蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

この頃、しばし流行(ハヤリ)の“謝罪ごっこ”の不思議な光景、こはいかに!

2006-10-16 01:01:12 | 日常雑感
10月15日(日)晴れ。朝、10℃~日中、27℃。

 この頃、何か不都合な事件が起きるたびに、加害者、非難される原因を生じた企業や組織のお偉方(責任者?)が、机の上に何本も並んだマイクを前に、こちら(TV画面をみているこちら側)に向かって、「このたびは、…により、このような…事態を生じ、誠に申し訳ありませんでした。」と、三人ないしそれ以上の方々が並んで、一斉に最敬礼の光景を、何と多く目にすることか?
 
 大体、このような場合、こと最終権限をお持ちの方は、お一人のはず。その最高権力者がお一人出てくれば済むものを、何故か打ち揃っての、誰がどんな責任を感じて頭下げているのかと思うと、えらく不思議な感じに囚われるのは、天邪鬼な山家の隠居だけだろうか?
 
 察するに、お偉方を一人、われらが殿様を、世間の笑いものに晒しては、忠臣としての一部がたたないとばかりに、ぞろぞろ金魚の何とかみたいについてでてくるのだろうか?

 そして、このような場合、一番、責任を感じなければならない人間が、どこにいるのか分からなくて、何でこの方が責任とらなきゃいけないのという場合が結構あるような気がするのだが。

 確か、最近では、パロマガス湯沸かし器だったかの不具合でも、亡くなった被害者のお宅へ謝りに行き、何人かで一斉に遺影に額ずいていたのは、副社長か何かで、社長さんではなかった筈だ。
 そして、この会社、同族経営で何でも実権は社長さんに集中しており、副社長さんは田んぼの案山子のような権限しかなかったと何かで聞いた。

 だとすれば、肝心要の社長さんは出てこず、都合の悪い時の謝罪役だけとは気の毒なことである。
 
 先般も、小学6年生の女の子が自殺した件でも、肝心要の担任教師の姿かたちはおろか氏名も明かされないまま、現場に一番遠い教育長さんだかが、辞任されたのではなかったか?
 これなど、この教育長さん、何か他に辞めたくなる理由があってのことか、渡りに舟とお辞めになったのかと、つい余計な勘ぐりしてしまいたくなる。

 或いは、今日も、福岡での中学生自殺事件で、遺族宅へ学校関係者が弔問し、遺影の前に深々と頭を下げている様子がうつしだされ、その後で教育長が、謝罪の言葉をのべていた。

 そして、不思議なのは、いちいちの事件では頭を下げても、大きなこと、例えば先の大戦の敗戦責任とか、近くは1000兆円もの国の借金積み上げても、誰一人、国民に向かって、頭を下げようとはしない。

 この不思議な光景は、一体どうしたことだろう?

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?