修善寺ハリストス正教会(顕栄聖堂)

2011-10-26 20:39:54 |  静岡県


 1861年に函館に来日し、日本に「正教」を伝えたニコライ大主教(1836~1912)。 その大主教の病気からの回復を祈って明治45(1912)年に伊豆・修善寺に建設されたのがこの聖堂です。 地元有力者で正教の信者でもあった菊屋旅館主人・野田修治(清治?)が聖堂の建設を提案し、明治45年2月3日の提案から僅か1週間後には建設に着手し1か月後には上棟、さらにその1か月半後には建築工事が完了したという驚異的なスピードで建てられました。 しかしニコライはこの聖堂が完成するのを待たずに2月16日に没し、ニコライの後任であったセルギイ主教により6月2日に成聖式(竣工式)が行われました。  静岡県伊豆市修善寺861  10年12月上旬他

 ※参考 『東海の近代建築』 1981
     『近代日本の異色建築家』 1984
     『日本の教会をたずねて』 2002



 ハリストス正教会の聖堂は必ず東向きに建てられる為、正面は西側を向く事になります。






 八端十字架が天を指す。 一番上の横棒はキリストの頭上に打たれていた罪状書きを示し、一番下の横棒は磔の際の足台を示す。 横棒が右下に傾いているのは、キリストと共に磔にされた2人の罪人のうち左の者はキリストを信じ昇天し、右の者は信じずに地獄に堕ちたという伝承に基づいている。 


 内部は正面から啓蒙所・聖所・至聖所の3室で構成されているという。 後ろに見えるのは桂川温泉旅館の大きな建物。 


 啓蒙所の上には高さ18メートルの鐘塔。


 写真はありませんが聖所には水晶製のシャンデリアが吊るされ、聖所と至聖所を区切る衝立状の聖障(イコノスタス)は旅順の聖堂にあったものをニコライが譲り受けた物で、左右には山下りんの作になる聖像が描かれているそうです。






 建設費は4、426円余り(当時)。 このうちの3分の2を野田家が負担し、敷地1000㎡も提供したという。






 軒を支える持送りに葡萄の飾りが施されているのもこの聖堂の大きな特徴。 鏝絵で有名な入江長八の弟子達の作。


 建物の設計は河村伊蔵(1860~1940)といわれる。 明治16(1883)年に洗礼を受けてロシア正教の世界に入り、一度も正規の建築教育を受けないまま正教会聖堂の建設に関わった人物である。 ちょうど愛知・豊橋の聖堂(大正2年・1913)の建設に携わるかたわら、出張の合間に修善寺を訪れるなど、この聖堂の設計・建設にも関わっていたらしい。 


 司祭が定住していない為に一般への公開はしておらず、月に一度信者向けに開かれているだけのようです。 

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