先日、もう10日も前です。ワタシの郷里、岡山県井原に住む、兄夫婦から宅急便が届きました。ウチから送ったお歳暮のお返しでしょう。ウチから何を送ったのか、ワタシ自身はしりません。送られて来た段ボール箱を開けると、岡山の新聞=山陽新聞に包まれた“ふるさと”が出てきました。紅葉の葉っぱ、吊るし柿(=干し柿、自家製)、藁にぶら下がった唐辛子、お餅、それに、重箱に入ったお赤飯です。さらに驚いたのは、<フ―マン>が入っていたことです。
フ―マン=ふうふ饅頭。標準語、東京語ではなんというのか、はっきりしません。大判焼き?、大名焼き?でしょうか。店頭で焼く、6、7㎝径の丸い鯛焼きのようなものです。ワタシら、岡山県ではフ―マンと言っていました。焼いている店は一軒だけ、スギハラでした。夏は、かき氷、アイスキャンディを売っていて、冬には、フ―マンです。
スギハラのフ―マンを入れました、と手紙が入っています。
あの店もなくなった、あの店も壊したと、店の名を続けて<・・・・井原のまちが死んで、昔の店が亡くなったのに、まだやっている杉原の夫婦まんじゅう。1個70円、昔からの大きさ・・>。
故郷(くに)!を出てから50年です。涙ボロボロになって食べました・・・、ということはありません。
今でも、岡山県山間部と東京は、まだまだ遠い。インターネットは一瞬でつながる時代とはいえ、夕方に買ってきたホカホカのフ―マンを、東京、その先の春日部くんだりに、新聞紙に包んで送ろうという、気持ちに驚きました。日本は狭くなったのです。たぶん翌日夕刻に、届いたでしょう。さすがに、冷たくなっていましたが、チンして食べたのです。驚くべき宅急便のスピードです。
兄夫婦の名誉のために付け加えます。
ちゃんとした、地元の銘菓も入っていました。朗廬饅頭です。
朗廬饅頭は、わが母校・興譲館の、館祖・阪谷朗廬先生の名を持つ、井原の銘菓です。
*朗廬饅頭。箱に「白鹿洞書院掲示」が印刷されています。
ワタシは、50年以上前に、興譲館高校を卒業しています。卒業生名簿に登録してあるために、ときおり校友会=同窓会から、興譲新聞を送ってきます。興譲館は、江戸時代の末期、ペリーが浦賀に来た年、1853年に開校。館祖が阪谷朗廬が、儒教を教えた私塾=郷校です。荘子の「白鹿洞書院掲示」は、今でも教えの精神の根幹をなします。ワタシもまた、そらんじていました。親父もまた、興譲館で育ちました。
【おまけ】
*先日12月25日(日)京都都大路を走る全国高校駅伝です。高校女子、岡山県代表は、興譲館高校です。昨年は全国優勝で、連覇をねらっていましたが2位に終わりました。1区先頭右が、菅華都紀選手(3年)です。この写真を撮って、用事があって出かけたのです。孫連れて餅つきに行った日のことです。
*来年は、開校160年のようです。卒業以来、同窓会にも行ったこともありませんが、育った地の山河を訪ねてみようか、などと思う感傷に浸っています。
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