坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

実録寺族2

2009年07月31日 | 坊主の家計簿
 なにやら『餃子の王将』が好調らしい。
 http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yucasee-20090731-1413/1.htm

 しゃて、もろもろの事情で100%の外食生活である。
 近所に『餃子の王将』もあるのだが行かない。別に拒否しているわけではなく、単に学生街なので王将よりも安い店が一杯あってでんなぁ。。。
 その中の最安値の食堂は焼そばが250円である。『焼そば250円』だけでも安いのだが、その焼そばが2玉入りだったりする。ちなみに大盛りが3玉入りで350円やったかな?300円やったかな?一度だけ食べて「きついっす。。。」っちゅう事だったのでイマイチ憶えていない。
 日替わり定食が400円。ボリューム満点のおかずと、「学生は野菜も食え」っちゅう事で大盛りのサラダが付いてるし、みそ汁も具沢山である。当然白飯も標準大盛りなので「すいません。。。少し減らして下さい。。。」と頼んだら30円引いてくれて370円になった。
 焼そば2玉250円でも、日替わり定食400円でも利益が出るのは知ってるけど、薄利やのぉ。。。
 薄利だから手作りである。手間隙は原価がかからんし。夫婦2人で一生懸命働いてナンボ手元に残るのか知らんが、頭が下がるのぉ。。。どんな店でも余程腹立つ以外は「ありがとう」と言って帰るけど、高松の100円うどん屋とか、安定食屋にはホンマ頭が下がる。

 しゃて、住職生活&寺生活も2ヶ月が過ぎた。私は、私が100円手打ちうどんの店とか安定食屋に対して『頭が下がる』みたいな仕事が出来てるんだろうか?『伝統』とか『代々の門徒だから』とか『習俗だから』ではなく、「また行きたい」と、あ、メシ屋違うから「また行きたい」は変やな。「またあの人に頼みたい」と。「他にも色々美味しいものがあるけど、やっぱり次もこれを食べたい」と思えるのと同じく、「またあの人に頼みたい」と。
 それを決めるのは当然私ではない。
 ただ、私が尊敬する恩師達と同じ『布施』を預かり私も生活している。恩師達と同じ事が出来ている等とは全く思わない。
 当然、お念仏の教えを一緒に聞いて行く、という事に変わりはないのだが、講師の先生を呼ぶ時に「誰でもイイ」という事ではなく、やはり「あの先生に来て頂きたい」と思うのと同じく、私が『僧侶』を呼ぶ側であるのならやはり「誰でもイイ」とは思えない。
 恩師達と『同じ仕事』が出来ているとは思えないが、きっと恩師達は「同じ仕事」と云ったりするのだろう。仏教の私物化だから。

 「阿弥陀如来の奴隷になれ」とはある恩師から教えて頂いた言葉。こういう事の話の流れではなかったのだが、ふと思い出す。
 同じ真宗門徒の中での専門職としての僧侶であり住職。身分でなく職分。
 職分なら、100円で手打ちうどんを売っている真宗門徒も居るだろうし、安い定食屋をやっている真宗門徒も居るだろう。今の私は恥ずかしい。恥ずかしいから、やる。正々堂々と、自信がなくても他力だし、恥ずかしく感じつつ、その事を『力』にしながら。