坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

罪は悲

2020年04月27日 | 坊主の家計簿
ナイナイ岡村の冗談が滑りまくっている事が話題になっているみたいだけど、あれだけベテランの売れっ子芸人でも状況判断出来なかったのね。ひょっとして鬱病が再発してるのかな?

鬱病って、「気分が落ち込む」的なイメージでは無く脳機能の問題なので攻撃的になったりもする。また、ストレス耐性も無くなって短略的になったりもする。

多分、ナイナイ岡村の冗談はコロナ禍でストレス満腹で「コロナ鬱」も心配されるような状況下で無くとも放送で流すにはアウトだったと思う。でも、今はコロナ禍。受取る私たちも冷静ではない。

「んじゃ冷静な時って何時よ」と、私の脳が問い掛ける。多分、そんなものはない。コロナ禍で無くとも何らのストレスがある。当然、程の差はあるにしても、悟ってなんか居ない。
故に、自分がどんな状況だろうが、批判を含めた様々な意見を言って当然だし、当たり前の事。

それは他人も同じ。悟ってなんか居ない中での発言。

個人的にナイナイ岡村は暫く仕事を休んでゆっくりした方が良いと思う。貯金もあるだろうし。でも、それは「あんな酷い発言をしたから公に2度と出て来るな!」ではない。人気減少は知らないが、失敗など誰にでもあるだろう。単に鬱病の再発が心配なだけである。

NHKバリバラも話題になっている。パロディ云々、再放送差し替え云々。何かを表現した場合に不愉快に思う人が居て当然だろうし、不愉快に思う人の事を「1人1人」のレベルまで考えていれば何も表現出来ない。
私は関西人なので「アホ」という言葉を良く使うが、この言葉を見ただけでも不愉快というか、辛い思いをする人も居るだろう。「アホ」は放送禁止用語ではないが、当然、傷付く人もいるだろう。

「イヤならイヤと言え!」というのも強者の考えでしかない。イヤでもイヤと言えない人もいる。

♪人生は罪重ね
罪を重ねてナンボのもの
(byジャージ・アッパー・カット)

という歌詞を思い出す。

批判は排除ではない。いや、排除は排除ではない。ストレス耐性で限界だから排除しているだけ。排除という形で出会おうとしている。意識にすら昇らない排除は排除ではない。故にウイルスの怨霊など聞いた事がない。

「如来の本願って『みんなと一緒に行きたい』という事です」とは竹中先生の言葉。だから、「えらび・きらい・みすてる」私が課題になる。

社会正義もクソもない。社会に魂を売り渡すつもりもない。コロナ禍という縁が来ても、私の課題は変わらない。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がナイナイ岡村に石を投げなさい」

と、ナイナイ岡村に石を投げた人に石を投げるのが私。あらゆる「敵」に石を投げるのが私という関係存在。
罪は悲。