10月17日(火)晴れ。日中暑し。
昨夜、10時過ぎ、食後の転寝から目覚めて、付けっぱなしのテレビ画面に、何気なく目をやった。
車椅子に固定された青年が、一心に絵筆の先に括りつけた鉛筆で似顔絵を描いている。どうやって描くのだろう。
私も、定年後の今は、絵を描くことを仕事にしようとしている。だが、始めてみると、時間があるだけに反ってなかなか集中できない。筆をいろいろ選んでみても、こまかなところの描写が思うようにできない。こんな技量でプロを目指そうなんておこがましく思えてくる。
念願だった、上野の公募展への出品を目指して、100号のキャンバスに下描きまでは順調にすすんだものの、絵の具を置く段になったら、何故かちっとも進まなくなってしまった。もう、五年近くがたとうとしている。その間どうでもいいような回り道ばかりしている。
昨日の昼間も、仲間とのグループ展の会期がせまり、最後の仕上げにかかったが、少しいじりはじめるとあそこも、ここもと手直ししたくなる。収拾がつかなくなり、気ばかり焦る。
筆を置いて、まわりをぶらぶらしてしまう。自分の存在意義がわからなくなってくる。
そんな気持ちで、一日を過ごしたところで、この番組に出会ったのだ。
まるで、神様からのメッセージのように感じた。たちまち目覚めて見入った。
番組名は、NHK総合、プレミアム10「この世界に僕たちが生きてること」だった。
筋ジストロフィーを病む身体で110人の笑顔を描くのがライフワークという。
視ていて、涙が溢れて止まらなくなった。右側に吊り下げてあるモデルの写真を見つめながら、不自由な手をかすかに動かすと、それに連動した鉛筆の芯が、紙面の上に、かすれた様な軌跡を残す。その動作を何回も何回も根気よく繰り返していくのだ。その間、気管支を切開手術したため、タンがつまる。そのたびに、傍につききりのお母さんが笑顔で介護し、吸引器でタンをとってあげるのだ。
その手術の入院時に、看護してくれた看護士さんをはじめ他の患者さんたちの微笑を描くことを思い立ち、以来それをライフワークにしたという。目標を110人としたのは、「1(ひと)10(と)人(ひと)」を結んでいくという意味だそうだ。
二人のお母さん河合孝子さんは、正嗣(兄、28歳)、範明(弟、5年前23歳で死亡)さん兄弟が4歳の時に、筋ジストロフィーであると医師からつげられたそうだ。その時は、何ヶ月も泣き暮らしたが、それではダメだ思いなおし、笑顔で精一杯二人を看護することに決意して、今日まで二人を支えてこられたという。
二人は、養護学校を卒業すると、どこへも就職できないので、小さな工房を開き、自作の絵や工作物を作って、それを売って生活してきたそうだ。
ところが、5年前、弟の範明さんが呼吸困難で亡くなった。50号の大作、小学校時代の元気だった頃の鬼ごっこの思い出を描いた絵を遺して。
以来、正嗣さんは、以前にも増して、弟の分も生きて、自分が生きている意味をメッセージとして残すことを志したのだ。
しかし、彼の病状はさらに進む。心臓の括約筋が弱り、ペースメーカーを装着した。その手術で寝ている間に、弟さんが亡くなった時生じた9.11テロ事件を思い出す。その時、何故か世界貿易センタービルの背景の空が青く美しく見えたと言う。彼はその意味を問い続ける。人間には誰でも悪の部分と、善の部分が同じぐらいあるのではないかと。自分もその一人だと。
その時感じた「人間とは何か…」を自分が生きた証として伝えるべく、110人の絵は55人で中断し、100号もの大作に挑むのだ。
55人の「笑顔」は皆、素晴らしい笑顔だった。とても、あのような不自由な手で描かれたものとは思えないような、できばえである。目じりの皺の一本一本の微妙な線に、描かれたモデルの人の人生が感じられた。
そして、今までは、工房をアトリエとし、自宅からお母さんに車で送迎してもらっていたのが、通うことが困難な状況になり、自宅に引き上げることになる。
彼の体力は益々衰えていく。その身体で、100号の大作はどうやって描くのだろうか?
寝たきりで、パソコンで下絵を描き、それをお母さんがプリントアウトして大きく繋ぎ合わせ、キャンバスの上にカーボン紙挟んで貼り付ける。
そこで、やっと椅子に身を起こしてもらった彼が、鉛筆の代わりに括りつけたボールペンで、丁寧に下絵の上をなぞる。お母さんが、カーボン紙をそーっとめくってみると、くっきりと下絵の線が写しだされていた。
下絵を見た限りでも素晴らしい作品となりそうだ。彼には、今、イメージが溢れるように湧いてくるという。
極限まで人間として生きる力を奪われながら、懸命に生きようとする青年がいる。
その一方で、どこにも支障のない私のようなものは、ろくに大した努力もしないで、自分には才能が無いとかどうとか、御託を並べて、暇を潰している体たらくだ。
改めて、人間が生きる意味を、この極限の生の中でよりよく生き抜こうと意思し、そして限りない人間愛の連帯のメッセージを送ろうとする青年に深く教えられた。
彼に、このような強い生きる意欲を与えたものこそ、お母さんの笑顔だったのではないか。
それにしても、人間てものは、どうして健康で元気な者ほど、勇ましいことを言って戦争をしたがり、死にたがるのだろうか?
北朝鮮の独裁者の核兵器ごっこ。イスラムの聖戦の大儀の下、身体に爆弾巻きつけて、意味もなく自他を殺傷する自爆テロの暴虐に走るとはなんたることだろうか。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
昨夜、10時過ぎ、食後の転寝から目覚めて、付けっぱなしのテレビ画面に、何気なく目をやった。
車椅子に固定された青年が、一心に絵筆の先に括りつけた鉛筆で似顔絵を描いている。どうやって描くのだろう。
私も、定年後の今は、絵を描くことを仕事にしようとしている。だが、始めてみると、時間があるだけに反ってなかなか集中できない。筆をいろいろ選んでみても、こまかなところの描写が思うようにできない。こんな技量でプロを目指そうなんておこがましく思えてくる。
念願だった、上野の公募展への出品を目指して、100号のキャンバスに下描きまでは順調にすすんだものの、絵の具を置く段になったら、何故かちっとも進まなくなってしまった。もう、五年近くがたとうとしている。その間どうでもいいような回り道ばかりしている。
昨日の昼間も、仲間とのグループ展の会期がせまり、最後の仕上げにかかったが、少しいじりはじめるとあそこも、ここもと手直ししたくなる。収拾がつかなくなり、気ばかり焦る。
筆を置いて、まわりをぶらぶらしてしまう。自分の存在意義がわからなくなってくる。
そんな気持ちで、一日を過ごしたところで、この番組に出会ったのだ。
まるで、神様からのメッセージのように感じた。たちまち目覚めて見入った。
番組名は、NHK総合、プレミアム10「この世界に僕たちが生きてること」だった。
筋ジストロフィーを病む身体で110人の笑顔を描くのがライフワークという。
視ていて、涙が溢れて止まらなくなった。右側に吊り下げてあるモデルの写真を見つめながら、不自由な手をかすかに動かすと、それに連動した鉛筆の芯が、紙面の上に、かすれた様な軌跡を残す。その動作を何回も何回も根気よく繰り返していくのだ。その間、気管支を切開手術したため、タンがつまる。そのたびに、傍につききりのお母さんが笑顔で介護し、吸引器でタンをとってあげるのだ。
その手術の入院時に、看護してくれた看護士さんをはじめ他の患者さんたちの微笑を描くことを思い立ち、以来それをライフワークにしたという。目標を110人としたのは、「1(ひと)10(と)人(ひと)」を結んでいくという意味だそうだ。
二人のお母さん河合孝子さんは、正嗣(兄、28歳)、範明(弟、5年前23歳で死亡)さん兄弟が4歳の時に、筋ジストロフィーであると医師からつげられたそうだ。その時は、何ヶ月も泣き暮らしたが、それではダメだ思いなおし、笑顔で精一杯二人を看護することに決意して、今日まで二人を支えてこられたという。
二人は、養護学校を卒業すると、どこへも就職できないので、小さな工房を開き、自作の絵や工作物を作って、それを売って生活してきたそうだ。
ところが、5年前、弟の範明さんが呼吸困難で亡くなった。50号の大作、小学校時代の元気だった頃の鬼ごっこの思い出を描いた絵を遺して。
以来、正嗣さんは、以前にも増して、弟の分も生きて、自分が生きている意味をメッセージとして残すことを志したのだ。
しかし、彼の病状はさらに進む。心臓の括約筋が弱り、ペースメーカーを装着した。その手術で寝ている間に、弟さんが亡くなった時生じた9.11テロ事件を思い出す。その時、何故か世界貿易センタービルの背景の空が青く美しく見えたと言う。彼はその意味を問い続ける。人間には誰でも悪の部分と、善の部分が同じぐらいあるのではないかと。自分もその一人だと。
その時感じた「人間とは何か…」を自分が生きた証として伝えるべく、110人の絵は55人で中断し、100号もの大作に挑むのだ。
55人の「笑顔」は皆、素晴らしい笑顔だった。とても、あのような不自由な手で描かれたものとは思えないような、できばえである。目じりの皺の一本一本の微妙な線に、描かれたモデルの人の人生が感じられた。
そして、今までは、工房をアトリエとし、自宅からお母さんに車で送迎してもらっていたのが、通うことが困難な状況になり、自宅に引き上げることになる。
彼の体力は益々衰えていく。その身体で、100号の大作はどうやって描くのだろうか?
寝たきりで、パソコンで下絵を描き、それをお母さんがプリントアウトして大きく繋ぎ合わせ、キャンバスの上にカーボン紙挟んで貼り付ける。
そこで、やっと椅子に身を起こしてもらった彼が、鉛筆の代わりに括りつけたボールペンで、丁寧に下絵の上をなぞる。お母さんが、カーボン紙をそーっとめくってみると、くっきりと下絵の線が写しだされていた。
下絵を見た限りでも素晴らしい作品となりそうだ。彼には、今、イメージが溢れるように湧いてくるという。
極限まで人間として生きる力を奪われながら、懸命に生きようとする青年がいる。
その一方で、どこにも支障のない私のようなものは、ろくに大した努力もしないで、自分には才能が無いとかどうとか、御託を並べて、暇を潰している体たらくだ。
改めて、人間が生きる意味を、この極限の生の中でよりよく生き抜こうと意思し、そして限りない人間愛の連帯のメッセージを送ろうとする青年に深く教えられた。
彼に、このような強い生きる意欲を与えたものこそ、お母さんの笑顔だったのではないか。
それにしても、人間てものは、どうして健康で元気な者ほど、勇ましいことを言って戦争をしたがり、死にたがるのだろうか?
北朝鮮の独裁者の核兵器ごっこ。イスラムの聖戦の大儀の下、身体に爆弾巻きつけて、意味もなく自他を殺傷する自爆テロの暴虐に走るとはなんたることだろうか。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?