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先週の読書

2008年06月16日 12時51分27秒 | 読書
中沢新一「ミクロコスモス2」    四季社
 ヤナーチェクのオペラから能、庭園や正岡子規まで縦横無尽に語られる、その語り口の優しく、柔らかく、それでいて刺激的なこと。「能の胎生学」は、ぼくの大好きな「精霊の王」につながる序説のようなもので、こっちを読んでからの方が理解が楽だったかもしれない、と思った。


中沢新一「三位一体モデル」     東京糸井重里事務所
 グローバリズムの根元にあるのは、アメリカの拡張主義ではなく、もっと根の深い、紀元前2000年くらいからメソポタミアに存在していた「三位一体」の考えかたではないか。そして、これがメソポタミアからエジプト、それからギリシア、ローマ、ついでヨーロッパに渡って生まれたヨーロッパ原理、これがグローバリズムの根元なのではないか、と。
 逆に三位一体モデルを用いると、今まで見えてこなかったものが見えてきたり、考えやすくなる、というビジネスにも応用がきくんじゃないか、という講義(ここら辺は中沢新一よりも糸井重里っぽい発想だな)。中沢新一自身は、こうしたヨーロッパ原理から脱却して、新たな道を模索しようと努力している人だから。
あと、前方後円墳が天皇即位の儀式に使われていた、という歴史学の説は斬新。つまり、天皇霊を引き継ぐ真床男衾を墓の中でやるわけで、非常に説得力がある。


奥泉光「石の来歴」      文芸春秋
 芥川賞受賞作「石の来歴」と候補になった「三つ目の鯰」所収。
 どちらも、みっちりねっちりした読後感で、寝不足や疲労の際の読書にはむいていない(EURO2008開催中は要注意!)。
「河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている」という魅力的な言葉から始まる「石の来歴」は、石を通じた長男との幸せなやりとり以外のほとんどすべてが暗い洞窟のアナロジーのような展開となる。「緑色チャート」に刻印されている全過程とは。
 舞台がぼくの好きな秩父で、おまけにパレオパラドキシアの化石や上長瀞の博物館まで出てくるところに親近感。ほんと、ここは石好きにはたまらない場所だ。
 「三つ目の鯰」は、近年にあって敬遠されがちな村社会の血縁に新たな、そして優しい光をあてている。それをもって復古主義だのなんだのという評価はもちろんあたらない。血縁の甘美さとキリスト教信仰という、まるで母性社会と父性社会の厳しい対立まで屹立しうる両者を、夏の景色とともに、あるときはユーモラスに、あるときは苦悩しつつ描いていて好感。


バルガス=リョサ「楽園への道」    河出書房新社
 すごく面白い。「スカートをはいた煽動者」と呼ばれたフローラ・トリスタンとその孫ポール・ゴーギャン。ゴーギャンが生まれたのはその祖母の亡くなった後なので、二人の出会いは存在しないが、楽園を求める気持は強くこの二人に流れていた。フローラは社会運動を経て、地上にユートピアを建設することを望み、ゴーギャンは「偉大なる芸術が花開くためには打ってつけと思われた未開性や原始性を求めて」タヒチに旅立つ。さまざまな失意や失敗の中、彼らは楽園を求め続けた。いいえ、楽園は次の角ですよ。
 二人の壮絶な最期の悲しさ。500pほどの本だけれども一気に読んでしまった。


東浩紀「動物化するポストモダン」   講談社現代新書
 サブカルチャー? 何に対してのサブなのか。
 カウンターカルチャー? これも同様、何に対するカウンターなのか。
要するに、もう、サブカルチャーもカウンターカルチャーも公には存在し得ないのだ。
 それが存在できる場所は、もう犯罪の中にしかない。
 しかし、当たり前のことだけれど、犯罪はカルチャーとして成立し得ない。せいぜい、犯罪の周縁、合法ドラッグや医師法に抵触するかしないか微妙なタトゥーあたり。しかし、それらにしたところで、とてもカルチャーと言えるものではない。
オタクやコギャルという存在は、実は、サブカルチャー消滅の頃に誕生した。本来、サブカルとして地下に潜っているべき存在(犯罪性はないにしても)が、堂々と秋葉原や渋谷の街を歩いている。
 コジェーブが歴史の終わりに提示した「動物化する社会」と「スノビスム社会」、後者はあきらかに日本を誤解した褒めすぎだろうが、前者は有効で、その視点から眺めれば、欲望の動物化という点でオタクとコギャルは対を成す存在なのだ。

「ポストモダンの時代には人々は動物化する。そして実際に、この10年間のオタクたちは急速に動物化している。その根拠としては、彼らの文化消費が、大きな物語による意味づけではなく、データベースから抽出された要素の組み合わせを中心として動いていることが挙げられる。彼らはもはや、他者の欲望を欲望する、というような厄介な人間関係に煩わされず、自分の好む萌え要素を、自分の好む物語で演出してくれる作品を単純に求めているのだ」(動物化するポストモダン)

 また、冒頭の、オタク文化成立への敗戦とアメリカの影響についての指摘は実に面白かった。

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