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徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

今日、新幹線300系・100系がラストラン・・・・・

2012年03月16日 19時35分14秒 | 鉄道のよもやま話

今日は、東海道新幹線500系のラストランが報じられていました。
その陰に隠れて100系の引退は、あまり報じられないのは残念です。

  
   左  100系     右  300系

 

 

300系は、「鉄仮面」の愛称で親しまれたように初代「のぞみ」で最高時速270キロで東京ー新大阪間を2時間半で結び、高速化の流れを築きました。


 
    ラストラン の 300系

 

100系は、昭和60年に東海道・山陽新幹線でデビューしましたが、東海道新幹線からは平成15年に引退し、JR西日本が山陽新幹線で「こだま」として運行していました。


  100系

 

これで、ダイヤ改正される17日から、東海道新幹線を走るのは、のぞみ、ひかり、こだまとも700系と最新型のN700系となります。

 

 左 N700系   右 引退する300系

これで、今まで多くの種類の、色々な車両の新幹線が見れたのですが、東海道新幹線では、700系とN700系のみになるのは寂しい限りです。

N700系への移行は、エコであり、種類の減少は管理面の経済性が言われています。
今後、新しい新幹線車両が、東海道に走るのはいつの事になるのでしょうか?


清荒神と中山寺の梅

2012年03月15日 13時30分20秒 | 独り言・社会・ニュース

毎年恒例の清荒神さんと中山寺にお参りと中山さんの梅林を見に行きました。

清荒神さんは、台所の神さんとして”三宝荒神さん”とも云われて、地元で信仰を集めています。

正式には”真言三宝宗清荒神清澄寺”といい真言三宝宗の大本山で、宇多天皇の創意により建立され、1100年の歴史があります。

かまどの神様としてあがめられ、現世利益を祈願される参詣者で賑わっていると言いたいのですが、平日は少ないようです。 土日や月例祭には、水商売の方が多く参詣しているようです。

  

3月15日は涅槃会(ねはんえ)の法要があるそうで、そのため涅槃図が、13日から掲げられています。
涅槃図は、釈尊が沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で涅槃(入滅)にはいるとき、頭を北、顔を西、右わきを下にして臥し、周囲に弟子を始め、菩薩、天竜、動物等が泣き悲しむ様を描いた図です。

 


ここから中山寺に向かうのですが、何時もなら、阪急宝塚線の清荒神駅から二つ目東の駅中山寺駅まで電車の乗ってゆくのですが、今回は、徒歩で行くことにしました。

約1.8Kmの行程で、住宅街のなか、山を下って、途中、売布神社などがあり、巡礼街道と言われているようです。

 

中山寺は、聖徳太子の創建によると伝えられ、我が国最初の観音霊場だそうです。
このお寺は、皇室の信仰もあつく、安産祈願の霊場として有名です。
特に、豊臣秀吉が当山を祈願し、秀頼を授かったとして、今の伽藍再建になったそうで、益々近隣の信仰を集めました。

その上、明治天皇勅願所として、ますます「安産の寺」として有名になったようです。

いつもなら、閑散としているのですが、昨日は、どうしたことかと思ったら、大安戌の日だったので、多くの参詣者がお参りに来ていました。
お宮参りの人々や腹帯を求めて、若いカップルが長蛇の列を並んでいました。
大安で戌の日は、年間7,8日程度しかなく、この日を目当てに、多くの安産祈願のお参りするようです。

「安産の寺」と同時に「梅林のある寺」としても有名ですが、今年は、まだやっと”咲き始め”のようです。
木に寄っては、多くの花を咲かせているものもあるのですが、多くの木々は、まだ蕾みが固いようです。

下記に、中山寺をスライドでご覧下さい。

 


 

 


映画「おかえり はやぶさ」

2012年03月13日 12時35分14秒 | 映画・社会

”はやぶさ”については、2月21日の当ブログで紹介した通り、昨年から3社競作されております。
今回、見てきました「おかえり はやぶさ」はその最後の作品です。

前回の「はやぶさ 遥かなる帰還」が、ドラマとしてもおもしろかったので、今回も同じ感慨にふけりたいと思い、見に行くことにしました。
その上、今回の映画は、3Dと言うことで、その効果はどうなのかをも知りたくて・・・・。

 

3Dの効果は、宇宙に漂う”はやぶさ”の動きに良く出ていたのですが、その他ではあまり感じられませんでした。

内容については、前回と同様、長い年月をかけて取り組んだ困難なミッションに挑んだプロジェクトチームと、彼らの想いを受け、色々なトラブルを克服し、満身創痍となりながらもカプセルを持ち帰る小惑星探査機”はやぶさ”の話は同じです。

前回は、新聞記者の娘と町工場を経営する技術者の父親の話でしたが、今回の親子は、エンジニアの親子です。

エンジニアである父親 大橋伊佐夫博士(三浦友和)は、火星探査機”のぞみ”のプロジェクトマネージャーであったのですが、失敗に終わり、世間やマスコミから税金の無駄使いと非難され、落ち込んだ人生を過ごしていました。

  

成功すれば、人類初の快挙となるミッションを帯び、”はやぶさ”が打ち上げられ、このプロジェクトには、プロジェクトマネージャーの江本智彦(大杉蓮)のもと、若手スタッフには、大橋博士の息子である大橋健人(藤原竜也)、新人理学博士の野村奈緒子(杏)も参加していました。

ここに健人の同僚 大吾(田中直樹)、その息子の風也(前田旺志郎)、その母の多美(森口瑶子)がからんで物語が進みます。

この映画も前回の映画と同様、科学映画なのか人間ドラマなのか分からないのは同じなのですが、僕の感覚からして、今一つ盛り上がりに欠けるように思いました。

 

はやぶさの故障の状況やその対策の取り組みは、分かりにくく、健人一人が奮闘しているように映ったのは、考え過ぎでしょうか?
主人公なので当たり前なのですが・・・・・・

それは、脇役の違いではないでしょうか?
前回の”はやぶさ”映画の脇には、そうそうたるキャストでしたが、今回には子供が出る場面が多く、子供向けに説明する場面が多くあり、子供向けだったのかも知れませんが・・・・

なお、3Dの効果も今一つであり、場面が相対的に暗いような印象を受けました。

比較するのは、間違いかも知れませんが、僕にとっては期待はずれでした。


鉄道うんちく ⑪ 西の阪急と東の東急 -その2-

2012年03月12日 08時40分41秒 | 鉄道のよもやま話

西の阪急と東の東急は、外観は良く似た鉄道会社なのですが、その歴史や経営姿勢は全く異なるようです。

その両社の違いの 第1 は
阪急の小林一三は、民間会社から鉄道会社を設立し、「 民 」の世界を歩いたのに対して、東急の五島慶太は鉄道官僚という「 官 」の世界からの天下りだったのです。

このことが、小林が、阪急では官庁からの天下りを原則として一人も採用しなかったのに対して、五島は官僚をどしどし東急に入れ、当時の鉄道省とのパイプを強めることに務めました。

ということは、小林が独自の文化圏を築くことに力を注いだのですが、その発想は、五島にはなかったようです。

           
        小林一三                    五島慶太               
                                                     注  敬称略

阪急の脱官は、梅田という駅名にも表れています。
つまり、当時国鉄の大阪駅に対して、小林の反骨精神は、敢えて"大阪" という駅名を使わず、"梅田" という駅名にしました。
JR大阪駅から阪急梅田駅は、ほん近くにありながら遠回りをさせられると言う不便さがあるのも、この意地がなせる技と言われています。


阪急と東急との違い 第2点目 は
事業家として自己の信念と独創で事業を展開する小林に対して、五島は、独創性には乏しく、小林の作った宝塚歌劇団のような文化を築くことが出来なかったのですが、買収、合併、併合などを繰り返し強引に事業を拡大してゆくタイプだったようです。

五島が唯一小林を追い抜くような事業、文化圏を築こうとしましたが、残念ながら志半ばで死去し、その後も受け継いでいったのですが、当初の計画は達成出来ませんでした。


その五島の事業とは「第2の東京」を作ると言うことでした。
戦後の人口が膨れ上がる東京とは別に、東京から独立した職住近接の都市を作ることでした。

これが出来れば、人口問題を解決し、尚且つ小林も出来なかった新たな田園都市が出来たのですが・・・

その場所とは、神奈川県川崎市から横浜市港北区(現青葉区と緑区)、東京都町田市、神奈川県大和市にかけての一帯です。
しかし、五島が目指した職住一体の「第2の東京」にはなれず、東京に通勤するサラリーマン家庭が生まれ、単なるベッドタウン化してしまったようです。
五島恵太の死後、後を継いだ長男の五島 昇をして、失敗であったと言わしめたそうです。

両社の違いは、ターミナルにも表れています。
このことは、また次回に書きます。
                                 * 当ブログは、敬称を省略させて頂いています。            


東日本大震災から1年、「絆」の意味とは・・・・・

2012年03月11日 12時42分21秒 | 独り言・社会・ニュース

東日本大震災の発生から、今日で1年が経ちました。
地震、津波、それに原発被害という3重苦に苦しめられた1年、いや今も苦しめられておられる方が多くおられます。
謹んで お見舞い申し上げます。

阪神・淡路大震災(M7)を経験しましたが、その時以上の被害規模であり、今まで経験したことがない事態であったことといって、それを言い訳にすることは出来ないと思います。

特に「想定外」などと政治家や専門家が言うのは、恥ずかしい想いです。
特に、その専門家がM9などは日本では起こらないと思っていたそうです。

2004年に起こったスマトラ沖地震は、M9.3だったそうですが、その時に、日本でもM9の地震は起こるかもしれないと考えなかったのでしょうか?
素人が言うことですので、それも済んでから言うのですから、なんでも言えると言うことでお許し願いたい。

「想定外」は、過信と油断の同義語ではないでしょうか?

今回の地震で「絆」と言う言葉が、盛んに言われました。
「絆」の語源は、犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことです。

繋ぎとめる綱の意味から、家族や友人など人と人を離れがたくしている結びつきを言うようになりました。

       昨年2011年 今年の漢字は「絆」でした

単なる「つながり」「関係」「結びつき」などという単語では表せないもので、「つながり」と同時に「離れがたい」という表現なのです。
従って 「 絆 」の説明としては、「絶つことの出来ない人と人の離れることが出来ない強い繋がり」なのです。

海外にもこの「絆」と言う言葉で謝意を表していますが、果たして本当にこの意味を100%表しているのでしょうか?
英語では、「bond」と言われているようで、 あの接着剤のボンドなのです。
確かに強い繋がりなのですが、日本語の本来の意味を理解されているのでしょうか?

英語では、家族の絆は、family ties   友情は、bond of friendship  強い絆は、tight bonds
では、漢字の国 中国語では、どのように使われているのでしょうか?

中国語で「絆」といえば、暖かい人間関係はなく、単なる二つのものの結びつきを表し、例えばボタンと糸を結び付ける作用を言うのだそうです。
中国語の辞典では、①馬などを繋ぐ綱 ② からみつく ③足をかけて物や人を倒すこと、邪魔をすること とあります。
従って、漢字が同じということで、中国の人に「絆」といっては、全く異なった意味にどころか、悪意に取られる恐れがありますので、使うことは出来ないと思います。

どのように表現されているのか、知りませんので、知っている方は教えてください。

しかし、今の日本で、「絆」は、本来の日本語の意味で使われているでのしょうか?
”がれきの処理”にしても、政府や専門家の対応を聞くにつれ、「絆」と言う言葉がむなしく感じられます。

がれき”の受け入れは、どこも自分勝手なことを言っています。
今後、自分の地域で、このようなことがあれば、同じようなことに陥ることになるのですが・・・。


本当の「絆」とか「支援」を言うのであれば、日本国中でリスクを分け合うことこそが、本当の「絆」なのではないでしょうか?


大阪城の梅林  動画と大阪城の表情

2012年03月10日 12時58分23秒 | 独り言・社会・ニュース

梅は咲いたか 桜はまだかいなぁ 

春は名のみの風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと声もたてず
時にあらずと声もたてず

啓蟄も過ぎ、梅やフクジュソウなどが咲き少しづつ春の気配が感じられる今日この頃ですが・・・・ 
今日からまた、寒の戻り となるようで、桜の開花は例年より遅れそうです。

昨日の大阪城の梅林を動画にまとめました。
ここの梅も、最初は思い付きで植えられたのでしょうが、それが40年を経て、どしどし増えて、梅林と言えば大阪城とまで言われるようになりました。

大阪城の梅林(動画と大阪城の表情(スライドショー)を見てください。

 

 


大阪城の梅林 

2012年03月08日 19時35分57秒 | 独り言・社会・ニュース

大阪城に梅を見に行ってきました。
例年に比べ、19日遅い3月1日に開花が発表されました。
今年は寒い日が多く、開花が遅れましたが、早咲きの品種の多くが見ごろとなっています。

新聞などでは満開となっていますが、梅林全体としては6,7分咲きではないでしょうか!

 

  

  

 

大阪城の梅林の歴史は案外、新しく、始まりは1972年(昭和47年)10月に大阪府立北野高校開校100周年事業の一環として寄贈され、梅林が造成されたことによるそうです。

 

 

 

 

この梅林の地は、大阪城の”市正曲輪(いちのかみくるわ)”と呼ばれていたところで、片桐市正且元(かたぎりいちのかみかつもと)の屋敷跡です。

戦後は、主に大阪府警機動隊の訓練場として使われていました。
その後前述の通り1972年に梅林が造成され、1980年に現在の規模に拡張されました。

2006年現在 97品種 1240本の梅があり、品種では、西日本一の多さだそうです。

今日は、午前中は、穏やかな陽射しも射し、暖かく、多くの人出で賑わっていました。


鉄道うんちく ⑩ 西の阪急と東の東急 -その1-

2012年03月07日 11時22分09秒 | 鉄道のよもやま話

先月、阪急電車やその創業者の小林一三について書きました。
関西の阪急に対して関東の東急が良く比較されます。

首都圏と大阪圏を代表する二つの大手の私鉄は鉄道のあり方の違い、そこに現れる文化の違いがあります。

 一方、よく似た私鉄であるとも云われています。
社名もそうですが、両社のイメージも似ているようです。

そのイメージとは、どちらも垢ぬけて、上品で、沿線には住宅地が広がっているということだそうです。
その似たイメージとは、正反対の経営思想なのです。
それには、両社の異なる歴史的な背景があったのです。

  
  阪急 梅田駅表示板           阪急 梅田駅 9番線まであり、壮観です。

 
  渋谷駅 表示板             渋谷駅といっても相互乗り入れで、分かりにくいです
                         JR東日本、東京メトロ、京王電鉄、そして東京急行電鉄
  

阪急の開業は 1920年(明治43年) 東急の始まりは、1923年(大正12年)
その育ての親とも云うべき人は、阪急は、小林一三。 東急は、五島慶太です。

鉄道業界では、「西の小林、東の五島」と並び称せられ、戦前、戦後を通じて両社とも名の知られた財界人です。

共に大臣まで務めたのですが、そのため戦後は、公職追放になっています。
小林は、近衛内閣の商工相、五島は、東条内閣の運輸通信相を務めています。

ここまでは、両者とも、よく似た経歴を持っているのですが、決定的に違うのは、実業家としては、全く異なり、それが阪急と東急の違いを生み、私鉄としての性格の違いにもつながっているのです。

阪急の小林イズムについては、2月7日の当ブログで書きましたので、五島の考えについては次回に書きます。
ここに、両者の鉄道経営の違いと文化の違いが分かると思いますが・・・・・・

 


予告先発は、本当にファンサービスなのでしょうか?

2012年03月05日 14時30分48秒 | 野球・タイガース

セ・リーグでも予告先発が導入されるようです。
唯一 導入に乗り気がなかったタイガースが、賛成にまわり、8日の理事会で本決まりになるようです。

予告先発の導入には賛否両論があります。
本来は、観客数の減少が原因なのですが、他球団とも”ファンのために”とか”ファンサービスの一環”などといって導入しようとしています。

先発投手を事前に発表することが、本当にファンサービスになり、観客数は増えるのでしょうか?
切符が取れないといわれていたタイガースも最近は、若干当日券もあるようです。
予約先発が発表されるとなると、ますますチケットは当日に買う方が増え、反対に後の試合は、観客数が減少するのではないかと思われます。

 
 ザラテ 好投した育成投手 今年の秘密兵器になるか。

 

本来の野球の楽しみである”駆け引き”の醍醐味がなくなるというのが、反対する人の意見です。
監督の采配は勿論のこと、スコアラーのデーター収集、先発投手の調整、野手の準備、守備位置も変わり、考えようによっては、楽になります。
それだけ、試合の興味が半減するのも確かなと思われます。

パ・リーグが導入したのは、1985年、日曜日のみ予告先発したのが始まりです。
当時、パ・リーグの観客数は減少の一途をたどっていました。
村田兆治、山田久志、東尾修、松沼兄など、そうそうたる本格派投手がおり、予告先発をすることで、観客は、増えたようです。
全試合、予告先発が始まったのは1994年でした。

今、セ・リーグの観客数が減っているのは、パ・リーグが導入した時とは違うように思われます。
長引く経済不振やサッカーなど野球以外のスポーツが盛んになっており、なによりも、今のセ・リーグに予告して客を呼べる投手が何人いるのでしょうか?

セ・リーグにスター投手が少なく、居ても1試合だけは、その投手で客を呼べても、2,3試合目は、反対に客が減少することも考えられます。

”ファンのため”というには、余りにも安直な考えではないでしょうか?
もっともっと企業努力を、1球団だけではなく、危機感をもって各球団が束になってファン獲得に努力して欲しいものです。

ちなみに、アメリカのメジャーや韓国プロ野球は対戦毎(3,4試合ごとに)に先発投手をまとめて予告します。
台湾プロ野球は、パ・リーグ同様の予告先発をしています。

せめて、日本のセ・リーグだけでも、本来の野球の醍醐味を楽しめればと思ったのですが・・・・ 


今日は、”円の日”です。

2012年03月04日 11時11分26秒 | 今日は、何の日

3月に入り、気候もすっかり春めいてきました。
梅のたよりもちらほらと聞こえてきます。
昨日は、桃の節句でしたが、今日3月4日は、”三線の日”、サッシの日”、”ミシンの日”それに”円の日”だそうです。

1869年(明治2年)明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めたことに寄ります。

日本の貨幣が、円という名称になったのは、なぜでしょうか?

                

1、楕円形、方円、円形などの貨幣形状をすべて円形に統一することにしたので、円と名付けた。
2、江戸時代末期に知識層の間で金貨の単位の「両」を「円」と呼ぶ習わしがあり、
  佐久間象山が勝海舟に宛てた手紙の中に「円」という表現があり、この呼称を明治政府が採用した。

3、中国では、昔 銀は鋳造せず、塊で貨幣として扱われていました。
  18世紀に入り、スペインから鋳造した銀の貨幣(洋銀)が流入し、その形状から「銀円」と呼ばれ
  、それがそのまま日本にも流入し、日本もこれを真似て通貨単位を「円」と改めた。

諸説色々ありますが、上記3が真相と言われています。

ちなみに、中国の「元」の正式名称は円だそうです。
といってももともと、円は中国から来たものですから、中国が本家なのでしょう。

韓国の「ウォン」も円の朝鮮語読みだそうです。

中国語では、日本の円は「日元」、米ドルは「美元」、ユーロを「欧元」といい、ここも中華思想が現れています。