(前の記事からの続き)
江戸時代になると、 庶民も花を見られる 場所が増え、
桜の品種改良も 盛んに行なわれました。
赤い関山 (かんざん)、 緑色の御衣黄 (ぎょいこう)、 楊貴妃、 菊桜、
江戸の人たちが見ていた桜は バラエティーに富んでいたのです。
明治の世となり、 桜が植えられていた 大名屋敷や庭園は、
次々と取り壊されて 洋館に変わっていきます。
桜は切り倒されて 薪にされ、 絶滅の危機に瀕します。
高木孫右衛門という植木職人は、 かろうじて残った桜を 探し歩きます。
桜は環境の変化に弱く、 移植して育てるのは 難しい作業ですが、
高木は試行錯誤しながら 桜を根付かせていきました。
清水謙吾は 高木に桜を分けてもらい、
堤防を作る予定だった荒川堤に 桜並木を作ることにしました。
村を活気づけようと、 50人の有志で 始められた計画に、
150人以上の村人が参加します。
桜を根付かせる作業は、 10年を超える 長い取り組みになりました。
24年後の明治43年の春、 荒川堤の桜が 一斉に咲き誇ります。
桜は78種類、 3200本に達し、
ピンクや赤、 緑に黄色などが咲き乱れて、 「五色桜」 と呼ばれました。
絶滅寸前だった 品種の保存が進み、 ここから全国に広がっていったのです。
さらに 荒川堤の桜は海を渡り、 ワシントンの桜並木は 日米友好の証です。
しかし 太平洋戦争が勃発、 物資が極端に不足するなか、
荒川堤の桜は 燃料として切り倒され、 消えしまいました。
それから 30年以上経った昭和56年、
かつて ワシントンに送られた桜が、 枝分けされて送り返されてきました。
足立区では、 以前の桜並木を再現する 取り組みが進められています。
〔 NHK 「歴史秘話ヒストリア ~ 桜の木に恋して ~」 より 〕