1994年、 平野勇は 牧場に押し入って 50万円を奪い、
犯行を隠すため 放火。
渡辺夫妻が焼死しました。
娘の早月 (さつき) さん (当時45才) は、
「 平野被告に 両親と同じ苦しみを 味わわせたい」 と思い続け、
「 自分の手で 八つ裂きにしてやりたい」 と 本気で思いました。
平野被告の両親の 住所を調べ、 訪ねて行ったこともあるそうです。
「 どんな育て方をした」 と問い詰めるつもりで、 玄関のベルを鳴らしました。
幸か不幸か 留守でした。
約12年後、 最高裁で 死刑判決を聞いたとき、
早月さんは とても満足な気持ちだった ということです。
弟の滋彦さんたちと、
「 執行されるまで5年、 10年もかかるんだろうね」 と会話を交わしました。
その2年後、 刑が執行されました。
滋彦さんは思います。
「 両親は 私たちがいつまでも 事件を引きずって、
犯人への恨みの中で 生きていくことを 望んでいない気がする。
これからはできるだけ、 そういう感情から離れたい 」
早月さんが 刑の執行を知った時に 感じたのは、
「 何とも言えない 生理的な拒否感」 だったといいます。
「 まるで手の中で 生きた虫を 握りつぶしてしまったような、
ざらっとした 嫌な気持ちだった 」
「 今回の事件で、 父と母が 平野死刑囚に殺され、
平野死刑囚もまた、 国家の手によって 人為的に殺された 」
という気がしてなりません。
早月さんは、 死刑は必要だと思っています。
ただ、 刑が執行されて 初めて知りました。
死刑というものが、 あんなにまで生々しく、
自分に迫ってくる ということを。
〔読売新聞より〕
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