毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

小石川植物園 梅とメタセコイヤ

2009年01月29日 17時46分09秒 | 写真
 結局コンパクトカメラしかないのは不便だと、ヤフオクでα100を手に入れてしまった。
 

 満開の木もあったし、これからの木もあったけれど、今でも十分楽しめます。



 メタセコイヤ。
 小石川植物園って、小学生の頃遠足、そう文字通り歩いて行った。6年生が1年生と手をつなぎ、5年が2年、4年が3年と。全校で毎年、遠足。ぼくの行ってた小学校は1学年2クラス、しかもようやく2クラスできた少人数制(うそ。ただ単に住人が少ないだけ)。小さな学校だから全校そろって歩いて遠足なんてできたんだよなあ。今その小学校は1学年5人とかで、過疎はますます進んでいるらしい。



 しばらくはこのカメラと付き合っていきますか。
 上1枚は18-200mm、下2枚は50mmマクロで撮りました。


 大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月   定家
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会津 白虎隊

2009年01月29日 14時11分21秒 | 観光

 白虎隊で自刃した19人の墓。
 その武士精神に感激してドイツ、イタリアから贈られた碑がある。第二次世界大戦後、アメリカ軍によって壊されたり、碑の文面など削られたりしたが、現在は修復されてここに立っている。
 一人生き残った飯沼貞吉はここから少し離れたところに眠っている。


 15,6歳の少年たちで作られた白虎隊を率いるのは大人の藩士だったが、その藩士が食糧を探しに出たまま朝になっても戻らない。少年たちは煙を出している鶴ヶ城を見て落城したものと勘違いして自刃した。なんという悲劇。
 鶴ヶ城はそのあと1ヶ月以上も持ちこたえたのに。
 

 この写真じゃわからないけれど、左奥にあるひときわ高いビルの右側に鶴ヶ城がある。 目がよかったんだなあ。肉眼でもほとんど見えなかった。
 会津戦争は悲惨だった。家老である夫を送り出し、後顧の憂いを断つために子どもを殺して自殺した西郷頼母の妻。武器をとって戦い、そして死んでいった子どもや女性たち。
 朝敵とされたせいか、白虎隊資料館には皇室との結びつきを宣伝するものが多く見られた。紀子さんの曾祖父が会津藩士だということでこの間生まれた子の写真飾ったり大喜び。
 会津のやったことは正しいことだったと思う。ただ、正しいことと勝ち残ることとは違うんだろう。
コメント (2)
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