ポピュラー音楽と資本主義 | |
毛利 嘉孝 | |
せりか書房 |
☆著者の本書を書く動機は、
昨今の新自由主義的なイデオロギーの浸透のなかで、マルクス主義も批判理論も世の中から消えてしまって、ポピュラー音楽があたかも自由な自己表現の手段であると素朴に信じられている傾向が強まっているようです。だからこそあらためてポピュラー音楽と資本主義について考える必要があると思ったのです。
☆しかし、これはどうも後付け的だ。
☆著者自身、そうは思っていないはず。クラシックであろうとポップであろうと、ロックであろうと、生きる限るにおいて、何らかの社会的拘束力や制約などの負荷があるのは当然だからである。
☆音楽であろうと、彫刻であろうと、絵画であろうと
☆アニメであろうと、ゲームであろうと、
☆その背景に何があるのかを読むのは、個々人の認識の基準の問題。
☆マルクス的に読もうと、批判理論的に読もうと、ビジネス的に読もうとそれはそれでよい。
☆音楽もメディアである以上、使い方は様々なのだから。
☆ただ、重要なことは、そのメディアが新しいものを生み出す可能性があるのかどうかだ。
☆新しい使い方として一回性があるかどうかが重要である。
☆それがなければ、マーケットで売れるかどうかで十分である。
☆そういう意味では、本書を読んで新しいものを生み出す可能性があるかどうか
☆その判断は難しい。
☆ただ、イギリスのファインアートとロックが結びついて、ポピュラー音楽と
☆芸術性の高い音楽の両義性のある創作物を生み出しているという着想が、
☆読みようによってはうまれてくるのではないだろうか。
☆ビジネスとアートの交差は、日本にいたのではピンとこないはずだという確認が
☆できたし、このアートの部分を教育と変えても同じことだと気づいたことは、
☆読んでよかったと思う。