クラシック 名盤探訪

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ドイツ13日間作曲家の足跡を訪ねて(後編)

2010年10月03日 | 歴史・旅(海外)
コース順路:コース満足度★★★★★ 8月19日~31日
フランクフルト空港→リューデスハイム→コブレンツ→ボン→ハイデルベルク→ミュンヘン→オーバーアマガウ→フユッセン→ザルツブルク→ニュルンベルク→バイロイト→ドレスデン→ライプチヒ→アイゼナハ→フランクフルト空港

ニュルンベルクはワーグナーのオペラ「ニュルンベルクの名歌手」の舞台となった職人の街、まずは旧市街地入口のすぐ横にある職人広場を訪れる。
ここにはニュルンベルク独特の手作りのおみやげが並べられていて、見ているだけでも結構楽しい。
メイントリートを進むと、13~4世紀にかけて建てられたゴシック様式の巨大な聖ローレンツ教会が見えてくる。
中に入ると美しいステンドグラスを背景にして、天蓋からつるされた受胎告知のレリーフがまず目に入る。
ここに来るまで知らなかったが、ファイト・シュトス作になる素晴らしい造りの作品と言われている。
   

旧市街を東西に流れるムゼウム橋からの眺めは絵になる風景といってよく、とても昔の雰囲気を漂わせている。
フラウエン教会の正面には、カール4世と7人の選帝侯の仕掛け時計があり、12時のスタートから見れたのがラッキー!
職人の技術の高さを誇るシンボルだったという「美しの泉」という高さ17mの塔の周りには大勢の人が賑わっている。
有名なニュルンベルクソーセージを食べてみたが、直火で焼いているせいかカリッとした香ばしい味がして、たしかにドイツ中で一番美味しいソーセージと、ドイツ人が言うのも頷ける気がする。
  

カイザーブルクは11世紀に基礎が築かれたという神聖ローマ皇帝の城で、この時代は首都というのは存在せず皇帝は各地の城を移り住んでいたらしい。
1050年~1571年における全ての皇帝が、この城に必ず滞在していたというから、この城の重要性がよく分かる。
塔へ上って街を一望すると、中世の雰囲気を漂わせる街並みが素晴らしい展開を見せてくれる。
 

城を出て少し坂を下ると、ドイツ・ルネッサンスの大画家デューラーが1509年から亡くなる1528年まで過ごした家がある。
内部は生活の様子がよく分かるようになっているほか、デューラーの複製画などが展示されていて、当時の画家の在り様がとてもよく分かる。
当日の18時からは無料公開ということを知り、職人広場の西にあるゲルマン国立博物館へ行ってみる。
 

入ってみると、その広さと充実した展示物の内容に驚く。
国立博物館だけあって、古代の遺物、生活用具、そして絵画や彫刻がテーマ別、時代順に展示されている。
写真撮影も自由で、肖像画の名手デューラーの描いた絵など印象的なものを載せておく。
とても2~3時間で見れるものではなく一日かけても足りないくらいで、今度訪れるときは時間をかけてじっくり見たいと思っている。
ニュルンベルクに来た人には、ぜひ訪れてほしい穴場ともいえる必見の場所。
  

とうとう昔から一度は来たいと思っていたワーグナーの聖地バイロイトへ到着、意気込んでいるせいか、駅前から遠くに見える祝祭劇場への道にさっそく足を踏み入れる。
レコードのジャケットでも度々見たバイロイト祝祭劇場、その正面に立って建物をじっと見ていると何故か目頭が熱くなってくる。
ワーグナーが、自作のオペラを理想的な音響と舞台効果で演奏できる劇場が欲しい、そんな思いで自分で設計し建立した劇場だけあって、今では全世界からここで開かれる音楽祭に多くの人々が訪れる。
私など最初から入場はあきらめていたけれど、劇場の横でチケットを求むと書かれた看板をかざしている日本人の女性がいるのに少々驚く。
 

祝祭劇場の手前の小さな公園には、ワーグナーと妻コジマの像が左右に立っている。
二つの像を見ていると、当時話題になっただろう二人の関係にどうしても触れざるを得なくなる。
ストーリー的な表現をすると、「・・・名ピアニストでもあった作曲家リストの次女コジマは、名指揮者ハンス・フォン・ビューローと結婚するが、新婚旅行の途上に天才的な作曲家ワーグナーと逢い、一目惚れしてしまう。
ついには夫を捨ててワーグナーのもとに奔り恋愛状態に発展し、やがてコジマは彼の妻となる。
二人は世間の非難、妨害に会うが、コジマはそれに立ち向かい献身的な愛を彼に捧る。
ワーグナーが多くの名曲を生み出した創作力の源、それを支えたのがコジマの存在であったことはまず間違いがない・・・」となる。
 

ハウス・ヴァーンフリートは晩年のワーグナー夫妻が過ごした住居で、今はワーグナー博物館となっている。
正面手前には、ワーグナーの熱烈な擁護者であったルートヴィッヒ2世の胸像が置かれている。
中に入ると、ワーグナーゆかりの品々や楽譜、そしてバイロイト音楽祭の舞台の写真などが展示されている。
小さなホールではワーグナーの音楽も流れていて、今まで訪れた作曲家の博物館では内容が一番充実しているのが嬉しい。
屋敷の裏側に行くと夫妻の墓があり、世界中のワグネリアンからの花が捧げられている。
 

すぐ横の通りには、ワーグナーの義理の父でもあるリストの旧宅(リスト博物館)がある。
リストの業績、人間関係がよく分かる。
バイロイトを後にして列車は一路、旧東ドイツの都市ドレスデン駅へと向かう。
第2次世界大戦中の都市における最大の空襲爆撃(1945年2月)を受けたとされるドレスデン、今は東西の統一からもう20年になる。
駅から旧市街へ向かう通りを歩いてみると、街並みは近代的なビルが立ち並んでいて、そのモダンな雰囲気の変化にはびっくりさせられる。
 

旧市街地区へ入ると建物の様相が一変、聖十字架少年合唱団で有名な聖十字架教会がまずは姿を見せる。
ドイツ音楽の父ハインリッヒ・シュッツも率いた聖十字架少年合唱団は、500年以上もの歴史を誇るというから驚かされる。
ドイツ最大のプロテスタント教会であるフラウエン(聖母)教会を建てるのに6118日もかかったのに、破壊にはわずか1夜しかかからなかったという。
とにかく戦争の恐ろしさ、空しさが身に染みる話ではある。
今は、10年かかって再建された教会がルターの像を前にして、昔の姿で立派によみがえっている。
ドレスデン城のほうへ進むと、欧州最古の武芸競技場だったシュタールホーフが再建されていて、その外壁には長さ101mの「君主の行列」という壮大な壁画が描かれている。
  

劇場広場から見るカトリック旧宮廷教会とドレスデン城の眺めも印象的だが、その北側に流れるエルベ川沿いの眺めは一層素晴らしいものがある。
 

再建されたゼンパーオペラ(ザクセン州立歌劇場)は歴史ある劇場で、初代音楽監督には「魔弾の射手」で有名なウェーバーが就いているし、後任として楽長の座に就いたワーグナーは、ここで「さまよえるオランダ人」と「タンホイザー」を初演している。
歌劇場の内部が見たくて、内部のガイドツアーに参加する。
華麗な劇場内部に感心させられたが、肝心の説明がドイツ語でほとんど理解できなかったのがとても残念。
 

ザクセン王国の栄華を伝えるツヴィンガー宮殿の内部に、名作が目白押しに並ぶアルテ・マイスター絵画館がある。
フェルメールの「手紙を読む少女」、ラファエロの「システィーナのマドンナ」、そしてレンブラント、デューラー、ボッティチェッリの絵などたくさんの素晴らしい絵画があり、とても少々の時間では見切れない。
ドレスデンの魅力に思いを惹かれながらも、夕方の列車で次の訪問先、音楽の街ライプチヒへと向かう。
聖トーマス教会は、バッハが15代目のカントル(オルガン奏者兼合唱団の指揮者)を27年間務め上げた由緒ある教会。
当時埋もれていたバッハを蘇えらせ、名作「マタイ受難曲」を復活上演させたメンデルスゾーンの像が教会のすぐそばに立っているのは当然かもしれない。
  

教会の前には有名なバッハの像も立っていて、観光客がひきり無しにカメラのシャッターを切っている。
写真では分かりにくいが、上着の左ポケットをよく見ると中身が外に出ているのに気付く。
これは「金がない」ことをアピールしているのだという。
教会内の主祭壇の前にはバッハの墓があって、訪れる人々の捧げる花が絶えない。
聖トーマス教会に朝訪れたところ、幸運にもバッハのカンタータのリハーサルが無料で公開されているのに遭遇、その素晴らしい演奏と音の響きにとても感動する。
  

教会のすぐ前にバッハ博物館がある。
バッハの作品を聴けるコーナーや、彼の生涯をビデオでたどるコーナーもあって楽しい。
ライプチヒはゲーテの街としても有名で、街を歩くとゲーテの像があったり、彼がよく通ったという酒場の前にはファウストとメフィストフェレスの像もある。
  

アウグストゥス広場に訪れるとオペラハウスとゲヴァントハウスが広場を中心として向き合って建っている。
特にゲヴァントハウスはメンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナー、そしてR.シュトラウスが指揮者として活躍した舞台だったというから、その伝統というか歴史の古さが偲ばれる。
 

好きな作曲家の一人、メンデルスゾーンが音楽活動をいそしみ、そして亡くなった時の家を再現したというメンデルスゾーン・ハウスを訪れる。
行く途中には、シューマン・ハウスもあるはずだったが、道に迷ってしまい見つからなかったのが残念。
偶然にシューマンの像を見つけたのは良かったが、肝心のワーグナー生誕の碑が見つからない。
代わりにと言ってはおかしいが、駅前のホテルに帰る道脇で、再来年ワーグナー生誕200年を記念するパネルを発見する。
  

バッハというと、どうしても生誕の地アイゼナハは外せない。
カールス広場を訪れると、この街の教会で説教をしたというルターの像が聖書を手にして立っている。
 

ヴァルトブルク城は、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」第二幕の歌合戦の舞台ともなった中世の面影を深く伝える城。
有名なミンネゼンガーのヴァルター・フォン・フォーゲルワイデとヴォルフラム・フォン・エッシエンバッハなどが、詩歌を競い合った歌合戦の様子を描いたフレスコ画が興味を引く。
 

歌合戦の大広間に出ると、嬉しいことに「タンホイザー」の大行進曲が聴こえてくる。
ルターが新約聖書をドイツ語に訳した部屋はとても質素なもの。
じっと見ていると、1521年5月から翌年の3月までの10か月間、厳しい状況の中で偉業を成し遂げたルターの偉大さが伝わってくる。
 

世界遺産にもなっている城からの眺めは、テューリンゲンの中世の森の雰囲気を感じさせて素晴らしい。
待望のバッハ生誕の家は、今はモダンな造りになっていて少々拍子抜けする。
前にあるバッハの像は、レコードのジャケットでもよく見かけるもので、なぜか懐かしいような気持ちがわいてくる。
  

中に入ると展示内容はなかなか立派で、いろいろなバッハの肖像画があったり、説明員が当時の弦楽器やチェンバロなどを演奏しながら紹介をしてくれる。
ルターが説教をしバッハが洗礼を受けた聖ゲオルク教会に行けたのも嬉しい。
信者でもなんでもないが、当時の世界というか雰囲気を味わえたことが貴重な経験だったと思う。
最後にドイツの印象を語ると、みんなとても親切、そして清潔できれいな街、若い女性の一人旅が多いわけがよく分かる。
そんなドイツに感謝!
  

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