玄奘三蔵法師の遺骨(霊骨)が、ウチの近くの岩槻のお寺にあるということは知らないわけではありませんでした。が、出かけたことはありませんでした。
この9月に、奈良に旅し、平山郁夫の絵、大唐西域壁画を見るために薬師寺に寄ったさい、玄奘三蔵法師の遺骨(霊骨)を、岩槻の慈恩寺から薬師寺に分骨したことを知ったのです。なんで、ご近所にあるんだろう。ブログに書いています。<ここクリック>
旅から帰って一度出かけなくてはと思っていました。今日(10月13日)は、予定が何もない。お天気も悪くないので、出かけました。クルマで30分です。
玄奘三蔵法師は、西暦627年(25歳)に中国・唐を発ち、過酷な苦難の道を天竺(インド)にたどり着き、学び、645年(44歳)に、657部の経典を持ち帰り、翻訳した人です。般若心経も持ち帰った経典の一つです。亡くなったのは、664年(64歳)、今から1346年前のことです。その遺骨(霊骨)が、今、日本の、岩槻市の慈恩寺にあるのです。
*霊骨が慈恩寺に安置されたのは1944年(昭和19年)です。この十三重塔が落慶したのは、1953年(昭和23年)。
*ご本尊は十三面観音です。近隣の田んぼでとれたばかりのお米が奉納されていました。
*天井から額がかかっていました。中国・長安の大慈恩寺の風景、塔は大雁塔、の油絵です。本家の大慈恩寺は、玄奘三蔵法師が住職になり、経典を訳したお寺です。
【おまけ】
*寺務所で、お守りやお札を売っていました。その中にあった2冊の小冊子を買いました。“三蔵法師の霊骨が岩槻の慈恩寺に来たいきさつ”が細かく書いてありました。
*今年は、岩槻・慈恩寺に玄奘塔が建立されて60周年です、イベントが開かれているようです。10月23日、24日には、“玄奘三蔵法師の里づくり・フェスティバル”だそうです。フェスティバル!!!です。なんでも、まちおこしです。
*玄奘三蔵法師の霊骨は、1300年の歴史の流れに、多くの戦乱、政治的役割、などなど、の中にあったようです。伝説と真実は異なるかもしれません。今、軽々しく、このブログに書けそうにありません。もう少したくさん読んでから書くことにします。
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