明治34(1901)年築の旧大洲商業銀行の建物。大洲は「伊予の小京都」とも呼ばれ、明治に入ってからも商工業は隆盛をきわめ、製糸業の盛況ぶりにも目を見張るものがあったといわれます。これらの製糸業者に貸し付けを行う際、繭を抵当としたので保管の為に倉庫が必要だったようで、本館以外にも倉庫などの付属施設が一式となって現在まで残されています。昭和34(1959)年に改造工事が行われた為、内部には銀行当時の面影は残っていませんが、窓の鉄扉やアーチ部分の焼きすぎレンガの使用など、外観には装飾的な面を見出す事が出来ました。 愛媛県大洲市大洲60 07年01月上旬
明治34(1901)年築の旧大洲商業銀行の建物。大洲は「伊予の小京都」とも呼ばれ、明治に入ってからも商工業は隆盛をきわめ、製糸業の盛況ぶりにも目を見張るものがあったといわれます。これらの製糸業者に貸し付けを行う際、繭を抵当としたので保管の為に倉庫が必要だったようで、本館以外にも倉庫などの付属施設が一式となって現在まで残されています。昭和34(1959)年に改造工事が行われた為、内部には銀行当時の面影は残っていませんが、窓の鉄扉やアーチ部分の焼きすぎレンガの使用など、外観には装飾的な面を見出す事が出来ました。 愛媛県大洲市大洲60 07年01月上旬
他県の町も散策しましたが、内子や宇和・八幡浜など南予全体、もっと深く認知されて然りだと感じるようになりました。
余談ですが、藤田洋三氏が、先日発刊した「世間遺産放浪記」を目を通しています。藤森照信先生のコメントが入った新聞記事なども拝見し、心強く感じています。
黒いレンガは、「焼きすぎレンガ」と呼ばれているのですか。知らなかったです。この部分は、フランス積みですね。八幡浜市本町のN邸の蔵や保内町のK邸のレンガ塀も同じ積み方なんですよ。
また、大洲市のI邸や内子町五十崎のK邸にも、大きな屋敷にレンガの蔵が残っていて、当時の県人たちの活躍が偲ばれます。
大雑把な言い方をしてしまえば、四国の左下(南西部)というのはアクセスが悪くて、よほどの思い入れがないと行きづらいというイメージ。
それでも昔に比べて観光にも多種多様な要望が増えていますから、アピールの仕方を考えれば認知度は上がると思います。
外を見る、だけでなく中も観る、という事は嬉しいものです。
「世間遺産放浪記」は自分も見ました。
神田の書店街であちこち平積みされていたので軽く立ち読みしただけですが、おもしろそうな内容でしたね。
今度じっくり読んでみます。