10月1日(日)曇りのち雨。
今日は、地域の秋の道普請。朝、8時。てんでに鎌、スコップ、八手を持って集合場所に集まった。幅員16mほどの市道の両側に溜まった泥をこそぎ、草抜いて路肩にほうりあげる。両側は松林や、雑木林だ。
こ一時間もすると、一休み。キノコの話。蜂の巣を採った話。猿が近くに来た話。イノシシが出没して、山蛭(ヒル)が増えている話。山里でなければ聞けない話だ。
そんな話を聞いていると、私は何か楽しい気分になる。
ところが帰宅してパソコンを立ち上げたら、次のような記事が目に止まった。
『子グマに引っかかれ軽傷、殴られクマは死ぬ…秋田
1日午前8時ごろ、秋田県仙北市田沢湖卒田の山林で、同市田沢湖神代、無職草なぎ幸雄さん(73)がクマと鉢合わせになり、左手の甲を引っかかれて軽傷を負った。
草なぎさんは一緒にいた友人と2人で、持っていたなたで頭を数回殴ったところ、クマはその場で死んだ。
仙北署の調べによると、クマは体長約50センチ。草むらから突然現れ、草なぎさんらが「あっち行け」と追い払おうとしたが、飛びかかってきたという。2人は同日午前6時ごろから入山し、マイタケ採りをしていたという。 (読売新聞) - 10月1日16時4分更新』
随分と豪傑の爺様である。もっとも二人連れで、相手は子熊だ。最初は追い払おうとしたが、驚いた子熊が、身の程も省みず一丁前に、人間様に立ち向かったのが悪かった。可愛そうな子熊である。
何時まで待っても帰ってこない子熊を母熊はどんな気持ちで、今頃山中をさ迷いさがしていることだろうか?
今年、例年に無くこうした山の獣たちが、里にあらわれるのは、この夏の異常気象で山の木の実の生育不良にあるらしい。
先日も、地元局のニュースで、猿による農作物の被害が、約6000万円ほどとかになると報じていた。
たしかに、一生懸命農作業に励んでいられる方に対して、不謹慎な言い方になることをお許し願えば、案外たいした額ではないなーということである。
これに比べれば、我々が犬、猫ペットに費やす費用はいかほどの額になるのであろうかということである。今日も、別のニュースで、内縁相手の連れ子の幼児を殴り殺した男が、その子たちを放置しておきながら、自分の愛犬は獣医のところへ連れて行ったという記事をみた。
人間の身勝手さ、エゴの凄まじさである。
猿だって、熊だって、猪だって、鹿だってみんな神様が、平等にこの世におつくりになったものである。彼らの居ない山なんて何と寂しいことではないだろうか。どこかの山陰に彼らの気配を感じてこそ、山が平地とは違う異次元の境界として、山に入ることの緊張感と新鮮な感動を得られるのではないだろうか。
であるならば、彼らにだって、この地上に等しく生きていく権利があるってものだ。それが不幸なことに進化の速度の不均一の結果、異常増殖した人間に生きていく場を次から次へ奪われ、文句一つ言えずに細々と命をつないでいるのである。
せめてペットにかけるお金の幾分かでも、自然動物の保護と環境保全に基金のようなものを設け、心ある人がいくらかでも寄付できるようにできないものだろうか。
その中から、これらの野生動物の食害の損害を補填してあげられるような仕組みである。
日本の森にも、かっては日本狼がいた。彼らは山神様と崇められ、鹿や猪の食害から農作物を守る益獣とされていたと聞く。今も山村の神社のご神体には、山犬(日本狼)を神様と祭ってあると聞く。その時代には同時に、人が山にやたらと入ることの恐れを抱かせ、山の霊性が守られていた。
だが、明治初年、西欧化の波の一環で、外国犬からの狂犬病が蔓延し、日本狼にも伝染しその数を著しく減じ、明治末年、秩父山中で射殺された一頭を最後に以来、絶えて久しくその姿は見られず、絶滅したものとされている。
日本狼が絶滅して、日本の山の神性は消失した。人間は至る所にダムを作り、縦横無尽に山肌を切り裂いて林道を張り巡らした。そして今や聖なる山の胸元に産業廃棄物の最終処分場まで作ろうというのである。
神は黙して、ただこの人間の神をも恐れぬ所業を見守っていられる。だが、それですむだろうか。いつの日にか、神様の堪忍袋の緒は切れて、いかなる鉄槌がくだるのだろうか?その鉄槌が現実のものとならない限り、我々はその傍若無人の所業をやめようとはしないのだ。
と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
ー追記ー
上掲の記事をアップした後、タイミングよくというか、次の記事が出ていた。熊との共存を世界中で考える動きが出てきたとは、喜ばしいことである。
『軽井沢で「国際クマ会議」=共存テーマに2日から、アジアで初
クマに人が襲われる被害が相次ぐ中、クマと人間との付き合い方を考える「国際クマ会議」が2日から6日、長野県軽井沢町で開かれる。北米、ヨーロッパ、アジアの研究者との間で、生態や保全、管理に関する情報を交換するのが主な目的。
会議は1968年にカナダで第1回が開かれ、今回が17回目。アジアで開催されるのは初めてという。
(時事通信) - 10月1日21時1分更新』
今日は、地域の秋の道普請。朝、8時。てんでに鎌、スコップ、八手を持って集合場所に集まった。幅員16mほどの市道の両側に溜まった泥をこそぎ、草抜いて路肩にほうりあげる。両側は松林や、雑木林だ。
こ一時間もすると、一休み。キノコの話。蜂の巣を採った話。猿が近くに来た話。イノシシが出没して、山蛭(ヒル)が増えている話。山里でなければ聞けない話だ。
そんな話を聞いていると、私は何か楽しい気分になる。
ところが帰宅してパソコンを立ち上げたら、次のような記事が目に止まった。
『子グマに引っかかれ軽傷、殴られクマは死ぬ…秋田
1日午前8時ごろ、秋田県仙北市田沢湖卒田の山林で、同市田沢湖神代、無職草なぎ幸雄さん(73)がクマと鉢合わせになり、左手の甲を引っかかれて軽傷を負った。
草なぎさんは一緒にいた友人と2人で、持っていたなたで頭を数回殴ったところ、クマはその場で死んだ。
仙北署の調べによると、クマは体長約50センチ。草むらから突然現れ、草なぎさんらが「あっち行け」と追い払おうとしたが、飛びかかってきたという。2人は同日午前6時ごろから入山し、マイタケ採りをしていたという。 (読売新聞) - 10月1日16時4分更新』
随分と豪傑の爺様である。もっとも二人連れで、相手は子熊だ。最初は追い払おうとしたが、驚いた子熊が、身の程も省みず一丁前に、人間様に立ち向かったのが悪かった。可愛そうな子熊である。
何時まで待っても帰ってこない子熊を母熊はどんな気持ちで、今頃山中をさ迷いさがしていることだろうか?
今年、例年に無くこうした山の獣たちが、里にあらわれるのは、この夏の異常気象で山の木の実の生育不良にあるらしい。
先日も、地元局のニュースで、猿による農作物の被害が、約6000万円ほどとかになると報じていた。
たしかに、一生懸命農作業に励んでいられる方に対して、不謹慎な言い方になることをお許し願えば、案外たいした額ではないなーということである。
これに比べれば、我々が犬、猫ペットに費やす費用はいかほどの額になるのであろうかということである。今日も、別のニュースで、内縁相手の連れ子の幼児を殴り殺した男が、その子たちを放置しておきながら、自分の愛犬は獣医のところへ連れて行ったという記事をみた。
人間の身勝手さ、エゴの凄まじさである。
猿だって、熊だって、猪だって、鹿だってみんな神様が、平等にこの世におつくりになったものである。彼らの居ない山なんて何と寂しいことではないだろうか。どこかの山陰に彼らの気配を感じてこそ、山が平地とは違う異次元の境界として、山に入ることの緊張感と新鮮な感動を得られるのではないだろうか。
であるならば、彼らにだって、この地上に等しく生きていく権利があるってものだ。それが不幸なことに進化の速度の不均一の結果、異常増殖した人間に生きていく場を次から次へ奪われ、文句一つ言えずに細々と命をつないでいるのである。
せめてペットにかけるお金の幾分かでも、自然動物の保護と環境保全に基金のようなものを設け、心ある人がいくらかでも寄付できるようにできないものだろうか。
その中から、これらの野生動物の食害の損害を補填してあげられるような仕組みである。
日本の森にも、かっては日本狼がいた。彼らは山神様と崇められ、鹿や猪の食害から農作物を守る益獣とされていたと聞く。今も山村の神社のご神体には、山犬(日本狼)を神様と祭ってあると聞く。その時代には同時に、人が山にやたらと入ることの恐れを抱かせ、山の霊性が守られていた。
だが、明治初年、西欧化の波の一環で、外国犬からの狂犬病が蔓延し、日本狼にも伝染しその数を著しく減じ、明治末年、秩父山中で射殺された一頭を最後に以来、絶えて久しくその姿は見られず、絶滅したものとされている。
日本狼が絶滅して、日本の山の神性は消失した。人間は至る所にダムを作り、縦横無尽に山肌を切り裂いて林道を張り巡らした。そして今や聖なる山の胸元に産業廃棄物の最終処分場まで作ろうというのである。
神は黙して、ただこの人間の神をも恐れぬ所業を見守っていられる。だが、それですむだろうか。いつの日にか、神様の堪忍袋の緒は切れて、いかなる鉄槌がくだるのだろうか?その鉄槌が現実のものとならない限り、我々はその傍若無人の所業をやめようとはしないのだ。
と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
ー追記ー
上掲の記事をアップした後、タイミングよくというか、次の記事が出ていた。熊との共存を世界中で考える動きが出てきたとは、喜ばしいことである。
『軽井沢で「国際クマ会議」=共存テーマに2日から、アジアで初
クマに人が襲われる被害が相次ぐ中、クマと人間との付き合い方を考える「国際クマ会議」が2日から6日、長野県軽井沢町で開かれる。北米、ヨーロッパ、アジアの研究者との間で、生態や保全、管理に関する情報を交換するのが主な目的。
会議は1968年にカナダで第1回が開かれ、今回が17回目。アジアで開催されるのは初めてという。
(時事通信) - 10月1日21時1分更新』