大阪は昨日から暑く、ようやく最高気温が35℃になったのかな?今日もそれぐらいか。ここ数年、大阪の夏は『最高気温35℃以上が当り前』だったので、イマイチ拍子抜けしていたのだが、ようやく夏本番である。けど、お参り先のオバちゃんと愚痴ってたのだが、「そろそろ夏の疲れが溜って来た頃に、この暑さは堪えるわ」と。
娘の発熱治まらず。というか、帰宅して寝ている娘を触ったら熱い、熱い。起き出した娘を抱っこしたら、「こら、アカン。40℃ぐらいはあるで」と体温測定。惜しい、39.9℃だった。ピッタシなら『ピッタリ賞』として夜に飲みに行ける副賞も考えていたのだが、え~。。。外れたし、はあはあ息している娘を見ているとそういう気分にもなれんかったのだが。
晩御飯を食べてボンヤリとテレビを見ているとオカンより電話。何やら声のトーンが違う。弟、私にとっては叔父さんが死んだらしい。
うちのオカンは能登半島産の10人兄弟。え~。。。典型的な「産めよ増やせよ」の世代。10人兄弟のうちオカンと今晩死んだ叔父さんだけが大阪へ。確か、もう一人、オカンの末妹が大阪にも出て来てた話を聞いた記憶があるのだが、まあ、子どもだった私が憶えているのは叔父さんだけ。
板前志望だったはずで、敦賀に修行に行ったりしてたはずなんだが、子どもが知的障害でお金がかかるからなんだろうか?しかも1人じゃないし、便利屋をやったり、なんか色々な事をやってたはず。一軒家を若い頃に買ったから経済的には困ってなかったと思うが、その分、よく働いていたのだろう。
子どもの頃によく遊びに行って、いまだに叔父さん(面倒なのでオッチャン)オッチャンの家の近くで食べたラーメンの味が無茶苦茶美味しかった事も憶えている。オッチャンは板前経験があったので料理が上手かったはずで、お寿司とか色々作ってくれた記憶もあるのだが、なんせいまだにラーメン大好き人間の私はお寿司とかよりも近所のラーメンが大好きでよく連れて行って貰った。挙げ句にはオカンが「その店に弟子入りしてラーメン屋を始める」なんぞと言い出す程、そこのラーメンが大好きだった。
そういえば、私の幼少期の記憶の中に占めるオッチャンの比重は大きい。子どもの頃の最初辺りの記憶で夕方の万博公園の周辺をオッチャンの車で走っている記憶があるし。うちには車がなかったけど、オッチャンは仕事で使っていたのかな?ワゴン車を持ってて、ワゴン車の後ろの座席は外して、私が寝たりしていたのだろう。小さかったはずだし。
当時、うちにはまだ無かったステレオを始めて見たのもオッチャンの家だったし、『サイドボード』やったっけ?なんか、そんなのに洋酒が入っていたりした。「本で家が潰れる!」と、お婆ちゃん&オカンが愚痴っていたうちのお爺ちゃん&オヤジとは違ったキャラの大人としての認識で、ステレオでオッチャンのレコードを聞いたりしてた記憶もある。
しかし、まあ、中学生ぐらいからかな?思春期を迎えた私はオッチャンの家にも遊びに行かなくなって、すっかりご無沙汰。私の結婚式の時に、ものすご~~~く、久しぶりにあった。両手で握手したオッチャンの手が分厚く、ごつく、肉体労働者の手だった事が印象深い。死んだのも会社の車の中らしく、70代半ばぐらいなのかな?いまだに現役でバリバリ働いていたみたいである。
電話でのオカンは少し取り乱し気味。「大変や、大変や」と連呼する。そら、まあ、大変なんだろうが、でも、葬儀で一番大変なのは金の問題だと思ったりするのだが。え~。。。すいません、私、貧乏育ちの現役貧乏人ですし。なので、「大変なのは、金の問題だけ」とアドバイス。&、クソ暑い中での葬儀になるので、普段以上の体力勝負である。ボケて水分取れへんかったら大変な事になる。
オッチャンの子どもは知的障害なので、こういう時には頼りにならない。まあ、『居ている』『子ども』『笑顔』等で精神的には頼りになり、それは葬儀の現場では非常にデカイのだが、葬儀を執行する部分においては頼りにならない。
じゃじゃ~ん!オカンの出番である。かつ、オカンの息子は同じ宗派の住職だったりする。
え~。。。こういう時に、オバちゃんにとって頼りになると同時に一番うっとうしい存在がオカンである事も知っている。オカンのキャラからして、出しゃばるだろうし、「うちの息子が」なんぞという事、必須。多くの枕経(故人が亡くなって最初の仏事)の時にそういう現場は多くみた。「仕切らせたれよ」である。兄弟とはいえ、一緒には住んでいない。喪主でもない。にも関わらず、必ず出しゃばって来る人が居ている。まあ、それはそれでその人にとって大切なグリーフケアなんだが、困るのは喪主である。うちのオカンもそういう面では『長老』でもある。やはり長老の意見は聞かざるを得ない。また「うちの息子が住職で」なら尚更である。なので、思いっきり釘を刺す(笑)『頼りになる』とは、頼られた時の話でエエわけであって、それでなければ単なる『おせっかい』である。混乱を招くだけの話である。余計な心労を増やすだけの話である。冗談抜きで、中陰参りで、そういう心労の話を聞く事も多い。まあ、それも含めての『葬儀の想い出』だったりするのかも知れんが、心労でノイローゼ気味になった人も居ているし。
今日もお盆についてお参り先のオバちゃんと雑談していたのだが、「お盆にはこういう物を御供えしましょう」とスーパーとかで売っているらしい。で、それを供える事がお盆の御供えだったりする事になったりする。んなもん、誰が決めてんや(笑)
「世間ではこうしている」は、自分が知っている世間でしかない。「うちの村ではこうしている」なら、「ああ、村の風習なのか?」なんだろうが、都市部において「世間ではこうしている」は、自分が知っている世間でしかない。
私は私の仏前結婚式を自分でプロデュースしたのだが、その時に諸々調べて「三三九度は要らん」とか、まあ、いわゆる『世間』では通じない事をやったのだが、その分、かなり調べまくったし。理論武装はバッチシである。ある恩師が「言葉は悪いですが、敵を知らない事にはどうしようもありません」なんぞと、いわゆる『習俗』に関して言ってはったが、その通りである。『敵』よりも『敵のルール』を知らないと『敵』を納得させる事は出来ない。
え~。。。何の話や(笑)そのまま原発問題にもって行きたくなるのだが、まあ、エエ。
ただ、『初めに尊敬あり』という関係でないと、原発問題だろうが、靖国問題だろうが、解決するわけがない。「御用学者」と言っている段階で解決しようとは一切思っていない、あくまでも自分のエゴを押し付けようとするにしか過ぎない事が丸解りである。そんなもんで作り上げられる『脱原発』なんか真っ平御免である。脱原発が出来ただけの話である。人権問題としての視点からならばどうなのか?人命等の『生命』の論理からだけではないく、無量寿としての、え~。。。ややこしい仏教用語を抜きにすると、「それぞれが、それぞれの比べようも無く、掛け替えのない人生を生きている事を互いに認識しあって行く事が出来る世の中」、え~。。。『人生』だけでなく『虫の一生』等も入れたいのだが、そういう世の中を作って行こうとする運動の中で、『御用学者』はアカンやろ。
オッチャンは、うちから渋滞がなければ車で30分かからない所に住んでいる。あ、「いた」になるのか。同じ宗派なんだが、近くの寺に墓地も買ったらしく、仏壇を買った時にもその寺の世話になったらしい。どこの寺かは知らない。どんな住職なのかは知らない。知らないが、同じ宗派の住職である。当然、無条件で信頼する。
それこそ一部の寺社会で悪く言われるような『葬式寺』の実体も私は体験してよく知っている。つーか、私もその中に入るのだろう。入り切れていないから貧乏なんだが。でも、依頼されてお手伝いによく行く。まあ、葬式寺の、葬式坊主見習いみたいなもんだ。
そういう私からすると、多く、そういう現場で教えて頂き、世話になったり、あるいは話を聞いたりする『寺』『僧侶』を「しっかりしてはんなぁ~」と純粋に思うし、また、「やる気がない」と公言する僧侶だって、その実、それだけでは無い事を知っている。うちのママ(前代務住職。現坊守)だって、私に隠れて仏教書を読んでいるみたいだし(笑)この前、娘が引っぱりだして来たし。「テメー、仏教に関心ないって言ってたやんけ!」なんだが、そんなわけでもないみたいである。まあ、「エッヘン!」私からすると不十分なんだが、これまた自慢だが、私も最近、全然本を読んでないし、学習も「もっとせんかい!」である。
なので、うちの教団で「ダメな僧侶」とか書かれていると「え?俺の事か?」と敏感に反応したりするし、同時に煩悩が「あいつ等の事か」などとも言う。
「やる気」も含めて『能力』である。そんな能力で人を判断すべきではないと、教えて頂いたし、だから生きていられる。『僧侶』という仕事も続けていられる。
「自分(たち)は特別だ!」は、煩悩でしかない。
「俺は、あいつらと違う」は差別でしかない。それは『やる気(菩提心)』を否定した教えと比較してどうなのだ?
【「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきないをもし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」と。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人はおおせそうらいしに、当時は後世者ぶりしてよからんものばかり念仏もうすべきように、あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。】(歎異抄より)
の中に『御用学者』『推進派』も入れて考えるべきではないのか?
オッチャンの通夜は明日になるのかな?夜が遅かったから明後日になるのかな?車の中で死んだという事は検死があるはずだし。あ、オカンに検死の事を言い忘れたな。
個人的には明日の通夜で明後日葬儀が有り難い。明後日なら葬儀には無理でもその後は参加出来るし。明々後日の葬儀なら完璧に無理。
私にとっては『優しいオッチャン』だったけど、子どもを育てる為にずっと働いていたオッチャン。
マー坊やったけな?マナブ君やったけな?最後に名前を呼んで貰ったのはどっちやったっけ?
圧倒的に多くの方々と同じく訃報が新聞に載らない『無名の人』。でも、私には掛け替えのないオッチャン。
労働者の分厚い手。私の労働は手が分厚くならない。でも、『子育て』も含めた、生活者の手。生きて行く大変さを教えてくれる分厚い手だった。
娘の発熱治まらず。というか、帰宅して寝ている娘を触ったら熱い、熱い。起き出した娘を抱っこしたら、「こら、アカン。40℃ぐらいはあるで」と体温測定。惜しい、39.9℃だった。ピッタシなら『ピッタリ賞』として夜に飲みに行ける副賞も考えていたのだが、え~。。。外れたし、はあはあ息している娘を見ているとそういう気分にもなれんかったのだが。
晩御飯を食べてボンヤリとテレビを見ているとオカンより電話。何やら声のトーンが違う。弟、私にとっては叔父さんが死んだらしい。
うちのオカンは能登半島産の10人兄弟。え~。。。典型的な「産めよ増やせよ」の世代。10人兄弟のうちオカンと今晩死んだ叔父さんだけが大阪へ。確か、もう一人、オカンの末妹が大阪にも出て来てた話を聞いた記憶があるのだが、まあ、子どもだった私が憶えているのは叔父さんだけ。
板前志望だったはずで、敦賀に修行に行ったりしてたはずなんだが、子どもが知的障害でお金がかかるからなんだろうか?しかも1人じゃないし、便利屋をやったり、なんか色々な事をやってたはず。一軒家を若い頃に買ったから経済的には困ってなかったと思うが、その分、よく働いていたのだろう。
子どもの頃によく遊びに行って、いまだに叔父さん(面倒なのでオッチャン)オッチャンの家の近くで食べたラーメンの味が無茶苦茶美味しかった事も憶えている。オッチャンは板前経験があったので料理が上手かったはずで、お寿司とか色々作ってくれた記憶もあるのだが、なんせいまだにラーメン大好き人間の私はお寿司とかよりも近所のラーメンが大好きでよく連れて行って貰った。挙げ句にはオカンが「その店に弟子入りしてラーメン屋を始める」なんぞと言い出す程、そこのラーメンが大好きだった。
そういえば、私の幼少期の記憶の中に占めるオッチャンの比重は大きい。子どもの頃の最初辺りの記憶で夕方の万博公園の周辺をオッチャンの車で走っている記憶があるし。うちには車がなかったけど、オッチャンは仕事で使っていたのかな?ワゴン車を持ってて、ワゴン車の後ろの座席は外して、私が寝たりしていたのだろう。小さかったはずだし。
当時、うちにはまだ無かったステレオを始めて見たのもオッチャンの家だったし、『サイドボード』やったっけ?なんか、そんなのに洋酒が入っていたりした。「本で家が潰れる!」と、お婆ちゃん&オカンが愚痴っていたうちのお爺ちゃん&オヤジとは違ったキャラの大人としての認識で、ステレオでオッチャンのレコードを聞いたりしてた記憶もある。
しかし、まあ、中学生ぐらいからかな?思春期を迎えた私はオッチャンの家にも遊びに行かなくなって、すっかりご無沙汰。私の結婚式の時に、ものすご~~~く、久しぶりにあった。両手で握手したオッチャンの手が分厚く、ごつく、肉体労働者の手だった事が印象深い。死んだのも会社の車の中らしく、70代半ばぐらいなのかな?いまだに現役でバリバリ働いていたみたいである。
電話でのオカンは少し取り乱し気味。「大変や、大変や」と連呼する。そら、まあ、大変なんだろうが、でも、葬儀で一番大変なのは金の問題だと思ったりするのだが。え~。。。すいません、私、貧乏育ちの現役貧乏人ですし。なので、「大変なのは、金の問題だけ」とアドバイス。&、クソ暑い中での葬儀になるので、普段以上の体力勝負である。ボケて水分取れへんかったら大変な事になる。
オッチャンの子どもは知的障害なので、こういう時には頼りにならない。まあ、『居ている』『子ども』『笑顔』等で精神的には頼りになり、それは葬儀の現場では非常にデカイのだが、葬儀を執行する部分においては頼りにならない。
じゃじゃ~ん!オカンの出番である。かつ、オカンの息子は同じ宗派の住職だったりする。
え~。。。こういう時に、オバちゃんにとって頼りになると同時に一番うっとうしい存在がオカンである事も知っている。オカンのキャラからして、出しゃばるだろうし、「うちの息子が」なんぞという事、必須。多くの枕経(故人が亡くなって最初の仏事)の時にそういう現場は多くみた。「仕切らせたれよ」である。兄弟とはいえ、一緒には住んでいない。喪主でもない。にも関わらず、必ず出しゃばって来る人が居ている。まあ、それはそれでその人にとって大切なグリーフケアなんだが、困るのは喪主である。うちのオカンもそういう面では『長老』でもある。やはり長老の意見は聞かざるを得ない。また「うちの息子が住職で」なら尚更である。なので、思いっきり釘を刺す(笑)『頼りになる』とは、頼られた時の話でエエわけであって、それでなければ単なる『おせっかい』である。混乱を招くだけの話である。余計な心労を増やすだけの話である。冗談抜きで、中陰参りで、そういう心労の話を聞く事も多い。まあ、それも含めての『葬儀の想い出』だったりするのかも知れんが、心労でノイローゼ気味になった人も居ているし。
今日もお盆についてお参り先のオバちゃんと雑談していたのだが、「お盆にはこういう物を御供えしましょう」とスーパーとかで売っているらしい。で、それを供える事がお盆の御供えだったりする事になったりする。んなもん、誰が決めてんや(笑)
「世間ではこうしている」は、自分が知っている世間でしかない。「うちの村ではこうしている」なら、「ああ、村の風習なのか?」なんだろうが、都市部において「世間ではこうしている」は、自分が知っている世間でしかない。
私は私の仏前結婚式を自分でプロデュースしたのだが、その時に諸々調べて「三三九度は要らん」とか、まあ、いわゆる『世間』では通じない事をやったのだが、その分、かなり調べまくったし。理論武装はバッチシである。ある恩師が「言葉は悪いですが、敵を知らない事にはどうしようもありません」なんぞと、いわゆる『習俗』に関して言ってはったが、その通りである。『敵』よりも『敵のルール』を知らないと『敵』を納得させる事は出来ない。
え~。。。何の話や(笑)そのまま原発問題にもって行きたくなるのだが、まあ、エエ。
ただ、『初めに尊敬あり』という関係でないと、原発問題だろうが、靖国問題だろうが、解決するわけがない。「御用学者」と言っている段階で解決しようとは一切思っていない、あくまでも自分のエゴを押し付けようとするにしか過ぎない事が丸解りである。そんなもんで作り上げられる『脱原発』なんか真っ平御免である。脱原発が出来ただけの話である。人権問題としての視点からならばどうなのか?人命等の『生命』の論理からだけではないく、無量寿としての、え~。。。ややこしい仏教用語を抜きにすると、「それぞれが、それぞれの比べようも無く、掛け替えのない人生を生きている事を互いに認識しあって行く事が出来る世の中」、え~。。。『人生』だけでなく『虫の一生』等も入れたいのだが、そういう世の中を作って行こうとする運動の中で、『御用学者』はアカンやろ。
オッチャンは、うちから渋滞がなければ車で30分かからない所に住んでいる。あ、「いた」になるのか。同じ宗派なんだが、近くの寺に墓地も買ったらしく、仏壇を買った時にもその寺の世話になったらしい。どこの寺かは知らない。どんな住職なのかは知らない。知らないが、同じ宗派の住職である。当然、無条件で信頼する。
それこそ一部の寺社会で悪く言われるような『葬式寺』の実体も私は体験してよく知っている。つーか、私もその中に入るのだろう。入り切れていないから貧乏なんだが。でも、依頼されてお手伝いによく行く。まあ、葬式寺の、葬式坊主見習いみたいなもんだ。
そういう私からすると、多く、そういう現場で教えて頂き、世話になったり、あるいは話を聞いたりする『寺』『僧侶』を「しっかりしてはんなぁ~」と純粋に思うし、また、「やる気がない」と公言する僧侶だって、その実、それだけでは無い事を知っている。うちのママ(前代務住職。現坊守)だって、私に隠れて仏教書を読んでいるみたいだし(笑)この前、娘が引っぱりだして来たし。「テメー、仏教に関心ないって言ってたやんけ!」なんだが、そんなわけでもないみたいである。まあ、「エッヘン!」私からすると不十分なんだが、これまた自慢だが、私も最近、全然本を読んでないし、学習も「もっとせんかい!」である。
なので、うちの教団で「ダメな僧侶」とか書かれていると「え?俺の事か?」と敏感に反応したりするし、同時に煩悩が「あいつ等の事か」などとも言う。
「やる気」も含めて『能力』である。そんな能力で人を判断すべきではないと、教えて頂いたし、だから生きていられる。『僧侶』という仕事も続けていられる。
「自分(たち)は特別だ!」は、煩悩でしかない。
「俺は、あいつらと違う」は差別でしかない。それは『やる気(菩提心)』を否定した教えと比較してどうなのだ?
【「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきないをもし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」と。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人はおおせそうらいしに、当時は後世者ぶりしてよからんものばかり念仏もうすべきように、あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。】(歎異抄より)
の中に『御用学者』『推進派』も入れて考えるべきではないのか?
オッチャンの通夜は明日になるのかな?夜が遅かったから明後日になるのかな?車の中で死んだという事は検死があるはずだし。あ、オカンに検死の事を言い忘れたな。
個人的には明日の通夜で明後日葬儀が有り難い。明後日なら葬儀には無理でもその後は参加出来るし。明々後日の葬儀なら完璧に無理。
私にとっては『優しいオッチャン』だったけど、子どもを育てる為にずっと働いていたオッチャン。
マー坊やったけな?マナブ君やったけな?最後に名前を呼んで貰ったのはどっちやったっけ?
圧倒的に多くの方々と同じく訃報が新聞に載らない『無名の人』。でも、私には掛け替えのないオッチャン。
労働者の分厚い手。私の労働は手が分厚くならない。でも、『子育て』も含めた、生活者の手。生きて行く大変さを教えてくれる分厚い手だった。