「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

移送の依頼から、精神障害者と会うまで (1)

2006年12月14日 16時34分23秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43215574.html からの続き)

[ 以下、精神障害者移送の現場を モデルケースとして紹介する。]

 トキワ警備の 電話が鳴る。

 部屋に引きこもったきりの息子を 病院に連れて行ってほしいという、

 家族からの依頼だ。

 患者を医療に繋げるのが 押川氏の仕事である。
 

 精神障害者の入院には 3種類ある。

 本人の意志で入院する 「任意入院」。

 入院の必要性に 本人が応じない場合、

 保護者の同意で 入院させる 「医療保護入院」。

 自分や他人を 傷つける恐れがある患者を、本人や家族の 同意を必要とせず

 強制的に入院させる 「措置入院」。

 押川氏は 依頼を受けて、任意入院 または 医療保護入院に持っていくのである。
 

 患者は 30代が一番多く、難しいケースも多い。

 押川氏は 事前に家族から 丹念な聞き取り調査 (ヒヤリング) を行う。

 患者の状態や性格、 周囲の環境、 家族の本音などを あぶり出すのだ。

 患者の症状や言動を ビデオに収めて分析したり、

 準備には 数週間以上もかけることもある。

 患者と家族のことを 十二分に理解しなければ、

 何が起こるか分からない 一発勝負の説得は 成功しないのだ。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43269747.html
 

猥雑な人たちが好きな 押川氏

2006年12月13日 19時27分02秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43175961.html からの続き)

 競馬場。

 疾走するサラブレッド、興奮の るつぼと化した歓衆。

 その中に、いかつい一人の男 -- 押川剛。

 それなりの社会的地位が あるであろう男たちが、

 感情をむき出しに叫んで レースにのめり込んでいる。

 押川氏は そんな人間たちが好きだ。

 誰にでも親しみを持ち、喜怒哀楽を共にする 押川氏。
 

 夜のバーで、押川氏は ホステスの相談相手に なったりしている。

 彼は 何となく薄汚れた 人たちが集まる、危なっかしい場所が 好きなのだ。

 人間への こよない興味と愛情を、彼は 常に持っている。

 人間の心というものの 不可思議さに引かれ、

 心が壊れかかってる 人を見ると、

 どうして そうなってしまったのか、相手が 何をどうしてほしいと 望んでいるのか、

 とことん 知りたいと思ってしまう。

 押川氏が 精神障害者と関わる原点だ。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43244296.html
 

コンビンサー 企画意図(4)

2006年12月12日 15時42分06秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43132520.html からの続き)

 押川氏は 主に障害者の家族から 移送の依頼を受けるが、

 常に 障害者本人のことを 第一に考える。

 そのために 押川氏は、依頼を受けてから 患者本人に会う前に、

 徹底的に 家族にヒアリングをして 患者の事情を把握し、

 家庭の裏に潜む 問題までもあぶりだす。

 問題は 障害者本人にではなく 家族のほうにある場合も多い。

 家族は 世間体を気にして、

 障害者を 厄介者払いするために 入院させようとすることも 少なくないのだ。

 家族が 自己のために移送を望んでいる と分かった場合は、

 押川氏は 自分ができることの 限界に悩みながらも、依頼を断ることもある。

 患者を助けたいという目標で 家族と心をひとつにできたとき、

 移送は半分成功した と言っていいという。
 

 精神障害者の家庭は 問題を抱えている場合が多く、

 その歪みが 家族の中の 一番弱い人に表れて、

 障害者を作ってしまった と言える。

 押川氏は 家族がもう一度 向き合う努力をしてほしい と訴える。

 そして 頑張っても どうしても駄目だったときに、

 自分たちが 力を貸したいのだと。

 押川氏は 家族の絆が蘇ることが 最終の目的だと強調する。

 決して 障害者を病院へ入れて 終わりなのではない。

 患者が退院して 家庭に戻ってきたときに、

 コミュニケイションの持てる 居場所があることが 最も大切なのだ。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43215574.html
 

コンビンサー 企画意図(3)

2006年12月11日 11時19分10秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43101088.html からの続き)

 従来 この仕事は 「搬送」 と呼ぶことが多く、

 主に 警備会社やタクシー会社が 精神障害者を す巻きにしたり 手錠をかけたり、

 全くの水面下で 行なってきた。

 押川氏は それに強い疑問を持ち、 精神障害者の 人権を守るため、

 言葉だけで 患者を説得してきた。

 精神障害者移送に対する 周囲の誤解と 批判が渦まくなか、

 押川氏は 移送を積み重ねてきた。

 1999年、 精神保健福祉法が改正され、

 精神障害者移送が 法的に位置づけられるようになった。

 押川氏の実績が 認められ始めたのだ。

 誰もが不可能と言われたことを、情熱と行動力で 徐々に可能にしてきた。

 彼の エネルギッシュな生き様は 我々に活力を与え、

 人との関わりが 薄くなった現代人に、

 人間らしい触れ合いを 思い起こさせてくれるだろう。
 

 心の病は、決して異常なことでも 隠すべきことでもない。

 誰にでも起こりうる、普通の病気と 同じなのだ。

 そういう情報が 表に出ないために、患者や家族は

 自分たちだけが おかしいのだと悩み、恥ずかしいこととして 抱え込んでしまう。

 そのため病状が悪化し、自分や人を 傷つける結果に なってしまうこともある。

 そして 精神障害者は恐いという イメージを生む悪循環となる。

 押川氏は 「早期発見 早期治療」 が重要だと強調する。

 患者たちは 必ずサインを発している。

 彼らと どう接したらいいのか、それを分かち合うためにも、

 精神障害の ありのままの姿を タブー視せずに広く伝え、

 彼らと付き合っていくことが 大切である。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43175961.html
 

コンビンサー 企画意図(2)

2006年12月10日 12時50分29秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43069391.html からの続き)

 「精神障害者 = 怖い, 危険, おぞましい」

 「移送 = 患者を押さえつけ 縛って無理やり運ぶ」

 というイメージを払拭しようと 押川氏は奮闘している。

 心を開いて 精神障害者と同じ立場に立って 話し合えば、

 刃物を振り回す相手でも きっと分かってくれる と言う押川氏は、

 今までに 600人の障害者を 移送してきた実績のなかで、

 ひとつの事故も 起こしていないという。
 

 押川氏は 全身全霊をかけて 精神障害者と向かい合う。

 仕事を終えた後は 精根使い果たし、言語障害のような 状態に陥るという。

 時には 身体や生命の危険に さらされることもある。

 それでも この仕事を続けているのは、

 ひたすら 押川氏が 人間というものを好きだからだろう。

 昔は不良だったという彼は、生身の、丸出しの人間が好きだ。

 精神障害者は 決して嘘をついたり 人を欺いたりしないと、 押川氏は言う。

 彼らは あまりに純粋で 真正直に生きているゆえに、

 苦しんで 心が壊れてしまうのだ。

 そんな、傷つき病んでいる人が 押川氏は好きなのである。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43132520.html
 

コンビンサー企画意図(1)

2006年12月09日 13時09分32秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
 「コンビンサー」 という仕事を 知っていますか? 

 精神障害者 移送サービス。

 入院が必要な精神障害者を 病院につなげる職業です。

 
 5年前に作成してボツになった ドキュメントの企画書を連載します。

 【参考文献「子供部屋に入れない親たち」 押川剛(幻冬舎)】

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引きこもり、 うつ病による自殺、 精神障害者の凶悪事件……。

 昨今 メディアでも しばしば取り上げられる、

 心の病を 抱えた人たちに 関わる問題は、

 暗く 危険なイメージで 語られがちだ。

 4年間 部屋に閉じこもり、汚物と生ゴミの山の中で 暮らしている女性。

 締め切った家の中で 裸で母親に抱かれたまま 寝ている 40代の男性。

 家の中を 原形がとどめないほどに壊して 暴れまわる男性……。

 そんな患者たちを 目の当たりにしながら、

「私は 精神障害者が好きだ。」

 と 明言する男がいる。

 押川剛 (おしかわ つよし)、 33歳 (2001年 当時)。

 精神障害者は このような形でしか 自分の内面を表せないほど

 苦しんでいる人であり、 最も純粋な人, 決して嘘をつかない人だと

 押川氏は信じている。
 

 押川氏は、トキワ警備会社・トキワ精神保険事務所の 代表を務め、

 精神障害者移送業を 行なっている。

 精神障害者移送サービス という仕事は まだあまり知られていない。

 入院が必要なのに それを拒む 精神障害者を、

 説得して 病院まで同行し、医療につなぐ仕事である。

 またの名を 「コンビンサー」 。

 ただし、患者の首に縄を付けて行くなど、

 決して 強制的に 病院へ連れていくのではない。

 あくまで 本人の意思で 入院してもらうまで、押川氏は 患者とじっくり話し合う。

 「コンビンサー」 とは、 「納得させる人」 という意味なのだ。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43101088.html
 

神宮外苑・銀杏並木

2006年12月07日 10時12分07秒 | 心子、もろもろ
 
 先日 毎年恒例で、

 心子との想い出の場所である 神宮外苑の銀杏並木を見てきました。

(関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/17513952.html 
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/18589500.html )

 今年は 暖かい日が続いたので、例年より数日 遅く行きました。

 昨年もそうでしたが、このところ 銀杏の葉が おかしくなってきているようです。

 心子と見た頃は、並木の木々が ほぼ同時に黄葉していたのですが、

 まだ一部に 青々とした葉がある一方、

 もう3分の1ほど 落葉してしまっている木もありました。

 葉っぱは やはり小さいし、形も散り散りのような感じを受けます。

 外苑の一角にあるもみじは まだ緑色のままでした。

 何か異変が 起きているのでしょうか?

 当時は 一面の黄金色の世界に包まれて、

 とても素晴らしかったのですが……。

 心子との想い出を 再び味わえなくなるようで、

 何だか悲しい思いです……。
 

 ところで、見物客のなかに ペットの猿を 連れていた人がいました。

 リスざるだと思いますが、とても珍しく かわいかった。

 心子は いつも肌身離さず 猿のぬいぐるみを持っていました。

 拙著には 犬のぬいぐるみの 「ぷっち」 と 変えて書きましたが、

 本当は 猿の 「もんち」 といいます。

 心子は神宮外苑にも もんちを連れて行き、

 写真を撮ったりしたエピソードを 拙著にも書きました。

 そのときの 光景が思い起こされました。
 

「硫黄島からの手紙」 (3) [余話]

2006年12月06日 20時13分12秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/42938221.html からの続き)

 「硫黄島からの手紙」 を紹介していた テレビ番組で、

 舛添要一が 渡辺謙に 次のようなことを言いました。

 硫黄島で日本軍は 水も食料も 物資の援助もなかったために 惨敗したが、

 アメリカは 膨大な物量に支えられていた。

 戦争では このような後方支援が いかに大事なことか 一般の人は知らないので、

 日本の国際的な軍事協力が 求められている昨今、

 前線に出なくても 後方から支えることの大切さも 人々に知らせてほしいと。

 でもこの映画は 戦争を肯定するものではありませんから、

 渡辺謙は とっさに切り返しました。

 日本兵もアメリカ兵も 人間としての相手のことを知らず 敵対視していたし、

 映画の撮影現場でも 日米スタッフの違いを知ることから 多くを学んだ、

 というような話に 切り変えたのでした。

 舛添要一も 自分の発言の不適切さに 気付いたのか、頷かざるを得ませんでした。

 一瞬の機転で その場を取りまとめた 渡辺謙は、

 国際スターとしての“品格”を備え、一流なのだなと感じた次第です。
 

「硫黄島からの手紙」 (2)

2006年12月05日 12時52分02秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/42913509.html からの続き)

 一流の軍人でありながら、日本にいる妻子のことを常に思う 家庭人としての栗林。

 身ごもっている妻のために、絶対に生きて帰ると誓った 若年兵・西郷。

 冷徹になれなかったため 憲兵をクビになって、硫黄島へやって来た清水。

 旧来の軍人魂に染まって 革新的な栗林に反目し、玉砕を試みる 古参将校・伊藤。

 そして、ロサンゼルス・オリンピックの乗馬競技で 金メダルを獲得した、

 国際人である バロン西こと 西竹一。

(バロン西が 硫黄島に参戦していたとは 知りませんでした。)

 
 栗林は、死ぬことが誇りとされていた 戦局の中にあって、兵達に玉砕を禁じました。

 生きて 最後の最後まで闘い、一日でも長く島を守り、

 日本にいる家族を 一日でも長く守ることが 使命であると。

 下級兵への待遇を改善したりする 人間的で斬新な価値観の栗林に、

 西郷は感化され 希望を見いだします。

 しかし 新しく任命された栗林の考えは 隊の隅々までは浸透せず、

 無益な玉砕をする者もいたり、命令に背く兵も 出てきてしまいます。

 映画では、理想的な人物や 家族の愛情ばかりでなく、

 愚かな人間や 無残な現実も描きます。

 日米の どちらを悪役とするのでもなく、

 日本にもアメリカにも、いい人間もいるし 悪い人間もいるということを

 不偏に描いていきます。

 それが クリント=イーストウッドの 伝えたかったことでしょう。

 痛ましい悲劇ばかりを 強調しなくても、誠実な作品作りをすれば

 どんな描き方をしても、必ず戦争の無意味さや 悲惨さは伝わってきます。

(続く)
 

「硫黄島からの手紙」 (1)

2006年12月04日 19時46分04秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/42872385.html からの続き)

 硫黄島は グァム島と日本の ほぼ中間の位置にあり、

 中継基地として アメリカは何としても手に入れたい、

 日本はそれを何としても死守したい 島でした。

 僕は 自分の親が戦争を体験している 最後の世代ですが、

 硫黄島では 大激戦が繰り広げられ、砲撃の嵐で 山(摺鉢山)の形が変わった

 という話は 親から聞いていました。
 

 アメリカ軍は 5日もあれば硫黄島は陥落する と目算していましたが、

 なんと36日間も持ちこたえ、アメリカ軍を苦しめた 日本の指揮官がいました。

 渡辺謙 扮する 栗林忠道 中将です。

 彼は 交替の指揮官として 硫黄島に赴きました。

 そのとき島では兵隊たちが 海岸に土豪を堀り、

 上陸してくるアメリカ軍に 立ち向かう準備をしていました。

 しかし アメリカ留学の経験がある栗林は アメリカの事情にも精通し、

 合理的な思考を 身につけていました。

 圧倒的な物量を誇る アメリカ軍の前には、タコ坪のような土豪は

 何の役にも立たないと考え、急遽 作戦を変更します。

 摺鉢山に洞穴を堀り巡らせて 中に潜み、アメリカ軍を迎え撃つ戦術です。

 姿の見えない日本兵に アメリカ兵は震え上がり、

 いつ どこから発砲してくるか 分からない攻撃に 錯乱されます。

 そして 日米対戦で唯一、

 アメリカ人の死傷者が 日本人のそれを上回るという 戦地となったのです。

 しかし映画では そういう戦略的なことよりも、人間の心のドラマを描いていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/42938221.html
 

「父親たちの星条旗」

2006年12月03日 15時01分03秒 | 映画
 
 クリント=イーストウッド監督の 硫黄島2部作品。

 アメリカ側から見た 「父親たちの星条旗」 と、

 日本側から見たのが 「硫黄島からの手紙」 です。
 

 「父親たちの星条旗」は、米軍が硫黄島を制圧したとき

 摺鉢山(すりばちやま)の頂に立てた 星条旗の写真の 裏話でした。

 この一枚の写真が 勝利の象徴として、

 戦況に疲弊していた 当時のアメリカ国民を 熱狂的に鼓舞させたそうです。

 5人のアメリカ兵が 5メートルくらいある星条旗を 起こして立てている写真で、

 僕も どこかで見た記憶はありますが、そのエピソードは知りませんでした。

 旗を立てた兵士は まさしく英雄になり、イベントに出演したり、

 全国を回って講演し、戦費のために国債を買ってもらうよう 呼びかけたりします。

 戦時中、こんなことまでも 派手なショーにしてしまうのが アメリカなのか

 と思わされた次第です。

 モンペをはいて、「欲しがりません、勝つまでは」 と

 貧窮生活に耐えていた日本とは 雲泥の差ですね。

 ところが、実は この英雄となった アメリカ兵の中には、

 実際に旗を立てた兵士ではなく 仕立て上げられた人物がいた

 ということなどが 分かったのです。

 国債を購入させるための アメリカの “やらせ” だったわけです。

 英雄に祭り上げられた兵士は、それは自分の本当の姿ではない、

 旗を立てた後に 戦死した兵士こそ本当の英雄だと 思い悩むわけです。

 まあ 日本人の僕としては、そういう話もあったのか、あったのだろう

 という程度にしか 感じられなかったのですが、

 日本側から見た 「硫黄島からの手紙」 のほうが、やはり感情移入できました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/42913509.html