コース順路:コース満足度★★★★
JR王子駅→飛鳥山公園→渋沢史料館→飛鳥山博物館・紙の博物館→音無親水公園→金剛寺(紅葉寺)→王子神社→王子稲荷神社→名主の滝公園→JR王子駅
飛鳥山公園あたりは桜と紅葉の素晴らしさで知られた所、12月も中旬になって寒さも身に沁みる日々になってきたが、晩秋の名残を楽しもうとぶらり家を出る。
JR王子駅のすぐそばにある飛鳥山公園には3つの博物館が並んでいる。
晩年にこの地に住んだ渋沢栄一を偲ぶ史料館に、彼の立派な足跡が展示されている。
説明文には「・・・日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一<1840(天保11)~1931(昭和6)年>の全生涯にわたる資料を収蔵、展示しています・・・」とある。
栄一がこよなく愛し、内外の賓客を迎えるのに使用したという「晩香廬」が、昔の面影をよく偲ばせた風情で姿を見せている。
紙の博物館がなぜここにあるのか不思議に思ったが、王子は明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった抄紙会社(後の王子製紙王子工場)が設立された地で、"洋紙発祥の地"として知られているからとのこと。
すぐ先の音無親水公園は、石神井川の旧流路に整備された公園で、この川は北区付 近では音無川と呼ばれ、古くから景勝の地として親しまれてきたらしい。
だいぶ枯れて葉が落ちてしまったが、紅葉が日に生えて風に美しく揺れている。
金剛寺(紅葉寺)は源頼朝が伊豆で挙兵した後、安房・隅田川を経て武蔵国へ侵攻した時に滝野川の松橋に陣をとった言われているし、松橋とは当時の金剛寺の寺域を中心とする地名であり、この寺の弁財天に頼朝が祈願したとの話も残っているので頼朝が立ち寄ったことは間違いないと思う。
王子神社の由緒を紐解くと、「・・・熊野元享2年(1322)に領主の豊島氏が近隣の地に紀州の熊野神社を勧請し、王子神社を祀った処から地名も王子と改まり・・・」とある。
確かに熊野古道には、九十九王子をはじめ王子の名がたくさん出てくるので、何故この地を王子と呼ぶのか、その理由がやっと理解できた。
関東の稲荷総社と言われる王子稲荷神社には、やたらと狐の石像が鎮座している。
火難除けと商売繁盛に御利益があるらしく、多くの参拝客が熱心にお祈りをささげている。
名主の滝公園は、「・・・嘉永年間 (1848~1854 )に王子村の名主畑野孫八が自邸に開いた江戸情緒豊かな庭園で、台地の斜面を巧みに利用し自然の風景を取り入れており、古来王子の七滝の一つとして著名で、都内でも数少ない景勝地です・・・」とあるように、訪れてみると確かに都内とは思えないような情緒豊かな風景が眼の中に飛び込んでくる。
まだ少し残っている紅葉の眺めは十分に楽しめるし、地下水を利用した四つの滝が流れ落ちる辺りは清涼感満点、中でも男滝の流れ落ちる景観は見事で、写真愛好家だと思うが一眼レフのカメラで熱心に写真を撮っている。
晩秋の美しい景色に触れたことに満足な気持ちを抱きつつ、王子駅へと帰宅の足を進める。
生品神社、世良田東照宮そして渋沢栄一の生誕地を巡る
JR王子駅→飛鳥山公園→渋沢史料館→飛鳥山博物館・紙の博物館→音無親水公園→金剛寺(紅葉寺)→王子神社→王子稲荷神社→名主の滝公園→JR王子駅
飛鳥山公園あたりは桜と紅葉の素晴らしさで知られた所、12月も中旬になって寒さも身に沁みる日々になってきたが、晩秋の名残を楽しもうとぶらり家を出る。
JR王子駅のすぐそばにある飛鳥山公園には3つの博物館が並んでいる。
晩年にこの地に住んだ渋沢栄一を偲ぶ史料館に、彼の立派な足跡が展示されている。
説明文には「・・・日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一<1840(天保11)~1931(昭和6)年>の全生涯にわたる資料を収蔵、展示しています・・・」とある。
栄一がこよなく愛し、内外の賓客を迎えるのに使用したという「晩香廬」が、昔の面影をよく偲ばせた風情で姿を見せている。
紙の博物館がなぜここにあるのか不思議に思ったが、王子は明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった抄紙会社(後の王子製紙王子工場)が設立された地で、"洋紙発祥の地"として知られているからとのこと。
すぐ先の音無親水公園は、石神井川の旧流路に整備された公園で、この川は北区付 近では音無川と呼ばれ、古くから景勝の地として親しまれてきたらしい。
だいぶ枯れて葉が落ちてしまったが、紅葉が日に生えて風に美しく揺れている。
金剛寺(紅葉寺)は源頼朝が伊豆で挙兵した後、安房・隅田川を経て武蔵国へ侵攻した時に滝野川の松橋に陣をとった言われているし、松橋とは当時の金剛寺の寺域を中心とする地名であり、この寺の弁財天に頼朝が祈願したとの話も残っているので頼朝が立ち寄ったことは間違いないと思う。
王子神社の由緒を紐解くと、「・・・熊野元享2年(1322)に領主の豊島氏が近隣の地に紀州の熊野神社を勧請し、王子神社を祀った処から地名も王子と改まり・・・」とある。
確かに熊野古道には、九十九王子をはじめ王子の名がたくさん出てくるので、何故この地を王子と呼ぶのか、その理由がやっと理解できた。
関東の稲荷総社と言われる王子稲荷神社には、やたらと狐の石像が鎮座している。
火難除けと商売繁盛に御利益があるらしく、多くの参拝客が熱心にお祈りをささげている。
名主の滝公園は、「・・・嘉永年間 (1848~1854 )に王子村の名主畑野孫八が自邸に開いた江戸情緒豊かな庭園で、台地の斜面を巧みに利用し自然の風景を取り入れており、古来王子の七滝の一つとして著名で、都内でも数少ない景勝地です・・・」とあるように、訪れてみると確かに都内とは思えないような情緒豊かな風景が眼の中に飛び込んでくる。
まだ少し残っている紅葉の眺めは十分に楽しめるし、地下水を利用した四つの滝が流れ落ちる辺りは清涼感満点、中でも男滝の流れ落ちる景観は見事で、写真愛好家だと思うが一眼レフのカメラで熱心に写真を撮っている。
晩秋の美しい景色に触れたことに満足な気持ちを抱きつつ、王子駅へと帰宅の足を進める。
生品神社、世良田東照宮そして渋沢栄一の生誕地を巡る