広島港湾事務所

2008-05-12 07:05:16 | 岡山・広島・山口



 旧広島水上警察署(明治37年築? 1904?)。 明治42年築(改造)という資料もありますが、いずれにしろ被爆建築として明治の木造洋館が現存しているのは奇跡的です。 現在は空家っぽい様子で、漆喰は剥がれペンキも色褪せ、正面中央の三角破風の板も片側が外れ落ちてしまっているなど、満身創痍の痛々しい姿を晒しています。 活用もままならず、“被爆建築”という重い十字架を背負ったままこの地で朽ち果てていくのでしょうか・・・   広島県広島市南区宇品海岸3-11  08年05月上旬 

海上自衛隊 呉地方総監部

2008-05-10 18:38:34 | 岡山・広島・山口






 呉の町はレンガ色―。  明治19(1886)年の海軍条例と鎮守府官制の施行により、呉鎮守府(各海軍区の警備や防御をつかさどり、指揮監督した海軍の機関)が横須賀や佐世保などと共に開庁したのは明治22(1889)年のこと。 急速な文明開化・近代化の波を受け、来日した外国人技師を通して広まった西洋の建築技術が取り入れられる事になり、諸外国に追いつけ、追い越せの機運のもとレンガ造りの建物がまず手始めに軍用施設に建てられていく事になります。 

 この建物は、明治38(1905)年の芸予地震で半壊した初代の呉鎮守府庁舎に代わって、明治40(1907)年に完成した2代目の庁舎です。 軍用施設から水道・鉄道施設、最終的には民間住宅の一部にも取り入れられる事になった呉のレンガ建築の中では大将格にあたるものではないでしょうか。 正面中央部分に用いられた御影石が赤レンガとの美しい対比を見せ、2階に備わったイオニア式オーダーの真ん中には、桜と思しき彫刻がなされ日本的な美意識をさりげなく感じさせます。 建物裏側(海側)は、元々の正面だっただけに現在の正面(山側)と同じような意匠になっており、後年に増築された両翼の突き出し部分が却って正面よりも威厳を強調する要素になっているかも知れません。 先の大戦による空襲で屋根のドームは崩壊・焼失しましたが、平成11(1999)年に復元。 呉のレンガ建築の象徴的存在として昔と違わぬ姿を見せてくれています。  広島県呉市幸町8-1  08年05月上旬 

 ※ 参考文献 『街のいろはレンガ色 呉レンガ考』
         『戦争遺跡を歩く』
         『中国地方の西洋館』 
    

めぐみ幼稚園第一園舎

2008-02-25 07:06:21 | 岡山・広島・山口





 旧下関バプテスト教会(昭和5年築 1930)。 坂の階段を上りつめて辿り着いた建物はピンクとブルーが色鮮やかなカラーリング。 塔屋部分の3連アーチ窓や手すり、玄関周りなどに装飾が集中していますが、全体的にはシンプルで大人しめ(配色を除いて、ですが)のデザインでまとめ上げられています。 現在は幼稚園の屋内運動場や保育室として使用されている様子。 恥ずかしながら設計がヴォーリズ建築事務所だという事は、つい一昨日に知りました。  山口県下関市上田中町  05年12月下旬他


 ※おまけ  第一園舎のすぐ裏手、ちょっと上にあるのが めぐみ幼稚園第二園舎(旧宣教師住宅 明治38年築 1905)。 ヴェランダコロニアル・スタイルの建物で、牧師の住居として当初は福岡に建てられていたものを移築してきたそうです。 じっくり見たかったのですが、入っちゃダメ! 的なロープが通路に張られていた為に近寄れず。



 ※2つの建物とも現役の幼稚園施設として使用されています。 見学の際はくれぐれもご注意の程お願い致します。

小野田セメント山手クラブ

2008-01-30 19:09:51 | 岡山・広島・山口



 大正3(1914)年築。 四代目社長の笠井真三氏が、英国から持ち帰った型枠を使ってコンクリートブロックを作り、それを以て建設したという建物。 自社製品の見本を兼ねた倶楽部建築で、内部の造りも充実しているらしいです。 小野田セメントは現・太平洋セメント。  山口県山陽小野田市小野田東住吉町6049(?)  05年12月下旬

 ※おまけ 同じ敷地内にあるのは、山手倶楽部別館(旧笠井真三邸)。 大正初期のものだそうです。


玉木病院旧館

2007-11-12 07:08:13 | 岡山・広島・山口


 大正6(1917)年築。  向かって左手の新館と繋がる様な形で残されていました。 現在はギャラリーとして活用? 日常的には使われていないようでした。  山口県萩市瓦町1  06年01月上旬

 ※追記  2007年に解体されたようです。

 ※おまけ  こちらはすぐ近くの萩商業高校の正門脇で見つけた建物。 詳細は不明です。


旧伊藤博文邸

2007-11-08 07:06:48 | 岡山・広島・山口



















 日本の初代総理大臣である伊藤博文(1841~1909)が、出生地である旧束荷(つかり)村に明治43(1910)年に建てた別邸。 遠祖・林淡路守通起の没後300年の法要を行う為に、また法要後は地元の公共施設に転用する目的で本人自ら基本設計を行いましたが、建物の完成を見ないまま彼は満州視察中にハルビン駅で安重根(アン・ジュングン 1879~1910)に撃たれて命を落としました。 
 古い写真と見比べていたら細部が微妙に異なっている(車寄せの屋根や円柱の形、2階中央の窓上の装飾など)のに気付きましたが、平成16(2004)年の大規模修理で創建当時の姿に戻されたようです。  山口県光市束荷2250-1  06年01月上旬他

 ※09年09月中旬再訪し内部見学。 写真の追加・変更を行いました。

藤原義江記念館

2007-10-24 07:06:39 | 岡山・広島・山口










 旧リンガー邸(昭和11年築 1936)。 現在は日本を代表するオペラ歌手・藤原義江(1898~1976  男性です)の記念館として数々の遺品が展示され、事前予約制での公開となっています。
 藤原義江はスコットランド人の父、ネール・ブロディ・リードと琵琶芸者であった母、坂田キクとの間に誕生。 しかし父からは認知されず、母と共に各地を転々とする幼少時代を送ったようです。 父・リードは瓜生商会の支配人であり、瓜生商会はホーム・リンガー商会の代理店として貿易(石炭の輸出と雑貨や食料の輸入)を行っていた事から、この建物は瓜生商会の支配人住宅となっていたそうです。
 
 四角四面で装飾を抑えた建物は優美な近代建築が建ち並ぶ下関では地味な存在かもしれませんが、年月を重ねてくすんだ白壁にモスグリーンの窓枠がしっくりと馴染み、落ち着いた雰囲気を漂わせています。 長い石段を上った小高い丘の上に建ち、静かに関門海峡を見下ろす佇まいが何とも印象的でした。  山口県下関市阿弥陀寺町3-14  05年12月下旬他

 ※09年09月下旬再訪。 写真の追加・変更、本文に加筆修正を行いました。

旧滝部小学校

2007-10-18 07:10:44 | 岡山・広島・山口



 大正13(1938)年に地元出身の中山太一兄弟の寄付によって建設。 中山は「クラブ化粧品」で有名な化粧品会社の創立者であり、貴族院議員までつとめあげた成功者。 建物の設計はドイツ人技師に依頼したといわれ、山間の小学校とは思えないほど豪華な建物です。 現在は歴史民俗資料館として活用されています。  山口県下関市豊北町滝部3153-1  05年12月下旬 

※写真を拡大出来るようにしてみました。 

西岩国駅

2007-09-12 00:00:00 | 岡山・広島・山口





 昭和4(1929)年に岩国駅として開業。その後の山陽本線の変更に伴い、昭和17(1942)年に現在の駅名へと変更されました。車寄せのアーチ部分は錦帯橋を模したものであり、かつてはその錦帯橋への玄関口として大勢の観光客で賑わっていたといいます。 
 
 私がここを訪れたのは年明け早々の頃。時期的なものもあると思いますが、交通事情が車中心に変ってしまったからなのか、乗降客は誰もおらず非常に閑散としたものでした。それでも駅舎は輝きを失ってはおらず、モダンで堂々としたその姿はいつまでも町のランドマークたりうるものに感じます。  山口県岩国市錦見6丁目  06年01月上旬

旧浅山医院

2007-04-13 07:01:11 | 岡山・広島・山口



 個人病院の建物は中央地方を問わず質の高い物が多いように感じます。 特にこの旧医院の建物は状態も非常に良くて、一瞬登録文化財かと思ってしまいました。 家主の愛情が強く感じられる良品です。 明治43(1910)年築。  山口県美祢市大嶺町四郎ヶ原  05年12月下旬

旧厚保郵便局

2007-03-30 07:09:46 | 岡山・広島・山口






 廃な旧郵便局舎(昭和9年築 1934)。 美祢西I.C.を下りた直ぐ近くにありましたが、かなり荒れていたので先行き不安な建物です。 後ろに平屋建ての住居部分?が付属しています。  山口県美祢市西厚保町本郷  05年12月下旬他

 ※09年09月下旬再訪。 写真の追加・変更、本文に加筆修正を行いました。

旧殿居郵便局

2007-03-22 07:11:55 | 岡山・広島・山口




 どんどんふえる定額貯金。 どんどんふえる・・・

 二代目局長・河田寛が地元の大工棟梁・石光孝一(資料により別の名前も見受けられますが、ここでは現地説明板に従います)を東京に連れ、そこで見てきたデザインを参考にこの局舎を建てたと云われます(大正12年築  1923)。 特徴的な八角塔屋は第二次大戦で焼失する前の東京駅のドームを真似たとも伝わりますが、真偽のほどはどうでしょうか。  山口県下関市豊田町殿居1111  05年12月下旬

旧宮市商参会

2006-12-09 08:20:59 | 岡山・広島・山口




 大正14(1925)年築。 宮市商参会は町内の商業者の集まりで、現在の防府商工会議所の元になったようです。 商工会議所移転後は洋裁学校~貸館となって現在は空家?  山口県防府市(ほうふし)栄町2-4-5  06年01月上旬他


 ※おまけ 

 同じ通りを北に行った所で見つけたテーラー伊藤(伊藤洋服店)。 昭和4(1929)年の建築。

 

四階楼

2006-11-23 07:38:50 | 岡山・広島・山口






 旧四階荘。 平成3年まで旅館業を営んでいましたが、現在は上関町郷土史学習館(向かって左手の2階建ての建物)が付設され、無料で見学できる施設になりました。
 元々は明治12(1879)年に迎賓・宿泊施設として施主・子方謙九郎(幕末の第二奇兵隊に所属)により建てられたもの。 正月早々の訪問の為内部には入っていませんが、3階の唐獅子牡丹や4階の天井にある鳳凰の鏝細工、フランス製のステンドグラスなど見所が多そうです。 良く見ると4階の四隅にも龍の鏝細工があるなど、外観だけでも賑やかで興味をそそる建物になっています。  山口県上関町室津868-1  06年01月上旬他

 ※09年9月中旬再訪し内部見学。 写真の追加・変更を行いました。

山口高校記念館

2006-11-22 07:06:26 | 岡山・広島・山口








 旧制山口高校講堂として大正11(1922)年に完成。 玄関ポーチの上をベランダとしマンサード形の切妻の両側には対になった塔屋、そして爽やかなブルーの外観が目に眩しく映ります。 私が訪れたのは元旦の朝早くだったのですが、天気にも恵まれ心も晴れ晴れとした気持ちになりました。  山口県山口市糸米1-9  06年01月上旬他