恋愛は交換ではなく贈与である。これがこないだのぼくの結論だった。で、人類そのものもかつては贈与によって生きることができていた。狩猟採集じゃないのか、それは贈与とは違うんじゃないか、と今の人たちは考えるかもしれない。しかし、昔の人たちは鮭や熊などの獲物は人間社会の外部に存在する、超越的世界からの贈与だと考えていた。つまり、その人たちにとっては、生きることができるのは贈与のおかげだったわけだ。
贈与されたものだから、大切に食べ、たとえば鮭はきれいに食べた後骨を丁寧に葬った。
向こう側からの贈与に対して、お返しはできそうもないからせめて自然を破壊せず、食べる物は大切に扱おうする思想の表れ。
この考え方を近代になっても抱き文学を志したのが、中沢新一が指摘するように、宮沢賢治だった。自然の贈与を表現したのが「なめとこ山の熊」であり、その贈与に対して非対称的な態度を取る人間がどのような運命を迎えるのかを表現したのが「注文の多い料理店」であると思う。
人間にとって最大の贈与は死であったと思う。
なぜなら、それが人間を人間たらしめている最大のものであるからだ。
つづく と思う。
いや、だって、これだけじゃなんだかね。つづきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます