「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

執行 …… 迫る刑の重み -- かえらぬ命 (4)

2009年04月26日 22時29分58秒 | 死刑制度と癒し
 
 1994年、 平野勇は 牧場に押し入って 50万円を奪い、

 犯行を隠すため 放火。

 渡辺夫妻が焼死しました。

 娘の早月 (さつき) さん (当時45才) は、

「 平野被告に 両親と同じ苦しみを 味わわせたい」 と思い続け、

「 自分の手で 八つ裂きにしてやりたい」 と 本気で思いました。

 平野被告の両親の 住所を調べ、 訪ねて行ったこともあるそうです。

「 どんな育て方をした」 と問い詰めるつもりで、 玄関のベルを鳴らしました。

 幸か不幸か 留守でした。

 約12年後、 最高裁で 死刑判決を聞いたとき、

 早月さんは とても満足な気持ちだった ということです。

 弟の滋彦さんたちと、

「 執行されるまで5年、 10年もかかるんだろうね」 と会話を交わしました。

 その2年後、 刑が執行されました。

 滋彦さんは思います。

「 両親は 私たちがいつまでも 事件を引きずって、

 犯人への恨みの中で 生きていくことを 望んでいない気がする。

 これからはできるだけ、 そういう感情から離れたい 」

 早月さんが 刑の執行を知った時に 感じたのは、

「 何とも言えない 生理的な拒否感」 だったといいます。

「 まるで手の中で 生きた虫を 握りつぶしてしまったような、

 ざらっとした 嫌な気持ちだった 」

「 今回の事件で、 父と母が 平野死刑囚に殺され、

 平野死刑囚もまた、 国家の手によって 人為的に殺された 」

 という気がしてなりません。

 早月さんは、 死刑は必要だと思っています。

 ただ、 刑が執行されて 初めて知りました。

 死刑というものが、 あんなにまで生々しく、

 自分に迫ってくる ということを。

〔読売新聞より〕
 

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