは遍在すると言いながら不在であり、約束を守ろうとせず、疲労に打ちひしがれた神としてなのである。ここには極めて現代的な神のイメージが示されているし、それはヨーロッパに関しての文明論的な探究の結果という意味さえ担っているように見える。だからパテラもまた多義的な存在であり、それを単に神の寓意として捉えることはできないのである。
 ところで、ツヴェタン・トドロフはその『幻想文学論序説』の中で、幻想文学と寓意との関係について、詳しく分析を行っている。寓意とはトドロフによれば、次のようなものである。

「第一に、寓意は同一の語群に少なくとも二つの意味が存在することを前提とする。ただし、第一の意味は姿を消すべきだとされることもあり、二つの意味が併存していなければならぬとされることもある。第二に、この二重の意味は、作品内に明瞭な方法で示されるのであって、特定の読者の解釈(恣意的であるとないとを問わず)に依存するものではない。」

 つまり寓意するもの(言葉)と寓意されるもの(言葉)があって、それらが二重の意味を形成しながらも、寓意するもの(言葉)はすぐに姿を消してしまい、寓意されるもの(言葉)の支配権が確立される場合もあれば、二重の意味がさまざまなバランスの中で併存し続ける場合もある。また寓意の意味は読者の解釈にゆだねられるのではなく、作者によって明瞭に示されていなければならないということである。
 寓意するもの(言葉)が消滅してしまうような作品には「そこにはもう幻想のための場などはありはしない」(トドロフ)のであり、いかに超自然的な現象が描かれていようとも、それを幻想文学と呼ぶことはできないのである。一方二重の意味が保持され、寓意するもの(言葉)が消えてしまわないような作品の場合、寓意の構造はより複雑で精妙なものとなる。トドロフはそのような例として、バルザックの『あら皮』を挙げている。
 私はトドロフの定義にもう一つ、寓意するもの(言葉)と寓意されるもの(言葉)との対応の一義性と多義性ということを付け加えてもいいのではないかと思う。寓意するものとされるものとの対応が一義的な場合には、そこに幻想性が保持される余地はまったくないが、その対応が多義的である場合には、そこに幻想性が保持される余地が残される。
 しかし、寓意の意味の解釈が読者にゆだねられることなく、作者によって明示されることが寓意の本質だとすれば、寓意するものとされるものとの対応が一義的であれ、多義的であれ、幻想性がいつまでも保持されることはないであろう。トドロフはバルザックの『あら皮』についても、「この作品の幻想は、寓意、それも間接的に指示された寓意の存在によって、殺されているのである」と書いている。
 クビーンの『裏面』は、一面では寓意的な物語とみなされることもあるかも知れないが、まず第一に、寓意するもの(言葉)と寓意されるもの(言葉)との対応が一義的であることはない。『裏面』でのそれは極度に多義的であって、寓意されるもの(言葉)の一元的な支配は許されていないのである。


アルフレート・クビーン『裏面』(12)

2022年03月27日 | 読書ノート

 アメリカ人ハーキュリーズ・ベルについて、彼が意味しているものについて寓意的に読み取ろうとしても、そう簡単にはいかない。時には経済至上主義的な勢力とも読めるし、彼が決起呼びかけの声明文に「呪術はたち切られねばならない!」と書いていることから、自由主義的な革命勢力を表象しているようにも読める。
 さらに声明文の最後で「すべての若者はルーチファー党員になれ!」と呼び掛けていることから、神と対立するものとして位置づけられているようにも見える。ルーチファーはルシファー、つまりは堕天使であり、悪魔と同一視されることもあるから、神の反対概念でさえある。しかし、アメリカ人はパテラを「サタン」と呼んで批判しているのであるから、本来の「光をもたらす者」として「サタン」に対立する存在とみなすこともできる。
 もともと「ハーキュリーズ」はギリシャ神話のヘラクレスのことであり、キリスト教にとっては異教の権力神であり、大きな暴力性を象徴している存在でもあるだろう。アメリカ人の表象するものがこれほど多義的である以上、それを単に寓意的に読もうとする試みは失敗するだろう。一方パテラの方はどうかと言えば、こちらは明らかにキリスト教の神のイメージをまとわされており、アメリカ人ほどの多義性はないかもしれないが、その代わりにヨーロッパがそれまで信仰してきた神とは、驚くほど異なった神の諸相を示している。だからパテラについても単純に神を寓意するものとして捉えることはできない。
 私が言う神の諸相は、「私」とパテラとの対決の場面に表現されているのである。最初の対決の場面で、まずパテラは「私」に次のように言う。

「君はいちども私のところへ来ることができないといって、苦情をいっているが、しかし私はいつでも君のそばにいたのだ。君が私を非難したり、私に絶望したりしている姿を、私はいくども見かけた。なにを君のためにしてあげればいいというのだ? 君の願いを言うがいい!」

 これが神の遍在の主張であることは明らかである。神は不在のように思われても、見えざる者として、いつでも人間のそばに寄り添っているということである。しかし、パテラの言葉は神の日常的な不在に対する言い訳のようにしか聞こえない。
 また願いを問われた「私」はパテラに対して、健康を害した妻を救ってくれと懇願し、パテラは「助けてあげよう」と答えるが、結局この約束が果たされることはなく、妻は死んでしまうのである。ここには救いの約束をしながらそれを果たさない〝神の約束不履行〟の姿が示されている。神は自らの責任を遂行することができないのである。
 二度目の対決で「私」はペルレの国の没落に際して、何もしようとしないパテラを難詰する。

「――私は最後の力をふりしぼって問いかけた。「パテラよ、きみはなぜ万事をなるがままにまかせているのだ?」」

「私」の問いにパテラは動揺したのか、しばらく返事を返さないでいるが、やがて返ってくる返事は次のようなものである。

「突然彼は金属的に響く低音で、「ぼくは疲れている!」と叫んだ。」

 約束を履行することもなく、責任を遂行することもない神は、今度は自らの疲労をその理由とするのである。