朗廬(ろうろ)饅頭という岡山県井原のお土産に伝わる郷里の精神(2010-6-7)

2010-06-08 15:45:48 | Weblog

 この3月に20年ぶりに郷里に出かけてから、すっかり忘れていた郷里・井原(西江原)がぐんと近づいています。
 先週も、わが家に、井原からのお客さんも泊まっていきました。

 その時のお土産が、“朗廬饅頭”だったのです。
“懐かしいでしょう”と客人よしこさん。

 18歳でクニを出てから、いやその前にも、郷里・井原の名物を食べたり、土産に持っていくことはなかったのです。銘菓のある町であったとも思いませんが“朗廬饅頭”という饅頭があることは知っていました。食べたことも、見たこともありません。
土産には、庭の“柿”を持たされる時代だったのです。

  “懐かしいでしょう”は、私が、興譲館に学んだと知っているからでしょう。
 朗廬=阪谷朗廬は、私塾(郷校)・興譲館の創立者、初代館長です。 江戸時代には、備中・西江原藩だった、わが郷里は、幕末には、水戸一橋家の飛地(西江原領)になります。
 1847年~1857年に代官として赴任した友山勝次は、“近代の井原の基礎”を作ったといわれています。そのひとつが、興譲館です。
 1852(嘉永4)年に“桜渓塾”を開いていた阪谷朗廬が、初代館長に招聘されたのです。

*“郷土が生んだ偉人たち”井原市教育委員会発行

 この時代、全国に藩校や私塾が多く作られたでしょう。
萩の松下村塾ほど、明治維新とその後に大きな役割りを果たせなかったでしょうが。わが郷里には、興譲館あり、だったのです。

*箱に、“白鹿洞書院掲示”が印刷されていました。この儒学の教えこそ、叩き込まれた精神でしょうか。

 儒学の学校でした。私らの時代もベースは儒学だったでしょう。
 その遺徳を偲ぶ、饅頭に名を残しているのです。
 初めての朗廬饅頭、小ぶりの饅頭でしたが、とても美味しいお饅頭でした。

 ブログ話題が、50年前に出た郷里の話題が続きます。
 ということは私自身、いよいよ最終局面が近いのか、注意しなければいけません。


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