娘の「受検」までの道のり話ですが・・・
娘が「受検」した公立の学校は・・・
私が一時的に・・・娘の第一志望校としてお願いした学校でした。
それは・・・
我が家の大切な家計を預かっている私としては・・・
理想と現実を行ったり来たりしていた時期でもありました。
それは・・・やはり・・・先行き不透明な・・・世相に・・・不安があったからです。
娘に「受検」をお願いした公立の学校へは以前から・・・
私も娘も主人も・・・説明会へは足を運んでいました。
そこで・・・魅力を感じながらも・・・
私立の学校の「試験」の内容とは・・・
かなりかけ離れていた公立の学校の「試検」内容でした。
その頃は、娘の第一志望校が私立ならと・・・
私立の「受験」対策はしていても・・・
公立の「受検」対策には、時間も余裕もありませんでした。
そして・・・昨年の秋まで、まったく何もしてこなかったのでした。
それでも私は、その時期に少しだけ・・・
娘へ「受検」の公立学校を勧めたのでした。
そして娘には・・・
急遽・・・塾で設けている、スポット的な「受検」対策講座を何回か受講してもらいました。
娘は・・・
またまた、急に難題を押し付ける母親に対して、かなり困惑気味でした。
そんな様子を見ていた主人は、いつも娘の味方でした。
そして・・・
娘へ急に無理を押し付けている私には不満気でした。
それは・・・
娘の気持ちをもう少し考えるようにとの事です。
それでも・・・
現実的な事も視野に入れて家庭を守らないといけない私の気持ちは・・・
理解してくれていました。
だからこそ私は・・・
「受検」対策講座の申し込みを独断で決めてきてしまったのでした。
そして結局、娘には受講してもらう事にしたのでした。
そんな娘の「受検」対策の受講先は・・・塾は同じでも別の校舎です。
こんな時期だっただけに・・・
知っている先生も友達もいない校舎へ行くのがとても不安だったらしく・・・
娘は、それだけで緊張して腹痛をおこしていました。
そしてそんな娘を・・・
主人はとても心配して、その校舎まで送り届けていたのでした。
不安でいっぱいの気持ちで・・・受検対策講座に足を運んだ娘でしたが、
受検対策講座では・・・
かつて娘がお世話になった先生が担当だったらしく・・・
ちょっと・・・ほっとしながらも安心して受講していたようです。
そして・・・
そんな娘は・・・
ほんのわずかな期間ですが・・・「受検」の適正検査Ⅱ・Ⅲの対策を受けながら・・・
適正検査Ⅰの対策は何もしないまま・・・
しかも・・・「受検」の模試などは一回も受けないまま・・・
年を越しました。
よって・・・
娘の「受検」に対する実力や偏差値は不明のまま・・・
自宅ではほとんど「受検」の対策は取れず受検日の2月を迎えました。
そんな中途半端な指示をしてしまった私でしたが・・・
娘の第一志望校は最後まで変わりません。
そんな娘の真剣な思いに・・・
母として・・・やはりなんとか応えてあげたいと思った私は・・・
師走を迎えた頃のことです。
娘の第一志望校にはやはり・・・
娘がずっと憧れていた女子校が一番だと・・・判断しました。
それからは・・・
娘の第一志望校の受験を応援し、第一志望校の勉強を最優先させました。
そして1月に入り・・・遠方の学校の受験を迎えました。
そして、そちらの学校からは本当にありがたい合格をいただきました。
少々遠くても、本当に娘が通いたいと思っていた学校でもありました。
だからこそ・・・安心して2月の受験に臨む事が出来ましたし・・・
2月に受験する予定だった出願校をかなり減らす事が出来ました。
それなのに・・・なぜ?
1月校と第一志望校から合格をいただいた娘が・・・
その後に公立の中学校を「受検」したのか・・・
それは・・・
「受検」に対して・・・無関心なふりをしていた・・・主人が原因でした。
実は・・・娘が「受検」した学校は主人の母校だったのです。
私は・・・娘が第一志望校に合格した段階で・・・
公立の学校の「受検」は辞退させるつもりでしたから・・・
主人もそのつもりでいてくれていると思っていたのです。
それなのに・・・
いざ、娘の入試シーズンを迎えると・・・
自分の母校への思いも熱くなっていたようでした。
そして、たとえ対策が不足していても、合格がもらえなくても・・・
娘には誠意を持って「受検」して欲しかったようでした。
そして私の反対を押し切って・・・
「受検」当日は主人が娘を受検会場まで送りました。
そこで主人は娘と一緒に、母校の門をくぐる事が出来たと喜んでいました。
しかも・・・主人曰く・・・
在学当時の自分は、けして模範的な生徒では無かったとのこと・・・
娘には・・・
自分の母校へ罪滅ぼしだと思って・・・
「パパの母校を受検してくれ!」と頼んでいたのでした。
それは・・・「受検」では記述式の問題ばかりだったからです。
しかも・・・願書にも娘が書き込む欄が沢山ありました。
ですから・・・
娘が今まで経験した事や体験した事からの・・・
感性や思想が反映されやすい試検なのです。
だからこそ・・・今まで娘が頑張って勉強してきた成果を・・・
自分の母校でも発揮して欲しかったようでした。
そして・・・
けして模範的ではなかった、かつての生徒(パパ)は・・・
「自分の子供を、しっかりと愛情を持って育ててきました。」
と証明したかったようでした。
現在の母校には主人を知る先生はいらっしゃらないと思いますが・・・
それでも主人は・・・
娘に母校の「受検」をさせたかったし、「受検」させてよかったと申しておりました。
そして、そして・・・
娘が「受検」を終えると・・・
娘と一緒に「受検」した大勢の受検生達を眺めながら・・・
自分の母校への思いがより一層・・・熱くなっていたようでした。
それは・・・
昨年の秋頃の主人とは・・・まったく様変わりしていたのでした。
公立の学校は、倍率の高い学校でしたから・・・
自分の娘がもしも自分の母校へ入学したらと・・・
妄想が広がったのでしょう・・・
そんな主人は・・・
娘に自分の母校の良さを語っていました。
それでも・・・
娘は・・・やはり・・・ぶれる事無く・・・
憧れの・・・第一志望校へ進学すると堅く堅く伝えていたのでした。
話は昨年の秋頃に戻りますが・・・
実は我が家では・・・
娘の「受検」に対する合格の期待がまったく無かったと言ったら、
本当はそうでも無かったのです。
それは受験用の模試の判定結果からのものでした。
娘が秋からずっと受けていた・・・私立中「受験」用の模試の成績からでは・・・
その公立の学校の合格率が一番高かったのです。
秋から迎えた4回の模試の結果は全て・・・安全圏内の学校だったのでした。
そんな「受験」模試の結果に淡い期待をよせて・・・
秋も深まった頃に・・・「受検」を勧めたのは私でした。
それでも・・・・
そんな私でも、「受検」の入試内容を知れば知るほど・・・
いままでの模試の結果に疑問を抱き始めていました。
それは・・・
「受検」の適正検査では文章を理解して分析して表現しなくてはいけない試検だったからです。
特に、適性検査Ⅰの試検の対策は本当に難しく・・・
どんな基準の記述力で試検に臨めばいいのか知るすべもありませんでした。
記述力と表現力を使って原稿用紙一枚分の完璧な文章を書き綴らなくてはいけない試検です。
そしてそのような能力を、完璧には備えていなかった娘です。
ですから・・・
簡単に「受験」用の模試の結果では、「受検」の合格ラインを判断できるものではありませんでした。
そんな事に気付きながらも・・・
私は、娘の実力に淡い期待をよせ、
主人に言われるまま自宅から「受検」へ送り出しました。
そして・・・
それから数日後のことです・・・
娘が受検した公立の学校の発表の日がやってきました。
結果はやはり・・そんなに甘いものではありませんでした。
「受検」結果は、やはり「不合格」だったのです。
心境は複雑ながらも・・・これで主人も・・・スッキリしていました。
やはり、「受検」に見事!合格された受検生の皆さんは・・・
娘がこの一年間、憧れの第一志望校に向けて一生懸命に努力して対策してきたように・・・
きっと、熱いお思いを持って「受検」対策に取り組んできた受検生達ばかりでしょう。
そんな事が理解できただけでも・・・親子共々、本当にいい人生経験が出来ました。
受験・受検とは学校側が求めている生徒を集めるためのテストです。
やはり・・・模試はあくまでも目安で・・・
志望校から求められている能力を養うためには・・・
志望校からのメッセージをしっかり感じ取って・・・
しっかりと志望校の入試対策をする必要があると強く感じました。
そして主人もきっと、今回の「受検」の件では・・・
娘が自分の母校の「受検」で不合格をいただいても・・・
わが子の思いよりも・・・
もっともっと熱い思いで「受検」に臨み、合格をつかみ取った・・・
未来の後輩達を誇らしげに思っていたに違いありません。
そんな事が理解できただけでも・・・
本当に本当に・・・主人にも・・・私達家族にとっても・・・
娘の「受検」はいい経験になりました。
こうして・・・改めて・・・我が家の入試までの道のりを振り返ると・・・
波乱万丈な娘の受験・受検までの道のりでしたが・・・
結果的には・・・
娘にとってベストな結果になったと思っております。
そして・・・
知らず、知らずの間に・・・家族で本当に成長する事ができました。
心から、全ての出来事に感謝したいと思います。
娘が「受検」した公立の学校は・・・
私が一時的に・・・娘の第一志望校としてお願いした学校でした。
それは・・・
我が家の大切な家計を預かっている私としては・・・
理想と現実を行ったり来たりしていた時期でもありました。
それは・・・やはり・・・先行き不透明な・・・世相に・・・不安があったからです。
娘に「受検」をお願いした公立の学校へは以前から・・・
私も娘も主人も・・・説明会へは足を運んでいました。
そこで・・・魅力を感じながらも・・・
私立の学校の「試験」の内容とは・・・
かなりかけ離れていた公立の学校の「試検」内容でした。
その頃は、娘の第一志望校が私立ならと・・・
私立の「受験」対策はしていても・・・
公立の「受検」対策には、時間も余裕もありませんでした。
そして・・・昨年の秋まで、まったく何もしてこなかったのでした。
それでも私は、その時期に少しだけ・・・
娘へ「受検」の公立学校を勧めたのでした。
そして娘には・・・
急遽・・・塾で設けている、スポット的な「受検」対策講座を何回か受講してもらいました。
娘は・・・
またまた、急に難題を押し付ける母親に対して、かなり困惑気味でした。
そんな様子を見ていた主人は、いつも娘の味方でした。
そして・・・
娘へ急に無理を押し付けている私には不満気でした。
それは・・・
娘の気持ちをもう少し考えるようにとの事です。
それでも・・・
現実的な事も視野に入れて家庭を守らないといけない私の気持ちは・・・
理解してくれていました。
だからこそ私は・・・
「受検」対策講座の申し込みを独断で決めてきてしまったのでした。
そして結局、娘には受講してもらう事にしたのでした。
そんな娘の「受検」対策の受講先は・・・塾は同じでも別の校舎です。
こんな時期だっただけに・・・
知っている先生も友達もいない校舎へ行くのがとても不安だったらしく・・・
娘は、それだけで緊張して腹痛をおこしていました。
そしてそんな娘を・・・
主人はとても心配して、その校舎まで送り届けていたのでした。
不安でいっぱいの気持ちで・・・受検対策講座に足を運んだ娘でしたが、
受検対策講座では・・・
かつて娘がお世話になった先生が担当だったらしく・・・
ちょっと・・・ほっとしながらも安心して受講していたようです。
そして・・・
そんな娘は・・・
ほんのわずかな期間ですが・・・「受検」の適正検査Ⅱ・Ⅲの対策を受けながら・・・
適正検査Ⅰの対策は何もしないまま・・・
しかも・・・「受検」の模試などは一回も受けないまま・・・
年を越しました。
よって・・・
娘の「受検」に対する実力や偏差値は不明のまま・・・
自宅ではほとんど「受検」の対策は取れず受検日の2月を迎えました。
そんな中途半端な指示をしてしまった私でしたが・・・
娘の第一志望校は最後まで変わりません。
そんな娘の真剣な思いに・・・
母として・・・やはりなんとか応えてあげたいと思った私は・・・
師走を迎えた頃のことです。
娘の第一志望校にはやはり・・・
娘がずっと憧れていた女子校が一番だと・・・判断しました。
それからは・・・
娘の第一志望校の受験を応援し、第一志望校の勉強を最優先させました。
そして1月に入り・・・遠方の学校の受験を迎えました。
そして、そちらの学校からは本当にありがたい合格をいただきました。
少々遠くても、本当に娘が通いたいと思っていた学校でもありました。
だからこそ・・・安心して2月の受験に臨む事が出来ましたし・・・
2月に受験する予定だった出願校をかなり減らす事が出来ました。
それなのに・・・なぜ?
1月校と第一志望校から合格をいただいた娘が・・・
その後に公立の中学校を「受検」したのか・・・
それは・・・
「受検」に対して・・・無関心なふりをしていた・・・主人が原因でした。
実は・・・娘が「受検」した学校は主人の母校だったのです。
私は・・・娘が第一志望校に合格した段階で・・・
公立の学校の「受検」は辞退させるつもりでしたから・・・
主人もそのつもりでいてくれていると思っていたのです。
それなのに・・・
いざ、娘の入試シーズンを迎えると・・・
自分の母校への思いも熱くなっていたようでした。
そして、たとえ対策が不足していても、合格がもらえなくても・・・
娘には誠意を持って「受検」して欲しかったようでした。
そして私の反対を押し切って・・・
「受検」当日は主人が娘を受検会場まで送りました。
そこで主人は娘と一緒に、母校の門をくぐる事が出来たと喜んでいました。
しかも・・・主人曰く・・・
在学当時の自分は、けして模範的な生徒では無かったとのこと・・・
娘には・・・
自分の母校へ罪滅ぼしだと思って・・・
「パパの母校を受検してくれ!」と頼んでいたのでした。
それは・・・「受検」では記述式の問題ばかりだったからです。
しかも・・・願書にも娘が書き込む欄が沢山ありました。
ですから・・・
娘が今まで経験した事や体験した事からの・・・
感性や思想が反映されやすい試検なのです。
だからこそ・・・今まで娘が頑張って勉強してきた成果を・・・
自分の母校でも発揮して欲しかったようでした。
そして・・・
けして模範的ではなかった、かつての生徒(パパ)は・・・
「自分の子供を、しっかりと愛情を持って育ててきました。」
と証明したかったようでした。
現在の母校には主人を知る先生はいらっしゃらないと思いますが・・・
それでも主人は・・・
娘に母校の「受検」をさせたかったし、「受検」させてよかったと申しておりました。
そして、そして・・・
娘が「受検」を終えると・・・
娘と一緒に「受検」した大勢の受検生達を眺めながら・・・
自分の母校への思いがより一層・・・熱くなっていたようでした。
それは・・・
昨年の秋頃の主人とは・・・まったく様変わりしていたのでした。
公立の学校は、倍率の高い学校でしたから・・・
自分の娘がもしも自分の母校へ入学したらと・・・
妄想が広がったのでしょう・・・
そんな主人は・・・
娘に自分の母校の良さを語っていました。
それでも・・・
娘は・・・やはり・・・ぶれる事無く・・・
憧れの・・・第一志望校へ進学すると堅く堅く伝えていたのでした。
話は昨年の秋頃に戻りますが・・・
実は我が家では・・・
娘の「受検」に対する合格の期待がまったく無かったと言ったら、
本当はそうでも無かったのです。
それは受験用の模試の判定結果からのものでした。
娘が秋からずっと受けていた・・・私立中「受験」用の模試の成績からでは・・・
その公立の学校の合格率が一番高かったのです。
秋から迎えた4回の模試の結果は全て・・・安全圏内の学校だったのでした。
そんな「受験」模試の結果に淡い期待をよせて・・・
秋も深まった頃に・・・「受検」を勧めたのは私でした。
それでも・・・・
そんな私でも、「受検」の入試内容を知れば知るほど・・・
いままでの模試の結果に疑問を抱き始めていました。
それは・・・
「受検」の適正検査では文章を理解して分析して表現しなくてはいけない試検だったからです。
特に、適性検査Ⅰの試検の対策は本当に難しく・・・
どんな基準の記述力で試検に臨めばいいのか知るすべもありませんでした。
記述力と表現力を使って原稿用紙一枚分の完璧な文章を書き綴らなくてはいけない試検です。
そしてそのような能力を、完璧には備えていなかった娘です。
ですから・・・
簡単に「受験」用の模試の結果では、「受検」の合格ラインを判断できるものではありませんでした。
そんな事に気付きながらも・・・
私は、娘の実力に淡い期待をよせ、
主人に言われるまま自宅から「受検」へ送り出しました。
そして・・・
それから数日後のことです・・・
娘が受検した公立の学校の発表の日がやってきました。
結果はやはり・・そんなに甘いものではありませんでした。
「受検」結果は、やはり「不合格」だったのです。
心境は複雑ながらも・・・これで主人も・・・スッキリしていました。
やはり、「受検」に見事!合格された受検生の皆さんは・・・
娘がこの一年間、憧れの第一志望校に向けて一生懸命に努力して対策してきたように・・・
きっと、熱いお思いを持って「受検」対策に取り組んできた受検生達ばかりでしょう。
そんな事が理解できただけでも・・・親子共々、本当にいい人生経験が出来ました。
受験・受検とは学校側が求めている生徒を集めるためのテストです。
やはり・・・模試はあくまでも目安で・・・
志望校から求められている能力を養うためには・・・
志望校からのメッセージをしっかり感じ取って・・・
しっかりと志望校の入試対策をする必要があると強く感じました。
そして主人もきっと、今回の「受検」の件では・・・
娘が自分の母校の「受検」で不合格をいただいても・・・
わが子の思いよりも・・・
もっともっと熱い思いで「受検」に臨み、合格をつかみ取った・・・
未来の後輩達を誇らしげに思っていたに違いありません。
そんな事が理解できただけでも・・・
本当に本当に・・・主人にも・・・私達家族にとっても・・・
娘の「受検」はいい経験になりました。
こうして・・・改めて・・・我が家の入試までの道のりを振り返ると・・・
波乱万丈な娘の受験・受検までの道のりでしたが・・・
結果的には・・・
娘にとってベストな結果になったと思っております。
そして・・・
知らず、知らずの間に・・・家族で本当に成長する事ができました。
心から、全ての出来事に感謝したいと思います。