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住宅街の路地の間に顔を覗かせているこの建物は、神戸で貿易商を営んでいた長井氏が長男を(旧制)田辺中学校(明治29年創立・現在の田辺高等学校)に通わせるために大正8(1919)年頃に別宅として建てたもの。 赤やオレンジといった暖色系の色の作用もあるのかもしれませんが、神戸の異人館よりも明るく親しみやすく思えるのは温暖な紀州・田辺の気候や土地柄にもよるものでしょうか。 長井氏の長男が学校を卒業した後にこの別宅は人手に渡り、昭和28(1953)年頃からは旅館・赤別荘として長らく営業されていました。 しかし現在はその旅館も廃業し、個人の邸宅として大切に使われているようです。 和歌山県田辺市下屋敷町 11年02月中旬他
※個人邸ですので見学の際は十分ご配慮願います。