先日(5日)、世間では仕事初めの日、私の病院初めに、1時間かけて松戸に行きました。駅前の<駅構内での物品の販売は禁止です>的な場所で、女子高校生(制服だったような?)のような二人が、小さく店を出して<豆餅>を売っていました。年末に、農家のオバサンが野菜を売っていたところです。
豆餅・2パック(500円×2)を買いました。迷わず買いました。
豆餅、ここでいう豆餅は、<なまこ餅を切った形の豆餅>です。子どもの頃から大好きなのです。
50年前の、岡山県下の山間部では、お正月の餅が2月いっぱい位まで残っていました。カビません。後半は豆餅ばかりだったのです。
ちょっと記憶があやしいのですが、給食は、中学校ではなし、小学校も、週に何回か、だったように思います。お弁当に<餅のつけ焼き>だけを持ってくる人も何人もいました。
私は、昼食にウチに食べに帰っていたことがあります。お昼ごはんを食べて、ズボンの左と右のポケットに、一本ずつ焼いた豆餅を入れて、学校に戻っていました。ポケットの餅の暖かさを感じながら、かじりながら学校に戻っていたのです。小学生時代の記憶です。
当地、春日部市(旧庄和町)に住むようになって、その豆餅が手に入らないのです。むろん自分の家で餅をつきません。普通のお餅は、<丸餅>にはこだわらず、角餅でいいのですが、豆餅が食べたいのです。 7,8年住んでいた大阪にも豆餅がないように思いました。岡山・広島あたりだけのことなのでしょうか。
さいたま生協の<注文配達>の中に、ごくたまにあったりはします。ネットで調べると通信販売もあるようです。広島県に住む弟夫婦が送ってくれることもあります。
*ああ、このお皿、知人のmさん夫妻が、男の子(がくちゃん)の出産祝いに、描いて作ったお皿です。もう20歳を越えたでしょうか。
この日の豆餅は、美味しいのですが、<薄く切りすぎ>です。もうちょっと厚くどっしりしたのが、私らの豆餅です。ひょっとすると<オカキ>用かもしれません。
大事に食べたいのですが、すぐなくなりそうです。
【おまけ】
* 日本が<狭くなって>、その土地、その土地の風習・伝統・習慣は、薄められて消えそうでしょうか。今のウチの習慣?も、埼玉県の習慣ではありません。たまたま家人も岡山県山育ちですから、子どものころの習慣をなぞっているでしょう。
* ただし、<七五三>なんて、地域全体にあったとは思いません。貧しい時代だったからでしょうか。関東の風習だからでしょうか。娘が、<ウチは、七五三をやってもらえなかった>ということがあります。
* 自分の子ども時代の、土地の風習を思い出し、復習?することがあります。そんなときに使うのが、小冊子<備中井原地方年中行事>です。昭和14年に、東京で発行された「汎岡山」という雑誌に連載されたものを、昭和56年(1961年)に冊子化したものです。岡山市に住む、古本屋好きの兄が送ってくれたのです。
ひょっとすると、今、岡山県・備中井原地方に住む人より、忠実に風習・伝統を受け継いでいるかもしれません。
* お餅の話をもう少し。関東では、12月29日に餅をついたらいけないそうです。<九(く)餅=苦餅>です。私ら子どもの頃には、28日についたらいけないとされていました。<八百屋おしち(お七)が処刑された日>だから、火事になる、と。
* お正月には<あんころ餅=お餅の中にあんこの入った餅>は、作ったらいけない。外にあんこをまぶした<ぼた餅>はOKです。ぼた餅のことを<おていれ>と言っていました。
だから、旧正月の豆餅を山梨の友達にいただいたときには、ちょっとしたカルチャーショックでした。 友達の実家からのは、大豆、ゴマ、稗、粟、松の実などみっちり入っていて、餅はただのつなぎのようでした。 美味しかったわ~~
食べ物の記憶というのは、不思議ですね。その時の季節や気持ちなど色々な物をひっぱってきます。
豆餅は、お正月でない時につく餅かもしれませんね。
私が知らなかった<つきたてを大根おろし>で食べる<からみ餅>は、私のカルチャー・ショックでした。
スーパーで買わない、自分の家で作るを、取り戻さなくていけないですね。
こちら、<菜食、采だけ食>責めです。トン一の豚カツを食べたい。
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