坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

正義中毒

2020年04月10日 | 坊主の家計簿
バタイユ!あ、何でもありません。深夜に外出自粛要請を無視して御近所定食屋さんでムッチャ大きなアジフライを食べて少しハイなだけです。

引き篭りというのは「外に出たくない」というよりも「外に出れない」という方が私の場合にはシックリ来ます。酷い時は尿意の勢いでしか身体が動きませんし。そんな中で「外に出るな」と言われたりすると、ようやく少し動くようになった気持ちも絶たれたりします。また、脳を休めないと行けないにも関わらず、どうしても新型コロナ騒動が気になってしまいます。故に脳も疲れますし、外出自粛要請でのストレスで気分的な鬱も酷くなって耐えきれずにアジフライです。まあ、店内ガラガラですし、券売機のチェーン店ですから濃厚接触もクソもありませんが。
逆に言うと、私の新型コロナ騒動でのストレスはこの程度だったりします。無職ですから「仕事がヒマになった」などというストレスはありません。また、引き篭りですから感染リスクは低いです。
でも、多くの人たちが物凄い不安な状況に居る事は、実体験として経験は出来ませんが、様々な情報から何となく分かります。

「正義中毒」という言葉をある記事で知りました。記事内容としては違和感ありまくりなのですが、画像の部分は共感出来ます。ただ、私の場合は「集団」というよりも、「価値観」という部分、要するに私のプライドだと思います。私は51年間生きている中で「おおらかな人」と呼ばれた事はありません。プライドの高い神経質なのが私だったりします。故に、攻撃性も激しいです。
ですから、たった一度法話で聞いただけの「恨みに寄らす『悲しいね』と言えるかどうか。南無阿弥陀佛と言えるかどうか」という鍵主先生の言葉は忘れる事が出来ません。まあ、それでもこんなんですが。

デマ叩きは変わらずです。「引き篭り=2ちゃんねる」という概念がありましたが、私の場合はツイッターだったりします。脳内麻薬が出るのでしょう、スカッとします。当然、「私は正しいんだ!」というプライドも満たされてます。自己承認欲求です。
今日はフト、このままの勢いで戦争にならないかな?という事を思いました。日本だけでなく、世界の多くの国の人たちが不安になり、思考が短略的になっています。日本でも「あの安倍総理」がハト派に見えてしまうような状況です。

若い人には信じられないでしょうが、哲学者や思想家が流行った時代がありました。「吉本隆明、メンズビキを着る」だったかな?そんな企画が雑誌で行われたり、カフェBARで浅田彰を語る事が「トレンディ」だったりしました。若かりし私も意味なく浅田彰を読んで「全く分からん!」と思いました。結局、ハマったのは当時テレビにもバンバン出ていた栗本慎一郎であり、当然、今思い返してみると色々と問題はあるにしても、「土徳」という言葉を知る前に暗黙知を知る事が出来たり、当時は若手だった鬼の研究者・小松和彦や、そしてバタイユを知りました。爺ちゃんもでしたが、親父も異常な読書家であったので、本棚からバタイユを借りて読んでました。そして「難しくて分からん!」と。ただ、破壊衝動が人間にはある事、また、それに快感を感じてしまう事などの印象はあります。当然の友人に「人間は戦争が好きや」と言って怒られた記憶もあります。
仏教では、それも含めて「業」というのかも知れません。恐らくもっと的確な言葉があるのかも知れませんが、私は知りません。

集団感染が発覚した京都産業大学にはクレームが凄いらしいです。当然、普段からクレーマーは多くいますが、多分、新型コロナ騒動での不安から来るストレスで増えているのだと思います。より一層「叩け!叩け!叩け!」だったりします。それは、恐らく私のデマ叩きと同じようにストレス発散して心のバランスを取っているのかも知れません。「お前とは違う。俺は弱者を守る為に戦っているのだ」と言われるかも知れませんが、私的には同じだと思います。

福島第一原発事故当時には、人権派だと思っていた週刊金曜日が悪魔狩りを始めました。週刊金曜日がそうなのですから、他の雑誌や多くの運動家たちも「原発マネーに関わった人たち」などと悪魔狩りを始めました。仕事としてCMに起用された人たちまで悪魔狩りの対象になりました。そして、事故の余韻がまだまだ残っている中での新型コロナ騒動です。的確な言葉かどうか不明ですが、日本の精神史にとっては良くない状況だと思います。
当然、「魔女狩り」「精神史に良くない」という私の発言も一つの正義です。「精神史」などと出した私は、恐らくもっと危険です。健全なる精神史があるという、物凄く危険な思想です。そして、「危険性を感じる分だけ貴方たちより私は健全」と感じてしまう私も容易に発見出来ます。

私は真宗大谷派という一つの宗教教団に属して居ます。正しい話は諸先生たちに聞いてもらいたいですし、信仰心も弱いかも知れませんが、物凄く影響を受けている事は確かです。そんな中で「罪悪深重煩悩具足のわれら」という言葉を教えてもらいました。大阪下町語訳では「みんな気い狂ってアホや」だったりします。
今後、新型コロナでの感染や、経済からの不安から来るストレスで益々「叩け!叩け!叩け!」になるかも知れません。それは、叩く人を叩く事も同じです。
仏教では人間存在の事を「衆生」と呼びます。確か原語的な意味では「五蘊に執着する存在」だったかな?要するに自分という存在に執着する存在が生身の人間と。
変わらんのだ。そして、何か分かったような意見をしてしまう私に対して阿弥陀如来は「アホかボケ!お前が一番カスじゃ!」と。

当然、ここにも慢心があります。でも、多分、阿弥陀さんはそんな私の事など遠山の金さん的に「やいやい。よくもそんな戯言が言えたもんだな。何もかも、この桜吹雪がお見通しでえ!」的な感じで信じて貰っているのだと思います。
児玉先生が「浄土真宗は0点の人間が100点までの人間を救うのだ」と言われた事がありました。私はまだそんな境地には至っていません。

昔、ミナミに、みんなから「アホ」と呼ばれたヤツが居ました。実際に本当にアホで物凄く頭が悪かったです。少し年下だったかな?とりあえず気安く接していました。そんなアホとある店で同席して話している中で「俺はみんなから『アホ、アホ』と呼ばれるけど、でもみんなと一緒に居る事が嬉しいねん」と言いました。実際に彼は公衆電話で当時の恋人と数時間別れ話をしている時に2時間程、少し距離を置いた所で私を待ってました。

私にとっての南無阿弥陀佛の現代語訳は最初「寂しいから分かりあいたい」でした。その後に竹中先生から聞いた「みんなと一緒に生きたい!」という言葉になりましたが。

言葉も感情も読み取れない人にとっては、京都産業大学へのクレームなどと、猛烈に愛している人への告白も変わりないと思います。ただ、「ああ、この人は物凄く熱心に相手に何かを伝えようとしているのだ」と。
ほな、寝ます。明日もアジフライ♪街かど屋のトロアジフライ♪デカくて身厚のホッコリ、アジフライ♪醤油かけて美味しいアジフライ♪一口食べると脳内麻薬のアジフライ♪