坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

歎異抄・第二章2~『出遇い』

2012年05月15日 | 坊主の家計簿
※ 本文

 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。




※ 語意・語注(一から六までは藤元正樹先生『ただ念仏のみぞ』より)

(一) 親鸞におきては
【「親鸞におきては」というように自称をもって語らるるのは注意しておかなければなりません。「仏教においては」でもありませんし、師の「法然におきては」でもありません。文字通り親鸞聖人の全生涯の歩みをかけた表明であります。】 

(二) よきひと
【ここでは「よき人」(善性人)という名が用いられて「法然」の名ではあらわされていません。それは法然上人という個人の名前ではないということです。】
 
(三) ただ念仏
【信ずることも、念仏することも、親鸞個人、法然個人のものではありません。「よき人」と親鸞との間に始めて成り立った「ただ」であります。それは、大いなるいのちの共鳴なのでありましょう。】
 
(四) 信ずるほかに別の子細なきなり
【信じようとして信ずるのではありません。信ぜずにはおれぬことであります。信ずべき理由があるわけではありません。それは、自己の今ここに存在している歴史的現実なのであります。正しく、そのよき人の言葉にただ念仏してたすけられていることそのことであります。】
 
(五) 総じてもって存知せざるなり
【念仏が浄土の因か、地獄の業因であるか、そんなことは、いずれも知らぬことだといわるるのであります。大事なことは、そうした念仏論議よりも、念仏を信じているかどうかということなのでしょう。己の身の事実を忘れた念仏論議の無意味なることの指摘であります。】

(六) 浄土にうまるるたね
【往生を果遂するたすけとしての念仏は、手段としての念仏ではありませぬ。浄土に生まるるたねとしての念仏ではないということであります。明日のために今日、念仏のたねを播いてなどということではありません。それならば即得往生などということは無用であります。】

(七) いずれの行もおよびがたき身
【「まことにわれわれは、われわれ自身の生活を顧みますとき、それは完全に浄土を見失った生活であることを認めなければなりません。」(信國淳『呼応の教育』)】





※ 関連語句

【第三十二回青草会法話 藤谷純子『出遇い』より(願生・第149号)
 
 昭和四十六年、専修学院に入学しました。その時の私は、まるで生きる屍。行くところがないからここに来たのであって、何の期待もない。虚無的な心に覆われて、この身だけが生きている感じでした。そんな私が、入学式の信國先生の言葉に感動し、涙さえ流れてきたのです。「ああこんな私でも、人の話に感動出来るんだな」と、久しぶりに生きている自分を体験したのです。
 しかし、勤行、合掌念仏に終始する学院の生活は、真宗念仏の伝統に触れたことのない私には、身の置き所のないものでした。長い間そういう鬱積が、身体全体に溜っていたのですが、とうとうそれを全部吐き出すような出来事が始まったのです。それは、レポート面接から始まりました。信國先生と初めて会話を交わしたのも、この時でした。硬くなって座っている私に先生は、

「あなたの場合は、もう本を読んだり、考えたりしてみても、解決はつかんでしょう。人に遇うほかありませんね。アリョーシャがゾシマ長老に遇ったように、あなたの問題を一気に解決してくれるような人に。ただ、その人に遇えるまで、じっと耐えてゆかねばならないが、あなたは、何に対してなら自分の心を開いていけますか?文学ですか?芸術ですか?自然に対してはどうですか?」

と尋ねられましたが、そのどれにも拒否反応を示したので、「あんたは全く自閉的なんだなあ」と感心したようにつぶやかれました。
 面接はこんな風にして終わったのですが、外に出た私の目には、学院の庭木が本当に生き生きとひと回り大きく、くっきりと沁み込んできたのです。そして、先生が会話の中で仰しゃった言葉の一つ一つが私の身に深く入り込んで、その底から揺さぶりをかけてきているような感じでした。
 翌日のことですが、何か重くのしかかってくるものに耐えられないようになって、私はふらふらと、初めて先生の家を訪ねました。先生の家は、今の高倉会館の側にありました。当時女子の寮がまだ出来ていなくて、私達は先生と一つ小路を挟んだところに下宿しておりました。夜も十時近かったのではないかと思うのですが、ふらふらと先生の家を訪ねていました。迎え入れられて、先生の前に座ったのですが、何から切り出してよいかわからず、項垂れているだけでした。先生も、何も問うてはくれません。むしろ、何か無関心そうに見えました。そのうち、「どうかしましたか」と問われて、私は反射的に、「私、生きたいんです」と答えました。「その『たい』が生きさせない!」と、即座にぴしゃりと机を叩かれて、先生の言葉が跳ね返ってきました。その強い語気に私は我に返って、姿勢を正し、先生の方に全身を傾注していきました。

「あなたは、自分が病人だということがわかりますか。その病人であるあなたをまな板にのせて、癒そうとするんでなくて、もう見込みがない見込みがないと殺しかかっているのが、またあなただ。そんな自分の姿が見えますか。本当に冷淡な人だなあ」

私はこの時、自分のいのちを、私よりももっと深く、温かく包んで生かそうとしているものがある、そして、自分以上に自分を知っている人がいる、自分以上に自分を本当に愛して生かそうとしているものがあると感じたのです。先生は続けて、

「あなたは、いつも自分に対して人生の意味だとか、価値だとかを振りかざして関わっているんだ。そうして、その期待に応えられない自分を受け入れようとせず、殺してしまおうとする。それはいくら美しく咲いていたとしても、自然の花ではない。造花ですよ。それは高嶺に造花を咲かせようとする生き方だ」

そう仰しゃって、傍らの聖典を開いて示して下さった箇所には、こう書かれていました。

『淤泥華というは『経』(維摩経)に説いて言わく、「高原の陸地に蓮を生ぜず、卑湿淤泥に蓮華を生ず。」』(聖典四六五頁)

蓮は、じめじめした泥を大地として花を咲かせるという意味ですね。

『これは凡夫、煩悩の泥の中にありて、仏の正覚の華を生ずるに喩うるなり。』(同)

 それから先生は、机の上に一輪挿してあった紫陽花(註・アジサイ)を、本当に満足そうに眺めながら、その花の生き方の、無私、無心、あるがままの自然な生き方を、あたかも花に向かってその花を讃えるようかのようにお話されました。私はその時、花と話せる人がそこに居て、その人の方に向かっては、花も嬉しそうに自らを精一杯開示しているというような、そんな光景を見た思いがしました。そんな花のような生が、お念仏をいただく心から始まるのだと、

南無仏の御名なかりせばうつそみのただ生き生くることあるべしや

先生がお念仏に出遇われた時に、こういう歌を詠まれたんだそうですが、その歌を教えてくださいました。
 そのまた翌日のことなんですが、一連の自分の興奮状態から頭痛がして、私は友達よりもひと電車遅れて学院に向かったのですが、その電車の中に乗っている人たちがみんな暗い顔をして、私を瞋り責めたてているような錯覚を覚えました。そして私の心にも、瞋りの炎が燃えていくのに気付き、怖くなって夢中で電車をおりて、学院まで走って行きました。その時の感じというのは、暗い暗い業のトンネルを歩いているといった感じでした。いのちあるものを見ると、せめぎあって、殺気立ってくる私のいのちだったのです。通りすがりの人も、犬も、みんな私を脅かす恐ろしい存在でした。そういう自分を抱えて、院長室へ泣きながらふらふらの体でなだれ込んでしまいました。「私は人を殺しました」と言って泣き伏したそうです。許してください、許してくださいと、心の中で叫びますが、許してくれというのも自己主張じゃないかと気付いた途端、どうしてよいかわからぬまま、そうしているうちに私は自分が合掌しているのに気付きました。その合掌は、本当にいのちの底から、いのち自身の力が私をそうさせたとしかいえないものでした。

「久遠劫来はじめて合掌する人となられた」と先生は仰しゃり、そして、先生の「ナンマンダブツ」というお念仏の声に促されて、私も初めて、「ナンマンダブツ」と申しました。私をして、そうさせた力が何だったのか。ともかく、その日から私は素直に、「ナンマンダブツ」と掌を合わせることになりました。
 これまで長い間、自己意識によって抑圧されていた私のいのちが、その解放の道を求めて、もがき苦しみながら、やっと光を見たという感じでした。あるいはこれは、妄想とかヒステリー症状とかいうものでしょうか。しかし私にとっては、信國先生という存在と言葉によって、私の心を縛り、私のいのちを閉じこめていた厚い自我の殻を突き破って、やっとやっと生き生きとものに触れ、人に交わっていく自分自身を取り戻したという出来事だったのです。エゴイストという殺人鬼から、やっと自身を取り戻したという出来事だったのです。先生の内なる如来様が、私のいのちを呼び出してくださったのかもしれません。

「縁の下のじめじめしたところに芽を出した草も、光の方へ、光の方へと伸びてゆくでしょう。そんなふうに、光を求めて行かねばならない」

と、先生が仰しゃる「向日性(註・こうじつせい)」という、光に向かって生きるということを聞いて、私は今までずっと俯いて歩いていたのですが、その私の頭が、身が、梢の上の方を見上げて歩くようになったのでした。不思議なことでした。
 こういう出来事、出遇いを経て、初めて私はこれまでの心の座、自分一身に囚われた心、自我心を中心としていた座から起ち上がって、先生の真似をして、上に阿弥陀如来を礼拝し、口に、声に念仏申すという聞法の生活が始まることになったのでした。】




【もし、法然などの邪法に対する執着の心がひるがえず、また謗法にまたがった意志がなお存するならば、早くこの世を去り、後生は必ず無間地獄に堕ちるでしょう。】(日蓮『立正安国論』創価学会教学部編 http://www46.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/17.htmlより)





※現代語訳
(親鸞仏教センター http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report03_bn01.htmlより)

 この私《親鸞》においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみである。
 念仏は、本当に浄土という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。
 もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕(お)ちたとしても、決して後悔はしない。
 というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏という行為で地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるであろう。
 本来、どのような努力によっても、仏になることのできない身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。





※所感

『我今無所帰 孤独無同伴(我、今帰する所なく孤独にして同伴なし)』と、阿鼻(無間)地獄の罪人が歎じているが、一切衆生平等往生の専修念仏行者にとっては、順彼仏願故の『ただ念仏』を捨てる事=認めたくない自他を捨てる→阿鼻(無間)地獄ではないのか?