![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/5b/022bd5e2b2624b8caf63930fd790ae8e.jpg)
私の愛読書のひとつに「モーツアルトのいる部屋」という本がある。
著者の井上太郎氏は、中央公論社で宮脇俊三氏とともに「モーツアルト大全集」を企画担当された方で、モーツアルトをこよなく愛してやまない人。
七百曲に近いモーツアルトの作品の一つ一つを生涯の軌跡と併せて丁寧に説いていて、私はこの本からその知られざる名曲の数々をどんなに教えられたことか、本当に感謝の念に耐えない。
この曲は1777年、モーツアルト21歳の若書の傑作で井上氏の本にはこうある。
「この曲はいろいろな点で型破り・・・冒頭からピアノのソロが開始される・・・これ以後のモーツアルトの協奏曲でも一度もない・・・第二楽章が短調なのもこのジャンルの曲では初めて・・・開始のカノンに続く悲痛な弦の嘆きの歌の後、ゆったりと登場するピアノの新しい主題の背後に、運命の厳粛な歩みを思わせる冒頭のカノンが、影のように流れてゆくあたりの素晴らしさは、モーツアルトといえども二度と書けなかったものではなかろうか・・・この曲のフィナーレは聴き手の意表を衝き次々と無限の世界へと誘っていく・・・私の愛してやまない曲である」。
私も全く同感だし、この見事な文章を読んでこの曲を聴きたいと思う人はきっと沢山いるはず。
この盤での78歳のゼルキン、モーツアルトのこの曲にかける思いというものを、全体にゆったりとしたテンポで淡々と聴くものに訴えている。
アバドの伴奏とともに、全く自然体の表現なのがとにかく素晴らしい。
録音も、ふくよかな管の響きと奥の深いピアノの音色の変化を見事に捉えている。
是非聴いて欲しい、とっておきの愛聴盤。
あえてこの曲のベストスリーをあげると、
・ルドルフ・ゼルキン、クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団 <Grammophon>
・リリー・クラウス、ヴィクトル・デザルツエンス指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団 <不明>
・なし
著者の井上太郎氏は、中央公論社で宮脇俊三氏とともに「モーツアルト大全集」を企画担当された方で、モーツアルトをこよなく愛してやまない人。
七百曲に近いモーツアルトの作品の一つ一つを生涯の軌跡と併せて丁寧に説いていて、私はこの本からその知られざる名曲の数々をどんなに教えられたことか、本当に感謝の念に耐えない。
この曲は1777年、モーツアルト21歳の若書の傑作で井上氏の本にはこうある。
「この曲はいろいろな点で型破り・・・冒頭からピアノのソロが開始される・・・これ以後のモーツアルトの協奏曲でも一度もない・・・第二楽章が短調なのもこのジャンルの曲では初めて・・・開始のカノンに続く悲痛な弦の嘆きの歌の後、ゆったりと登場するピアノの新しい主題の背後に、運命の厳粛な歩みを思わせる冒頭のカノンが、影のように流れてゆくあたりの素晴らしさは、モーツアルトといえども二度と書けなかったものではなかろうか・・・この曲のフィナーレは聴き手の意表を衝き次々と無限の世界へと誘っていく・・・私の愛してやまない曲である」。
私も全く同感だし、この見事な文章を読んでこの曲を聴きたいと思う人はきっと沢山いるはず。
この盤での78歳のゼルキン、モーツアルトのこの曲にかける思いというものを、全体にゆったりとしたテンポで淡々と聴くものに訴えている。
アバドの伴奏とともに、全く自然体の表現なのがとにかく素晴らしい。
録音も、ふくよかな管の響きと奥の深いピアノの音色の変化を見事に捉えている。
是非聴いて欲しい、とっておきの愛聴盤。
あえてこの曲のベストスリーをあげると、
・ルドルフ・ゼルキン、クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団 <Grammophon>
・リリー・クラウス、ヴィクトル・デザルツエンス指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団 <不明>
・なし
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蔦谷ぐらいなら、ホームページで検索が出来たらいいのにと思います。
なければHMVにしましょうか
この曲は、曲自体が良く出来ているのでどの演奏でも一応満足するとは思いますが、とっておきの愛聴盤として長く飽きずに聴き続けるには、やはりこの盤を手元に置いて欲しいですね。
ゼルキンに感謝!