蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

憐れ!殺される熊、猪、…、この地上、人間だけのものだろうか?

2006-10-01 23:18:21 | 田舎暮らし賛歌
10月1日(日)曇りのち雨。
 
 今日は、地域の秋の道普請。朝、8時。てんでに鎌、スコップ、八手を持って集合場所に集まった。幅員16mほどの市道の両側に溜まった泥をこそぎ、草抜いて路肩にほうりあげる。両側は松林や、雑木林だ。
 こ一時間もすると、一休み。キノコの話。蜂の巣を採った話。猿が近くに来た話。イノシシが出没して、山蛭(ヒル)が増えている話。山里でなければ聞けない話だ。
そんな話を聞いていると、私は何か楽しい気分になる。

 ところが帰宅してパソコンを立ち上げたら、次のような記事が目に止まった。

『子グマに引っかかれ軽傷、殴られクマは死ぬ…秋田

1日午前8時ごろ、秋田県仙北市田沢湖卒田の山林で、同市田沢湖神代、無職草なぎ幸雄さん(73)がクマと鉢合わせになり、左手の甲を引っかかれて軽傷を負った。
 草なぎさんは一緒にいた友人と2人で、持っていたなたで頭を数回殴ったところ、クマはその場で死んだ。
 仙北署の調べによると、クマは体長約50センチ。草むらから突然現れ、草なぎさんらが「あっち行け」と追い払おうとしたが、飛びかかってきたという。2人は同日午前6時ごろから入山し、マイタケ採りをしていたという。 (読売新聞) - 10月1日16時4分更新』

 随分と豪傑の爺様である。もっとも二人連れで、相手は子熊だ。最初は追い払おうとしたが、驚いた子熊が、身の程も省みず一丁前に、人間様に立ち向かったのが悪かった。可愛そうな子熊である。
何時まで待っても帰ってこない子熊を母熊はどんな気持ちで、今頃山中をさ迷いさがしていることだろうか?

 今年、例年に無くこうした山の獣たちが、里にあらわれるのは、この夏の異常気象で山の木の実の生育不良にあるらしい。
 先日も、地元局のニュースで、猿による農作物の被害が、約6000万円ほどとかになると報じていた。

 たしかに、一生懸命農作業に励んでいられる方に対して、不謹慎な言い方になることをお許し願えば、案外たいした額ではないなーということである。

 これに比べれば、我々が犬、猫ペットに費やす費用はいかほどの額になるのであろうかということである。今日も、別のニュースで、内縁相手の連れ子の幼児を殴り殺した男が、その子たちを放置しておきながら、自分の愛犬は獣医のところへ連れて行ったという記事をみた。

 人間の身勝手さ、エゴの凄まじさである。
 猿だって、熊だって、猪だって、鹿だってみんな神様が、平等にこの世におつくりになったものである。彼らの居ない山なんて何と寂しいことではないだろうか。どこかの山陰に彼らの気配を感じてこそ、山が平地とは違う異次元の境界として、山に入ることの緊張感と新鮮な感動を得られるのではないだろうか。

 であるならば、彼らにだって、この地上に等しく生きていく権利があるってものだ。それが不幸なことに進化の速度の不均一の結果、異常増殖した人間に生きていく場を次から次へ奪われ、文句一つ言えずに細々と命をつないでいるのである。

 せめてペットにかけるお金の幾分かでも、自然動物の保護と環境保全に基金のようなものを設け、心ある人がいくらかでも寄付できるようにできないものだろうか。
 その中から、これらの野生動物の食害の損害を補填してあげられるような仕組みである。

 日本の森にも、かっては日本狼がいた。彼らは山神様と崇められ、鹿や猪の食害から農作物を守る益獣とされていたと聞く。今も山村の神社のご神体には、山犬(日本狼)を神様と祭ってあると聞く。その時代には同時に、人が山にやたらと入ることの恐れを抱かせ、山の霊性が守られていた。

 だが、明治初年、西欧化の波の一環で、外国犬からの狂犬病が蔓延し、日本狼にも伝染しその数を著しく減じ、明治末年、秩父山中で射殺された一頭を最後に以来、絶えて久しくその姿は見られず、絶滅したものとされている。

 日本狼が絶滅して、日本の山の神性は消失した。人間は至る所にダムを作り、縦横無尽に山肌を切り裂いて林道を張り巡らした。そして今や聖なる山の胸元に産業廃棄物の最終処分場まで作ろうというのである。
 
 神は黙して、ただこの人間の神をも恐れぬ所業を見守っていられる。だが、それですむだろうか。いつの日にか、神様の堪忍袋の緒は切れて、いかなる鉄槌がくだるのだろうか?その鉄槌が現実のものとならない限り、我々はその傍若無人の所業をやめようとはしないのだ。

 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー

 上掲の記事をアップした後、タイミングよくというか、次の記事が出ていた。熊との共存を世界中で考える動きが出てきたとは、喜ばしいことである。

 『軽井沢で「国際クマ会議」=共存テーマに2日から、アジアで初

 クマに人が襲われる被害が相次ぐ中、クマと人間との付き合い方を考える「国際クマ会議」が2日から6日、長野県軽井沢町で開かれる。北米、ヨーロッパ、アジアの研究者との間で、生態や保全、管理に関する情報を交換するのが主な目的。
 会議は1968年にカナダで第1回が開かれ、今回が17回目。アジアで開催されるのは初めてという。 
(時事通信) - 10月1日21時1分更新』
 

裏金作りと無駄遣い!―無責任行政と無関心住民?―

2006-10-01 01:31:04 | 時事所感
 9月30日(土) 晴れ。暑からず、寒からず。
 
 このところ、岐阜県庁は多額の裏金作りの後始末出で、てんやわんやだ。傍から見れば、何おか云わんやだ。一休話のお寺の小僧じゃあるまいし、和尚さんの目を盗んで、壷の甘味をチビチビと舐めて、ほくそえむ厭らしさ。お寺の小僧さんならまだ可愛いが、県庁勤めは、地域のエリートだ。ネクタイ締めて背広着て、もっともらしいお役人が、机の陰でコソコソと、あれこれ書類を偽造して、貯めたお金が邪魔になり、あっちこっちのキャッチボール、あげくの果てが焼却処分の芸の無さ。
 こんな頭で、よくも県政がとれるものだ。

 一方、先日のスパ・モニでは、川崎市が8億円も投下した、市民用(名目は)の保養施設建設計画が、もてあましての始末に困り、6000坪近くの土地を、地元自治体へ無償譲渡とか。
 しかも、ご丁寧にももう1件は、南伊豆の崖っぷちの土地を同じく保養施設向けとかで、6億円で購入した土地を、僅か5千万円余りで不動産業者に売却とか。
 こちらはこの土地を斡旋紹介したのが、市議会議長とか。しかも、購入当時の市場評価額4億円だったとか。
 これを番組で追求する、リポーターが、当時の川崎市長宅を訪ねても、文字通り音なしの構え。
 議会は既に、両案件ともお咎め無しの承認済みとか。
 市民に代わって、行政の無駄遣いをチェックするのが、最大の責務の筈の議員様が、ノーチェックでは、そこの抜けたバケツに市民の汗水税金をながしこむようなものではないか?
 しかも、こちらは、市議会議長が絡んだ話。売り手とすれば、高くお買い上げいただいた斡旋の労をお取りいただいた、ありがたい神様のような議長様にまさか、手ぶらで「この度は、大変お世話になりました。ありがとうございました」だけですまないことは、子供でも分かるはなし。

 これって、一寸頬杖ついてみたら、斡旋収賄罪か政治資金規正法違反嫌疑で司直の手が伸びて不思議のない話ではなかろうか?
 軽く一杯ひっけて、ちょいと夜道を走っただけで、首の飛ぶ世の中だというのに、白昼堂々、数年の間に、16億をもの市民の膏血をドブに捨てたに等しい失政しておきながら、こちらは何のお咎め無しでは、なんとも辻褄の合わない世の中とはなったものではなかろうか?

 そして、東の福島県。18年、5期も県政に粉骨砕身の労をおとりの知事閣下。愚弟、賢兄(?)の心知らずとかで、談合疑惑の漬物ダルだ。

 一体、どっちを見ても、市民、住民どこにいらしゃるのか?今日のオカズ、どっちの店が何円安いなんてことには、労を惜しまれないというのに、年間何万円か何十万円かお納めになる税金の使い道については、ろくに決算書報告書を見ようともしない大らかさ。

 70過ぎた爺様でも、惰性のように何回も、同じ人間を選び続けるとは、「どうか、私どもにはお構いなく、湯水と思ってお使いください」とばかりに、鳶に油揚げ、熨斗つきで差し上げるようなものではないのか。

 これからは、首長再選の際には、選挙公報に在任期間中の当該自治体の財政状況の推移、債務の増減の公表を、最低限、義務付けるべきではないか?

 それに、しても、地方財政の放漫振りが、各地で報じられる現在、何故、地方自治体の多選禁止を与野党ともに口にしないのだろうか。二期8年でも長すぎると思うのに、それが、三選、四選、五選なんて、選ぶ方はどんなお考えで1票をお投じになるのか、とくと伺がってみたいものだ。

 真に奇妙奇て烈、山家の隠居にはどう頭をひねっても理解に苦しむ、開いた大口アングリアだ。
 
 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?