上野駅前。
ここから浅草~三ノ輪~南千住へと下町散歩。
浅草着。
アサヒビール本社に太陽が反射して、それが川面に。
そう言えば、恵比寿の麦酒記念館にはよく行くのに、こっちは行ったことがない。今度ビール飲みに行こうと固く誓う2009年の秋であった。
建設中の第二東京タワー。もうこんなにできてたんだ。
三ノ輪の円通寺。
埋葬を許可されず放置されていた彰義隊の戦死者を斬首覚悟で弔ったのがここの和尚さん。
その縁もあって、上野寛永寺の黒門がここに置いてある。
気にしないと気づかないけれど、この黒門が戦闘のただ中にあったことを示す跡がある。
おびただしい弾痕。
彰義隊に思いを馳せつつ、さらに北上。
素盞雄神社境内にある富士塚。瑞光石と呼ばれ、古層の信仰に属する石神信仰をうかがわせる石が安置されている。この神社をスサノオと呼ぶようになったのは、明治になってからだ。神仏分離などの馬鹿げた政策を無理強いし、神道を国家の管理下に置き、無茶な歴史・神話観をねつ造した明治政府によるものだ。
それまでは天王社であり、「てんのう」という音は、牛頭天王を表していた。
蘇民将来子孫也。
この符を配る神社の全国分布図を作ると一目瞭然に、この神社が東、それも北側に数多く存在することがわかる。裸祭として有名な蘇民祭で知られる黒石寺をはじめ、岩手、新潟が群を抜いて多い。毛越寺などはこの祭を魔多羅神の祭と呼び、これはちょっと興味深かったりする。
明治政府は牛頭天王を名指しで弾圧、徹底的にその信仰を破棄させてまわった。ここにもその跡がぬぐいがたく残ってる。