蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

わが山里は、秋たけなわ…。

2006-10-11 19:41:41 | 田舎暮らし賛歌
10月11日(水)雨。14、5度。

 昨日、一昨日の好天にかわって、今日は今朝から秋雨の一日。雨の小止みに庭先に出てみた。

 目前の雑木林のなかで、にわかに紅葉した木々が目立ち始めた。標高700mの茅ケ岳山麓のこの地は、秋たけなわというべきか。

 


             
  
 部屋の中では、火の気がないと、何か落ち着かない気分である。一昨日の晴れ間に薪を用意しておいたのが正解だった。
 ストーヴに火を入れた。
 
 そうして、炎の揺らぎを見ていると、いつまでも厭きない。

 ふと、詩心が湧く。

 書棚から、昔、求めた詩集の一冊を手に取り、ページを繰った。

   田中冬二ー晩秋小景ー

   とりいれのすんだ野良は
   がらんとして
   むこうの道からは
   空がしろい障子をたてている

   蛾の羽のいろをした林に
   雨のしぶい音
   頬かむりの百姓が はだか馬をひいてゆく
   片手にさげた酒徳利(サカドックリ)には
   さむい雨の風景がまわっている


 なんと、「美しい国」、日本の田舎の炉辺(ロバタ)の恋しくなる、懐かしい風景だろうか。
 我が家から、一歩表へ出れば、こんな風景が広がるのも、もうすぐである。

 もっとも、今や、”はだか馬”をひいてゆくお百姓の姿はどこにも見あたらず、軽トラがユラユラとあぜ道を走りゆくだけではあるが…。

ー追記ー

 田中冬二(1894年~1980年)銀行勤めのかたわら、詩を書く。1961年第5回高村光太郎賞受賞。日本現代詩人会会長。日本の山村の風景と暮らし、季節感豊かなふるさとを描写した詩が多い。

好天を棒に振る!…国会中継「予算委員会集中審議」

2006-10-11 00:39:41 | 時事所感
10月10日(火) 快晴。暖。
  
 新聞休刊日。しかたない。スパモニを視る。北朝鮮核実験、如何(ドウ)見るか。コメンテーターが綺羅星のごとく勢揃い。見れば、昨日、引用させていただいた防衛庁、武貞主任研究官もご臨席である。こんなに早く実物の謦咳に触れられるとは思ってもみなかった。
残念ながら、TVのスイッチを入れたのが少し遅く、肝心のコメントは聞けなかった。
 が、その場の余韻から、昨日、紹介させていただいた内容の話をしたようであった。それに対して、アメリカがそれを傍観するだろうかというようなコメントを、他のコメンテーターがしていた。

 武貞氏は最後に、今後日本としてはどうすべきかと司会者から振られた質問に対して、そこは防衛庁の職員らしく。「国民の皆様には、やはり、こうした事態に対して、日本の防衛(国防だったか?)のあり方について、これを機会にもっと真剣にひとりひとりに考えていただきたい…」というような趣旨の発言をしていた。

 案外当たり前の発言で、先の見通しのユニークさに比べると、少々がっかりしたが、それはないものねだりというものだろう。

 そして街の声はと、街頭を行く人にマイクが向けられた。

 その中に、案の定、「日本舐められているよ、日本も核武装すべきだ」という声があった。

 これに対して、核武装するとなれば20兆円も軍事費がかかるとコメンテーターが注釈していた。
 これでは、消費税10%アップどころの話ではなくなるのだ。そして、一度、軍事大国への道を歩み始めたら、後戻りはできず、結局、暴発して、またぞろ破滅するまで正気にもどることはないということを、たった5、60年で人は忘れてしまうのだろうか…と、いうことである。

 この番組が終わったら、もう10時だ。
 
 空を見上げれば風もない、秋晴れの好天。写生にいこうかと思ったが、午後1時からは国会中継「衆議院予算委員会集中審議」がある。民主党は、前原議員が質問に立つという。久しぶりにどんな顔をして、檜舞台に立つのか見たくもある。
 出かけるのはやめた。

 1時になった。TVを付ける。

 前原氏が質問にたった。安倍宰相閣下の御著書「美しい国」をかざしての糾弾である。「ここに書かれていることと、ことごとく違うではないか?靖国、A級戦犯、政経分離、村山談話、従軍慰安婦問題、全て総理になって考え方を変えたのか?」と迫る。

 だが、宰相閣下は、ひたすら安全運転、そんな挑発に乗る訳がない。ひたすら忍の一字あるのみ、暖簾に手押しだ。のらりくらりのナメクジ答弁。

 その後、野党各党が質問に立つが同じことの蒸し返し。これでは答える方も嫌になるだろう。宰相閣下にいたく同情した。こちらも聞いていて途中、うつらうつらの子守唄だ。
 野党は、何故、事前に連携して重複した質問とならないよう、調整して臨めないのだろうか?貴重な国会の時間と歳費の空費である。

 終われば、五時。秋の日は釣瓶(ツルベ)落としだ。一日を棒に振った。もっとも、山家の隠居の一日なんて何をしようと、たいした変わりはないのだが。

  そこで、狂歌一首。

 「秋日和 北核実験で 棒に振る 国会質疑 行きつ戻りつ」 ー蛾遊庵山人ー

 と、思うこの頃、さて皆さまはいかがお思いでしょうか?