
20代の頃、電車に乗って北フランスを旅していたとき、車窓から、木に人がぶら下がっているのを見つけたことがある。それは大層絵的に決まっていて、ぼくは寒々とした景色の中の首つりに大変感心した覚えがある(いや、感心じゃなく、通報だろ、その場合、というツッコミも今にして思えば)。
それからしばらくたって、30代になったとき、ロンドンからパリまで電車で行く途中、もう一度、その首つりに出会った。
作り物なのか、それは。それとも旅の疲れで見た錯覚なのか。
今となってはわからない。でも、まるでビヤンブニュと言わんばかりに、首つりの死体はナイスなパフォーマンスを見せてくれたのだった(いや、まあ、動かないでいるだけだったのだが)。
あれ以来、ぼくは木を見るとついつい首つりを思い起こしてしまう。
もちろん、いつもじゃない。木を見るたびに首つりを思っていたら、街を歩いていても10メートルごとに首つりを妄想しなくてはならない。まあ、たいてい、心が折れ曲がっているときなんだけれど。
でも、うーん、全体的に悪くないんだけど、首をくくるにゃ枝振りがイマイチだとか。そんなことを思ったりする。木からすれば余計なお世話である。
おまけに自殺願望などというものがまるでないぼくは、自分が首をつる姿を想像するんじゃなく、あくまでその木にぶらさがってる首つりを観察する傍観者の立場。おいおい、である。心の折れ方が足りないだろうとも思う。
そんな中、久しぶりに木を見て首つりを思った。
ちょっとプライヴェートでいろいろあって、心が北方の病って感じがしたこの頃。春なのに。いや、もうすぐそこに初夏が顔をのぞかせているのに。
季節と心と時差があるみたいだけれど、いつかそのうち心にも春の風が吹くだろう。
と日記には書いておこう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます