「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

思い通りにならないと 攻撃されていると思う

2009年10月27日 21時45分05秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 乳幼児にとって、 よくお乳が出るオッパイは  「よいオッパイ」、

 出ないオッパイは  「悪いオッパイ」 でしかありません。

 どちらも 同じ母親のオッパイであることが 分かりません。

 その瞬間の 満足・不満足だけによる 対象との関係を、

 「部分対象関係」 といいます。

 自分の思い通りにならないとき、 非を 「悪い」 相手のせいにして、

 怒りをぶつける 心の状態を、  「妄想・分裂ポジション」 と呼びます。

 けれども成長してくると、  「よい母親」 も 「悪い母親」 も

 一人の同じ母親であると、 受け止められるようになります。

 よい部分も 悪い部分も含めた 対象との関わり方を、

 「全体対象関係」 といいます。

 子供は 母親に叱られたり、 母親が悲しそうにしたとき、

 自分の非を感じて しょんぼりします。

 このように 沈んだ心の状態を、  「抑うつポジション」 と呼びます。

 しかし 自分の非を認めることは 苦痛が伴います。

 それを 強がりによってはねのけようとする 反応も起こります。

 抑うつポジションを避けるために、

 強気な態度で 自分を守ろうとするメカニズムが、 「躁的防衛」 です。

 境界性パーソナリティ障害の人には、 しばしば この躁的防衛が見られます。

 一方で この防衛が破れると、 急に弱気になり、

 全てがダメだと 落ち込んでしまうのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕


 全てが良いか、 全てが悪いか どちらかでしかない。

 悪い相手は 徹底的に攻撃する。

 ボーダーの人の ひとつの典型的な状態で、

 僕も心子に 最も困らされたことです。

 攻撃が最大の防御 とばかりに、

 自分が倒れないよう 懸命に怒りを爆発させます。

 ところが それが過ぎると、 こちらを責めたことを 死ぬほど後悔して、

 詫び入ったり 自己否定に陥ってしまうのですね。
 
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