旧六十八銀行八木支店

2007-11-07 07:08:12 | 奈良・和歌山




 昭和3(1928)年築の銀行の建物で、現在は一日一組限定の貸し切りウェディング会場になっています。 玄関前に飾られた案内写真を見るかぎり、内部は吹き抜けの空間に回廊が廻るという銀行建築らしいもの。 戦後の一時期は映画館にも転用されていたそうです。  奈良県橿原市(かしはらし)八木町1-2  07年09月下旬他

旧志賀高原ホテル

2007-11-06 07:06:31 |  長野県





 昭和12(1937)年に竣工・開業し、平成11(1999)年に閉鎖されたクラシックホテル。 色付いた木々に囲まれ、秋の穏やかな日差しを浴びたその佇まいは訪れた旅人を優しく包み込む。

 日本に本格的なスキーリゾートホテルが誕生するのは昭和に入ってからの事。 『ノスタルジック・ホテル物語』によると、東京へのオリンピック招致の動きが盛り上がりをみせ始め、これが実現すれば冬季大会の会場は妙高高原(新潟)か志賀高原になるとの噂が広がったそうです(当時は夏・冬とも同一国開催の規約があった為)。 それを受け、道路の開通も待たずに建築資材を馬や強力(ごうりき 登山者の荷を背負って従う下男)を使って運び込み建設されたのがこのホテル。 当初は外国人客を見込んでのオープンでしたが、経営が京都ホテルという事もあり実際には関西からの日本人客が多く、悲願であったオリンピック招致の夢も太平洋戦争の始まりと共に消え、このホテルが外国人客で賑わうのは戦争の進展と共に疎開してきたドイツやイタリアといった同盟国の大使館家族であったという皮肉なものでした。 
 
 戦後の進駐軍の接収の後もホテルとして営業を続けていましたが、スキー客の減少などにより経営が行き詰まり1999年に閉鎖。 その後取り壊しの予定もありましたが、志賀高原のシンボル的存在であったことから本館のみは解体を免れ、現在は歴史記念館として再生すべく模索中のようです。  長野県山ノ内町平隠  07年10月下旬他

 ※10年11月追記 現在は歴史記念館として定期的に内部公開しているようです。

旧東邦銀行矢吹支店

2007-11-05 07:07:04 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 東北本線・矢吹駅前に残る旧銀行の建物(昭和2年築 1927)。 現在は隣接する衣料品店の倉庫として活用されています。 増築されたショーウィンドウに隠された正面玄関がどのようになっているのか気になりますね。 ちなみに通りを挟んだ少し奥まった所にも気になる建物があったのですが、逆光&手ぶれで写真を撮るのに大失敗しました(掲載自粛)。  福島県矢吹町本町  07年11月上旬

信濃教育会生涯学習センター

2007-11-02 07:06:45 |  長野県



 
 旧信濃教育会館本館(昭和4年築 1929)。 元々は長野市旭町に建てられていたもので、新会館の建設に伴って現在地に移築(平成2年 1990)されたものです。 屋根はマンサード、正面中央には車寄せを備え、木造ながらとても重厚感のある建物。 教育県・長野を象徴する(?)月桂樹の模様が誇らしげ。  長野県安曇野市豊科高家796-3  07年04月上旬他

国会議事堂

2007-11-01 07:06:47 |  東京都













 日本人なら誰もが知っている近代建築といえば札幌の時計台や赤レンガの東京駅などの名前が挙がると思いますが、実はこの建物が最も良く知られ目にする機会が多いのではないでしょうか。
 
 我が国における議事堂建設の機運は、明治14(1881)年に国会開設の勅諭が発せられた事から高まったものの、財政難等から見送られることになり、現在の国会議事堂が完成するまでに3度もの仮議事堂が建設されたといいます(参議院 見学ガイド)。 今の建物は大正9(1920)年の着工から17年近い歳月を費やした昭和11(1936)年に完成。 当初は中央の塔屋にドームが載ったギリシャ様式ルネサンス風の案(原案・渡邊福三)でしたが、建築局により大幅に修正され四角錐(ピラミッド形)の塔屋になったそうです。 個人的には国会議事堂を見ていると何故だかゴリラを連想してしまうのですが、「威厳」という点では見事に表現されていると思います。 
 
 建物内部には全国各地から集められた大理石がふんだんに使用され、内装も大変手の込んだものになっていますが、現在となっては入手・修復不可能なものも数多くあり、当時の建築や工芸の技術の粋を集めて建設されたことがこの事からも分かります。 中央塔(9階)の真下は2階から6階までの吹き抜けの広間になっており、天井までは32.62メートル、広間の四隅には議会政治の基礎を築いた功労者である板垣退助・大隈重信・伊藤博文の3人の銅像が立っています。 残る一隅には台座のみが存在し、これは「政治に完成はない、未完の象徴」という意味もあるといわれているそうです。  東京都千代田区永田町1-7  07年05月中旬他