コース順路:コース満足度★★★★
小田急伊勢原駅(バス)→長福寺→関東ふれあいの道→三之宮比々多神社→上糟屋神社→太田道灌の首塚→洞昌院→(バス)小田急伊勢原駅
昔ながらの里山の風景をたっぷりと味わえるとても素敵な散歩コースを発見、いろいろな野草も観察できる親しみ深いコースでもある。
自宅から伊勢原駅までは小田急一本で気楽に行けるので、季節が変わったらまた行きたいと思っている。
伊勢原駅からは、スタート地点となるバス停桜坂まで直行。
東名の下を潜り抜け、すこし先の杉木立の石段を上がっていくと静かなたたずまいの長福寺がある。
観音堂の中には十一面観世音菩薩像が安置されているが、堂の扉をみだりに開くと目がつぶれるという言い伝えがあるので、覗くのは止めにする。
階段下は「関東ふれあいの道」、比々多神社へは1キロの道のりだ。
この道、子供の頃を思い出す懐かしい里山の風景がたっぷりと味わえる素晴らしい道で、脇に目に入る野草の花々も優しく旅人を慰めてくれる様に思える。
春の野草の中でもよく目に入るカタバミ(写真左)や、ハルジオン(写真右)があちらこちらに咲いている。
三之宮比々多神社は、醍醐天皇の御代に全国主要神社の名簿『延喜式神名帳』が作られ、相模國13座の1延喜式内社として國幣(朝廷より賜る幣帛)を奉るところとなった由緒ある神社。
厳かな気持ちでいつもの2礼2拍手1拝の後、とっておきの願い事をする。
一休みの後、新たな気持ちで太田道灌ゆかりの場所へと足を進める。
平安時代末に荘園が営まれ、藤原北家良方流の一族が定住して糟屋氏(かすやし)を名乗り、その鎮守と伝えられる上糟屋神社に到着する。
近くの道の角にある七人塚、これは太田道灌が主君である上杉定正に謀反の疑いを掛けられて暗殺された時、これを防ごうとして討ち死にした家臣7名の墓と伝えられ、もとは上糟屋神社の境内にあったらしい。
1486年7月、定正の居館である糟屋館に招かれた道灌は、入浴後、湯屋から出たところを定正の臣・曽我兵庫に襲われたという。
その大田道灌の首を葬ったといわれる首塚、洞昌院のすぐ脇にある。
洞昌院は曹洞宗の立派な造りの寺で、見事な庭の脇には道灌公の霊廟も建てられている。
懐かしい里山の風景を望んだ後、由緒ある三之宮比々多神社での参拝、そして太田道灌公の無念の最後を偲ぶという、とても感慨の深い散歩となった。
小田急伊勢原駅(バス)→長福寺→関東ふれあいの道→三之宮比々多神社→上糟屋神社→太田道灌の首塚→洞昌院→(バス)小田急伊勢原駅
昔ながらの里山の風景をたっぷりと味わえるとても素敵な散歩コースを発見、いろいろな野草も観察できる親しみ深いコースでもある。
自宅から伊勢原駅までは小田急一本で気楽に行けるので、季節が変わったらまた行きたいと思っている。
伊勢原駅からは、スタート地点となるバス停桜坂まで直行。
東名の下を潜り抜け、すこし先の杉木立の石段を上がっていくと静かなたたずまいの長福寺がある。
観音堂の中には十一面観世音菩薩像が安置されているが、堂の扉をみだりに開くと目がつぶれるという言い伝えがあるので、覗くのは止めにする。
階段下は「関東ふれあいの道」、比々多神社へは1キロの道のりだ。
この道、子供の頃を思い出す懐かしい里山の風景がたっぷりと味わえる素晴らしい道で、脇に目に入る野草の花々も優しく旅人を慰めてくれる様に思える。
春の野草の中でもよく目に入るカタバミ(写真左)や、ハルジオン(写真右)があちらこちらに咲いている。
三之宮比々多神社は、醍醐天皇の御代に全国主要神社の名簿『延喜式神名帳』が作られ、相模國13座の1延喜式内社として國幣(朝廷より賜る幣帛)を奉るところとなった由緒ある神社。
厳かな気持ちでいつもの2礼2拍手1拝の後、とっておきの願い事をする。
一休みの後、新たな気持ちで太田道灌ゆかりの場所へと足を進める。
平安時代末に荘園が営まれ、藤原北家良方流の一族が定住して糟屋氏(かすやし)を名乗り、その鎮守と伝えられる上糟屋神社に到着する。
近くの道の角にある七人塚、これは太田道灌が主君である上杉定正に謀反の疑いを掛けられて暗殺された時、これを防ごうとして討ち死にした家臣7名の墓と伝えられ、もとは上糟屋神社の境内にあったらしい。
1486年7月、定正の居館である糟屋館に招かれた道灌は、入浴後、湯屋から出たところを定正の臣・曽我兵庫に襲われたという。
その大田道灌の首を葬ったといわれる首塚、洞昌院のすぐ脇にある。
洞昌院は曹洞宗の立派な造りの寺で、見事な庭の脇には道灌公の霊廟も建てられている。
懐かしい里山の風景を望んだ後、由緒ある三之宮比々多神社での参拝、そして太田道灌公の無念の最後を偲ぶという、とても感慨の深い散歩となった。