坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

自己とはなんぞや

2013年10月08日 | 坊主の家計簿
 某「ライン」というハイカラな若人のものに諸事情で再加入してみた。前は直ぐに飽きてとっとと辞めたけど、まあ、今回もいつまで続くことやら。

 ただ、今回は某会合でのコミュニティーみたいな感じでの加入であり、最初の言葉に「」と書いてあった。

 清沢満之の言葉だけど、私にとっては別の恩師の言葉でもあったりする。で、その恩師の著作の「確か、この辺の本に書いてあったはずなんだがなぁ…」と探しても見つからない。え~、赤ワインが…。

 清沢満之の「自己とはなんぞや」が縁起に展開する言葉であるように、某恩師の言葉も同じだった。曰く「自己とはなんぞやとは、自室に籠って考えるものではない」と。まあ、関係存在の中から問われる言葉であると。

 関係存在といっても、やはり、好みがある。「この人の言葉は聞けるけど、この人の言葉は聞けない」なんぞと。好き嫌いや、優劣で「聞く」「聞けない」がある。

 縁起とは、そういう問われるものではないのか?「あなた、無視してませんか?」と。

 それは、別に、解放の神学的に被差別者だけではない。あ、微妙に逃げたな。解放と連帯の真宗的に、被差別者だけではない。
というか、被差別者でもあるのだが、基本は「私が作り出す被差別」という事でもある。社会問題としての被差別者の声は聞くが、権力者の声を聞かなければ、それは権力者を被差別者にしているだけの話である。

 昨今流行の言葉ならば「御用学者」でも良い。あるいは、御用学者と呼ぶ放射脳の人達でも良い。自分が誰に意見(声)に耳を傾けようとしていないのか?声が聞けないのか?その事を問う言葉が「自己とはなんぞや」だと思う。