坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

福島を生きよ!福島を生きろ!

2011年10月10日 | 坊主の家計簿
 むっちゃ久しぶりのブログ。え~。。。この間何をしていたかというと、主に寝てました。「寝転んでゲームをしていた」と言った方が適確かな?酒も飲まずに、え~。。。多分、酒を飲み始めて以来これだけ飲んでない期間は初めてではなかろうか?言うても10日間もないのだが。
 仕事はしてました。ツイッターも何日間かサボっただけで、なんとかリハビリしつつ徐々に書き始めました。え~。。。大真面目にヘバってました(笑)
 ヘバっているわけにも行かないのが貧乏人。仕事は毎日少しだがあるし、しっかりと勤めさせて頂かなければならない。学校もあって、それにも行かなければならない。まあ、週に一度、夜だけなんだが。え~。。。余りヘバってなかったのかな?あれ?
 まあ、体調は最悪であっても、なんじゃかんじゃとあるわけで。
 北海道からやって来た恩師と、故・竹中先生の寺(むっちゃ近所)に御参りに伺ったり、昨日は通夜だったし、その後には元所属寺の報恩講に顔出ししたり。
 今日は娘と遊ぶ。何やら近所で『子どもまつり』やったかな?近所の公園で区内の学童保育なんぞの団体が集まったりしてのイベントをやってた。バザーで諸々ゲットしたりしつつ。ついでに、これまた近所の別の公園でやってたイベントも覗く。小さかったし、大人向け(当り前か)のイベントだったので、とっとと退散。AEONでお買い物して、くたびれ果てた娘と一緒に昼寝(夕方だったが)。

 夕方6時30分頃に起きた娘。2時間ぐらい寝たのかな?え~。。。起きたのが遅かったので寝付くのが遅かった。12時頃まで起きてやんの。
 
 録画していたETV特集『希望をフクシマの地から~プロジェクトfukushima!の挑戦』

 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/1009.html

 を観る。
 このイベントは無茶苦茶行きたかったのだが、福島は遠い。かつ、8月15日って、おい(笑)

 10日振りにビールを飲んでみよう。
 すいません。。。2つの嘘です。発泡酒ですし、少しサバ読んでます(笑)



 
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。



 ステージ上で詩人の和合亮一氏が織り上げた詩を同じ福島の人達と和合亮一氏が読み上げる。その最後が上記の言葉だった。ただし、テレビからの聞き取りなので確かではないかも知れないが。
 ステージ上の全ての人達がそれぞれに「福島」を連呼する。決して揃っていない。それぞれがそれぞれに「福島」と連呼する。故郷の名を連呼する。そして、

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。


 と、続く。

 え~。。。無茶苦茶感動した。どれだけ感動したかというと、録画を見終わったのが深夜2時30分過ぎだったにも関わらず、久々にブログを書いて居るぐらいである。
 「福島」の連呼が、「南無阿弥陀仏」の連呼みたいだった。それぞれがそれそれに「南無阿弥陀仏」と連呼しているみたいだった。そして

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。


 である。

 昨日の元所属寺報恩講の講師先生は昨年と同じ方。昨年、確か、「親鸞の苦悩と私たちの苦悩」みたいな事も話しておられ、「なんでこんな俺やねん!」みたいな事も。え~。。。厳密な言葉ではどうだったのか知らない。私にはそう聞こえただけである。
 現実は理想通りには行かず、私が私である事すら否定してしまう。「なんでやねん!」なんぞと。「くそったれ!」なんぞと。

 ETV特集『希望をフクシマの地から~プロジェクトfukushima!の挑戦』は、今までに観た震災関連、原発事故関連のテレビの中で一番良かったと思う。まあ、単純に行きたかった音楽イベントの映像という部分が一番大きかったし、映像的にも「ホンマにETV特集なのか?」みたいだったし。
 イベントに出店していた果物農家の兄ちゃんが一個100円で売っていた桃は途中まで全く売れなかったらしい。範囲内だが放射性汚染されていた。その兄ちゃんも「なんで、こんなんなんですかねぇ。。。」と。「なんで、オヤジや俺がこんな事を考えなければならないようになってしまったんですかねぇ。。。」なんぞと。丁度突然の雨が降って来て「こんな感じっすよ」と。

 
   あたかも牢獄を逃れるごとく
   人はみな自己の前を逃れんとすれども
   世に一つの大いなる奇跡あり
   我は感ず 『いのちみな生きらるべし』と
   (リルケ)


   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!

   
 の言葉を聞いて、恩師達から教えて頂いたリルケの言葉を思い出す。

 『過激な放射能危険派』から「福島は終わった」だのという言葉がネット上で流れてくる。何が「終わった」のだろうか?「終わった」という人達は、実は、人生にとってとても大切な何かが始まっていないのではないのか?
 イヤな環境から逃げ出すも逃げ出さないもそれぞれの勝手である。しかし、その場に踏みとどまり、その場で生きようとしている人達が居ているにも関わらず「福島は終わった」なんぞと。「福島は死んだ」なんぞと。どんな権利で言えるのか。

 プロジェクトfukushima!の共同代表である大友良英氏が「福島をチェルノブイリにしてはいけない、って英文で書いて気が付いたけど、それってチェルノブイリの人達に失礼だよね」と言ってはった。こんな感受性って好きだ。
 
 「福島は終わった」「福島は死んだ」なんぞと言う人は、(私にとっては)残念ながら、そういう感受性は持ち合わせていないのだろう。短気な私はかなり怒っているのであえてこういう言葉を使ってみたりするが、「そういう優しい感性は持ってないのだろ?テメーら!」
 だから、尚更

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!

 
 という言葉に触れるしかないのではないのか?
 『福島差別主義者』『人間性が欠落している』なんぞと呼ばれ、まあ、御本人たちは正義の味方なので気にしていないかも知れないが、まあ、そんな事もないはずだが、だから身内の仲良しこよしで『正義』を確かめあっているのだろうが。
 それだって同じである。誰にも代わって貰える人生ではないのだ。だから

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!


 なのだ。

 アカン。発泡酒2本目を飲み始めた段階でベロンベロン。やっぱり、まだ無理だったかな?
 それでも飲んでしまう、飲みたくなる感動があった。長生きだけが人生ではない。

 
   生きている『私』
   生きて行く『私』
   『私』を生きよ!
   私を生きろ!