蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

蛾遊庵ブログギャラリー 「第10回銀杏会展出品作」へようこそ!

2006-10-26 17:45:05 | 美術エッセイ
 10月26日(木)晴れ。暖い一日。

 10月23日(月)~28日(土)の間、東京日本橋の画廊で仲間達とのグループ展を開いている。
 皆、職場のサークル活動で知り合った仲で、もう30年近くもなる。2、3年の間隔をおいて男女5人とも現役をしりぞいてしまった。退職してからは、会うのは年二、三回となってしまったが気心の知れた仲間達との久しぶりの会合は楽しい。

 以下は、私の今回の出品作である。(ご一覧戴ければ幸甚に存じます。)

■ 「桃春茅ケ岳」(P10号 '06.4.17取材)       ■「稔りの頃」(F4 '06.9.24取材) 
 
                         


■「瑞垣山麓の秋」(P10号 '05.11.17取材)      ■「甲斐駒晩秋」(F10号 '05.11.16取材)

                        

■「白樺湖待春」(F10号 '06.3.5取材)

       

  昔は、現場で1~2日あれば、描き上がったが、だんだんそれでは満足できなくなり、今は、現場では、水彩スケッチとキャンバスへの下描きだけしてくる。

 後は、アトリエでパソコンに落としたデジタル画像を見ながら、実際の色を思い出しながら描いている。
 すると、時間がある限り手をいれることとなる。一箇所に手を入れると今度は他ががたついて見えてくる。今度はそこを直す。いつまでもきりがないこととなる。
 その間、気分がだれる。途中何日間は、イーゼルに載せたまま放置してある。
 展覧会の会期が近づく。ようやく切羽詰って最後の仕上げに慌てふためいて筆をおく。すると。至らないところがまた目に付いてくる。自分で至らないところが見えるうちは、まだ進歩できる証拠と自らを慰めてみる。

  それにしても、見に来てくれるのは、いつも決まった友人知人親戚ぐらいである。たまに昼休みの近所の勤め人の方がふらーっと入って来てくれる。

  新聞やメディアで宣伝される大展覧会には長蛇の列ができるのに、私たちのような街の小画廊での絵には、なかなか目を止めていただけない。
  本当の絵好きなら、駅の構内に貼り出してある子供のポスターにだって目が止まるものだと思うのだが、なかなかそうでない方も多いようである。

  今、後輩に聞くと職場のサークル活動には、若い人の参加は皆無とか。どうしてなのだろうか。そんなに忙しいのだろうか。心に余裕がないのだろうか。
  私たちが若い頃だって、決して暇だったわけではない。お金もなかった。それでも絵の具を買い、外国製の軽い組み立て式のイーゼルを無理して買った。嬉しかった。

  話は飛ぶが江戸時代、人々は俳句に興じ、画会に足を運んだという。渡辺崋山がある時、房総の友人の画会に招かれて出かけたとき、尋ねる家が分らなかった。通りがかりの縄を帯代わりの風体の男に尋ねると、自分もこれからそこへいくところだから付いてこいという。相客だったのである。

  誰もが、著名人の権威によらず、自分の目で絵や書を、詩や小説、随筆を鑑賞し、それぞれの言葉でその良し悪しを語りあうときは、また何時くることだろうか。

 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。