「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

把握できない 自閉症の人たち

2011年04月29日 20時44分43秒 | 東日本大震災
 
(前の記事からの続き)

 大船渡市のMさん (45才) は、 重い自閉症の息子 Yさん (19才) と、

 小さいころから 地元スーパーに通っていました。

 大きい建物に入るのを恐れる Yさんの訓練のためです。

 そのスーパーが 今回の津波で流されてしまいました。

 スーパーに通い始めた当初、 Yさんは店内でパニックになったり、

 他の買い物客を 突き飛ばしたりしたことがありました。

 でも 毎日通ううち、

 店員から  「元気?」 「今日は何買う?」 と 声がかかるようになりました。

 そんな姿を見て、 お客たちの間にも 理解が広まっていきました。

 「理解してもらおうと 10年以上必死に訴えた。

 そうした場も、 やっと根付いた地域も 失ってしまった」

 Mさんは涙ぐみます。

 避難所生活をする今は、 気苦労が絶えません。

 体育館を 「体を動かして遊ぶ所」 と 覚えていたYさんは、

 室内で飛び跳ね、 避難者の男性から注意されました。

 なぜ怒られたのか理解できず パニックになったYさんに、

 Mさんは毛布をかぶせて 押さえ込み、 頭を下げ続けました。

 Yさんはそれから数日間、 毛布をかぶって 出てこなかったといいます。

 Yさんから目を離せない Mさんは、

 炊き出しや掃除などの 輪番に参加することができません。

 迷惑はかけるのに、 手伝いはできない……。

 しかし、 避難所で見える家族は 一部だけです。

 行政に把握すらされない所に いる人も多く、 支援が届きません。

 こうした家族は、 極力 避難所を避けるからです。

 障害者や高齢者など、 必要な支援の種類に応じた 避難所を作るべきだと言われます。

 似た境遇の人同士なら、 避難所に入るためらいや 気苦労も減るでしょう。

 専門家の数も限られているので、 点在する避難所を回るより 効率的に支援できます。

 復興には こうした所へも 目を向けてほしいものです。

〔 朝日新聞より 〕